表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

36/109

36. 教官の願い

 服を身に着けて振り返ると、レイはまだ上半身裸のままで、思い詰めたような表情をしていた。


 私はそばに落ちていた白いシャツを拾って、後ろからレイの肩にかける。

 ほんの少しだけ肩に触れた私の手を、レイは逃さずにすばやく掴んだ。


「誰のせいでもないわ。元首にはすべてが想定内だったはずよ。みすみす人質を死なせたりしない」

「そうじゃないんだ」


 後ろを向いたまま、レイは私の手を強く握りしめる。


 微かに震える背中に、私はそのまま頬を寄せた。他にどうすればいいか分からなかった。


「何があったか、話してくれる?」


 今まで、レイがそのときの話をしてくれたことはない。

 何かに苦しんでいるのは分かったけれど、それを暴こうと思ったことはなかった。


「俺たちは、魔力封じの箱に閉じ込められていた」

「魔力封じの箱?」

「あの国には、違法な魔術が横行している」

「それは……」


 訓練所から消えた講師や、行き場がなかった生徒たち。この国の特権階級に見捨てられた者。まさか彼らが……。


「魔術師が魔力を封じる空間を作るなんて。一体、なんのために?」

「表向きは、魔力による不平等を一掃するという理由だ」


 持って生まれた魔力すら、不公平な采配だと。彼らは魔力のせいで、己の人生を狂わされたと、そう思っているのかもしれない。


「フローレス様が来たとき、師匠は生きてほしいと懇願した」

「教官は、お姉様の覚悟を拒絶したのね」

「いや、師匠は生死を共にするつもりでいた」

「じゃあ、なぜ急に気が変わったの?」

「分からない。でも、師匠は気がついたんだと思う。フローレス様が、普通の体じゃないことに」

「お姉様の懐妊を知ったの?赤ちゃんの魔力を感じたのね」


 レイは首を振った。お父様は赤ちゃんの魔力に気がついていた。教官なら、絶対に分かったはずなのに。


「俺たちの魔力は封じられていた。でも、師匠には分かったんだ。じゃなければ、あれほど取り乱すはずはない」

「そんなに?」

「フローレス様が死ぬなら、俺を殺すと」

「まさか!本気じゃないわ。そんなこと、お姉様だって信じなかったはずよ」

「いや、師匠は本気だった。その場で元首に銃を持ってこさせた」


 教官がレイの命を?レイを守ると誓った、あの教官が。それほどに、お姉様と子どもの命を……。


「でも、もしお姉様が承知しなければ、教官はレイを助けたわ。今、ここにレイがいるのだって、教官が……」

「そうかもしれない。でも、結果的にフローレス様は死ぬことを諦めた。俺なんかのために、信念を曲げることになった」

「それは違うわ。レイはお姉様と赤ちゃんの命を救ったのよ!」


 私は背中からレイを、そっと抱きしめた。自分を責めないでほしい。それがレイのせいなら、私の罪はもっと重い。


 お姉様は私のために、レイを無事に帰そうとしてくれたんだ。レイを逃してからでも、死ぬことはできると思って。まさか、自由意思を奪われるとは思わずに。


「俺は、フローレス様を救いたい。師匠が望んだのは、彼女の幸せだけだ」

「ええ、そうね」

「心を操られて生きるのは、人としての尊厳を奪われたのと同じだ。ときには死ぬよりも辛い」


 お姉様は、肉体が滅んでも魂は自由であるべきだと言っていた。それなのに、おそらく今は精神の自由もない。


「心に触れることは禁忌。絶対にあってはならない」


 もしもお姉様が違法に操られているなら、それは黒魔術かもしれない。闇に手を染めた魔術師が存在する。

 そんなこと許されない。黙認したら、この世界のルールが崩壊してしまう。


「あの国を探ることはできないかしら。あの元首が黒幕だとは思えないの。彼からは、魔力の片鱗も感じなかった」

「同感だ。影に誰かいるのかもしれない。だが、この世界で師匠以外に、それを暴ける者はいない」


 教官以上の力。そんな人はこの世界には……。ちょっと待って! 一人だけ、教官を凌ぐ魔術師がいる!


「おばば様がいるわ!教官の師匠よ」

「西の賢者か!彼女なら何か分かるかもしれない」


 レイが握っていた手を離して、こちらを振り向いた。彼の肩にかけていたシャツがパサリと床に落ちる。


 私は目のやり場に困って、急いでこう言った。


「ちょっと、レイ、何か着て!話はそれからよ」

「なんで赤くなってるんだ。俺の裸なんて見慣れてるだろ?」

「恥ずかしいこと言わないで!とにかく、私はシャワーを浴びるから」


 好きな人の裸は、何度見たってドキドキするに決まっている!

 でも、そうか。レイはもう、私なんか見飽きちゃったんだ。元から興味ないんだし、当然と言えば当然だけど。


 自分の全身を、姿見に映してみる。


 レイが触れるようになって、以前よりずっと凹凸が顕著になった。肌の色艶も良くなって、真珠のように輝いている。

 そんな日々の変化があるのに、レイは私の体には関心がない。


 私はため息をついてから、鏡に背を向けた。レイを誘惑できない体なんて、チェックする必要はない。

 さくさくと侍女のマリアが用意した新しい夜着を身に着けて、私は寝室に戻った。


 レイはすでに着替えを済ませて、ソファーに座っていた。

 目の前のテーブルに置いてあるのは、この大陸の地図。瞬間転移装置の位置も載っている。


 ある地点とある地点を魔法で瞬間移動できる装置。魔力がない人間でも、これを仕えば一瞬で別の国に行ける。

 ただし、あまり長距離は飛べないので、隣国かその隣くらいが限度だ。


「賢者殿の元へは、急いでも三日はかかる」

「島に渡るには船しかないわ。最西端の村から半日の船旅よ」

「あの村に行くには、最後の転移場所から丸一日はかかる」

「そうね。レイの故郷だわ」

「知ってたのか?」


 レイがあまりに大きな声を出したので、私は驚いてその場に固まってしまった。

 何がそんなに意外だったのか、私には全く分からなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] おばば様~~~~~~~っ! 待ってました! 楽しみ……! >ほんの少しだけ肩に触れた私の手を、レイは逃さずにすばやく掴んだ こちらの描写、まるで映画みたいです。 ムキムキイケメンの俳優…
[一言]  おや、脅迫ではなく操られているかもしれないのか…。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ