11. 監獄に咲く花
「セシルの世話が嫌になったら、いつでも僕の国に来ていいよ」
一週間の視察が終わり、アレクは隣国に帰っていった。レイに余計なことを言い残して。
本当に、あの子が来るとろくなことがない。
それでも、悪いことばかりじゃなかった。
生まれながらの王族として、アレクの物の見方は参考になる。アレクの父である国王陛下も、国民に人気のある堅実な統治者。きっとアレクは、その教えを受けているんだろう。
「この施設は監獄だよ。環境が悪すぎる」
誰もが思っていても言えなかったこと。それをアレクは、ズバッと指摘した。
私がずっと気になっていたところ。この施設が教育機関ではなく、訓練所と呼ばれる理由。
「そうなのね。でも、何が悪いのか分からないの。私はここしか知らないし」
「まず、生徒の集め方が悪いよ。魔力差が大きすぎる。これじゃ奴隷市場だよ。将来性ある魔術師は、いずれ特権階級で高値で取引されることになるね。人身売買予備軍だ」
私たちは庭園を散歩しながら、周囲に聞こえないように小声で話していた。少し後ろには、レイとアレクの従者が付き従っている。
綺麗に整備された庭園には、春の花が咲き始めていた。スノードロップ、クロッカス、水仙。どれも冬の終わりを告げるもの。
「ほら、こんな可愛い花が咲いているのに、誰も気がつかない。心にゆとりがないからだよ」
レイたちのように、各地から魔力の強さによって選ばれた平民の子。些細な魔力を理由に、お金で入学をねじ込んでくる貴族の子。
優秀な魔術師とそれを買う貴族。つまり将来はそういうことになると、アレクは言いたいんだ。
「まだ、新設して四、五年でしょ。設立者シャザードのカリスマ性だけじゃ、いつか行き詰まるよ。彼は教えないの?」
「教官は……魔術師の仕事依頼が多くて。この国にもほとんどいないわ」
ここで教官を見かけることが、どんどん減っていた。特に最近は、国外に出かけてばかり。
「彼は天才魔術師だけど、だからって、プロの教育者とは限らないよ。いい教師がいないと難しいね」
アレクって、本当に十歳? なんか、言うことが子供らしくない。でも、たぶん、この指摘は正しい。
魔術師はずっと師弟制度で育てられてきた。魔術講師を養成するような機関は、まだ存在しない。
「参考になったわ。ありがと」
「どういたしまして。可愛いセシルのためだしね」
アレクはそう言うと、その場に立ち止まって、私のほっぺにキスをした。
身長が変わらないので、行動が読めなかった。まさかの不意打ち!
「何するのよ。びっくりするじゃない!」
急いで後ろを振り返ると、レイと目が合った。やだ、変なとこ見られちゃった。
私は手の甲で、頬をゴシゴシ擦った。こんなの一般的な挨拶なのに、なんだかすごく嫌な気分。
「僕のキスで青くなった子、初めてみたよ。本当に来てよかったな。セシルの弱点、見つけた」
「なんの話よ? ニヤニヤして気持ち悪い!」
「別に。いい視察になったって言っただけ」
アレクは、相変わらず訳が分からない。
そして、最近はレイのこともよく分からない。今だって、すごく不機嫌にアレクを睨んでる。
アレクに負けたこと、ずっと気にしてるのは知っている。だけど、ライバル意識があからさま過ぎ。
相手は隣国の王太子。不敬な態度を取ると、レイが怒られちゃうのに!
反対にアレクは、そんな状況に上機嫌。ライバルができて嬉しいと言うより、面白がっている感じだ。
一体、あの対戦で、二人にどんな心境の変化があったんだろう。謎。
こんなだったから、アレクが帰国してくれて、本当にホッとした。これでまた、普通の生活が戻ってくる。
もっとレイと話せるし、この施設のことも相談したい。平民出身の子のことなら、レイに聞くのが早いもの。
「レイ、私から離れちゃダメよ! 主人の命令は絶対なんだから」
「分かりました」
レイはそう言うけれど、あの対戦以来、彼の周囲が騒がしい。
ちょっと目を離すと、レイは女子に囲まれてしまうし、訓練では教師の助手を頼まれる。
実習では男子に質問攻めにあってるし、自由時間は図書館に籠ってしまう。
もっと悪いことに、レイが教官の仕事について行く機会がどんどん増えている。
今までは短い期間だけだったのに、下手をすると何ヶ月も帰って来ない。
そんな任務、絶対に危険なはずなのに!
「お姉様、教官は次はいつ戻るか、聞いてます?」
レイがいない休日、私はいつもお姉様の屋敷に入り浸っている。施設からもそう遠くないし、何よりもここは教官の家のようなもの。
教官からの連絡があるとしたら、ここに第一報が来るはず。レイのことも、いち早く知れる。
魔術師というものは、依頼によって雇い主を変えるので、定住という概念はないらしい。
ただ、教官が国にいるときは、必ずここを訪ねてくる。お姉様に会いに。
「ごめんなさいね。彼の仕事のこと、私は何も知らないの」
ドレッサーの前で長い髪を櫛で梳きながら、お姉様は小さな声でそう言った。
鏡に映るお姉様の顔を盗み見て、私は教官のことを聞いたことを後悔した。
お姉様は、何だかすごく悲しそうに見えた。