108. 孤島の一夜
私たちが孤島に飛んだのは、カイルと話してから数日後だった。みんなの無事な姿を確認して、私はようやく安心した。
すっかり元気になった教官が、ヘカティアを連れてレイと散歩に出た。その間に、私とお姉様は積もりに積もった話をする。
「シャザード様の故郷に、三人で帰ろうと思うの」
「ここを離れるのは危険だわ。教官の顔は割れてるのよ?」
「大丈夫。彼は南の大陸の出身なの」
「南の大陸って、古代文明の栄えた?野生動物と砂漠ばかりっていう?」
「セシルったら、偏見よ。あそこは、魔法発祥の地じゃないの」
確かに、魔法はそこに突如発現した古代文明が起源だと習った。でも、その遺跡も風化して、今は考古学的価値しかない。完全な後進国。宗教も言葉も違う。
「本当に、大丈夫なの?」
「ええ。もう知り合いもいないし、魔法が使えれば呪術師ができるんですって」
「呪術師?なんかアヤシい。何させられる仕事?」
「お医者様よ。私も錬金術師になるわ」
「錬金術?何それ、眉唾っぽい!」
「薬師のことよ。回復薬を作るの」
「ああ、そういうこと。医者と薬師ね。魔術師なら誰でもなれるの?」
「最初から開業は無理よ。まずは弟子入りね」
師弟関係で技術を受け継ぐのは、魔術師にとっては普通だ。多少遅れているとはいえ、未開のジャングルや過酷な砂漠に行くわけじゃないんだ。
「お体の具合は?お姉様は、あまり丈夫じゃないのに」
「平気よ。だって、お医者様と暮らすんだもの」
お姉様はとても嬉しそうだ。これからはずっと教官と一緒。もう離れ離れで、無事を祈るだけの日々は来ない。何があっても、教官はお姉様のそばにいる。
「ヘカティアの里親外国人夫婦って、こういうことだったのね。この大陸を出てしまえば、もう追跡はできないもの」
「ええ。実子なのに養子って、よく考え付いたものよね」
外国人の籍に入れば、たとえお父様が探索の手を伸ばしても、もう見つけ出せない。おばば様、本当に用意周到だわ。敵に回さなくてよかった!
「落ち着いたら、遊びに来て。そうね、新婚旅行に」
罰を受けて国外追放になっている身で、ホイホイ遊んでていいものだろうか。しばらくはおとなしくしているべきじゃ?
そう考え込んでいると、赤ちゃんの泣き声が聞こえた。そして、すぐに必死な顔をした教官が飛び込んできた。
「フローレス!ヘカティアが泣き止まない。どうしたらいいんだ?」
「あらあら、オムツかしら、おネムかしら」
お姉様はオロオロする教官から、さっとヘカティアを抱き取った。心底ホッとしたという顔で、教官はごちゃごちゃ言い出す。
「途中まではご機嫌だったのに、急に泣き出したんだ。私は何もしてないぞ。もし大病だったら大変だ。すぐに治癒魔法を……」
「はいはい。ちょっと待っててね。セシル、シャザード様のことお願いね」
お姉様はニコっと私に笑いかけて、ヘカティアと居間を出ていった。その顔には、「男って役に立たないわね」と書いてあった。
残されたのは、気まずそうな顔をした教官と、今にも笑い出しそうな私。そして、急いで後を追ってきたらしい、息を切らしたレイ。
「高位魔術師も、子育ては苦手みたいですね」
「経験がないんだから、うまくできなくても仕方ないだろう。レイのほうが、ずっと手馴れたものだ」
なんですって!レイってば、まさかどこかに隠し子が? 私の顔を見て、レイがぎょっとしたように言い訳をする。
「孤児院で育ったから、赤ん坊の世話もしたことがあるんだ。セシルが考えているようなことは決して……」
「私が何を考えているって言うのよ!つまり、心当たりがあるってこと?」
「いや、それは……、ない!ないから」
あやしい!やましい気持ちがあるから、焦るんじゃないの?火のないところに煙は立たない。そんな私たちのやりとりを見ていた教官が、慌ててレイに助け舟を出す。
「セシル、大丈夫だ。私たちの魔力量は多すぎて、やっても簡単には女を孕ませられない」
許すまじ!魔力を爆発させようとしたところで、おばば様が入ってきた。ここはおばば様の家。崩壊してはいけない。私はぐっと拳を握って我慢しした。
「ほっほっほ!痴話喧嘩は別でやっとくれ。聞いているこっちが恥ずかしいわ」
「おばば様、男って本当にしょうもないわ。この人たち追い出して、女だけで暮らしましょうよ!」
「そりゃ、楽しそうじゃの。じゃが、すまんのう。近いうちにわしは同棲するんじゃ。八人目の男よ」
はあ?何を血迷ったことを。カイルが賢者修行に来るだけでしょ!
カイルの話をしてからというもの、おばば様は上機嫌だ。数ヶ月後の話なのに、今からこのはしゃぎよう!先が思いやられる。
「この姿では同衾できんのう。よっしゃ、これでどうじゃ」
一瞬の間に、おばば様は美しい娘に変身する。金色の髪に紫の目の男爵令嬢。
ありえない!クララの姿でカイルの前に現われたら、おばば様でも許さないわよ。デリカシーのかけらもない。
「冗談じゃよ。冗談。やはり、わしの若い頃の姿がええじゃろ。男が腐るほど寄ってきたわ」
そう言って、また変身したおばば様の姿を見て、みなが絶句した。この人、本当に何を考えているんだか。意味不明も甚だしい。
「楽しそうね、私もまぜて」
ヘカティアを寝かしつけて、お姉様が戻ってきた。全っ然楽しくなんかないっ!
そうして、私たちは夜遅くまで、ワインを飲みながらワイワイと話をした。レイたちの女性遍歴に関しては気に食わないけれど、こうやってみんなで騒げるのはいい。
王族だったときには、こんなことができるなんて思っていなかった。普通の生活が普通に送れること。それがこんなに楽しいなんて、知ることもなかった。
そして、その夜のレイは、いつもより時間をかけて、丁寧に私の体を芯まで温めた。そんなことくらいじゃ絆されないわよ!でも、こういう生活は悪くないと思ったのも確かだった。