106. 幼馴染の筒井筒
「おばば様、いつまでお姉様の姿でいるつもり?」
私とヘカティアは、西国に向かう途中で合流した。今は一緒に、隣国の護送馬車に揺られている。
「これは乳母じゃよ」
「お姉様でしょ?」
「フローレスさんは、元首と一緒じゃ」
「は?何それ」
乳母がお姉様で、お姉様が乳母って、まさか……。おばば様が得意そうに目を細める。
「もしかして、最初から入れ替わって?」
「おうおう。フローレスさんの顔は、共和国でもあの国でも、ほとんど知られておらんかったでの。乳母は元首の遠縁で見目麗しい女。王女だと言ったところで、疑う者もなかったわ」
確かに、お姉様は共和国では元首に匿われていたし、アレクの国でも、妹の私がヘカティアを抱いた記事しか出なかったと聞いた。
「宰相様にまで、嘘の片棒を担がせたなんて……」
「あの男は聡いのぅ。即座に解して黙認しとったわ」
「そんなことしなくても、私がうまくやったのに」
「そりゃ、結果論じゃろ。辺境に入ったときは、そういう風にことが運ぶとは思わんかったからの」
絶対に嘘だ!おばば様は先見のプロ。黒魔術師が去り、巫女の選択が成った時点で、未来は見えていたはず。むしろ、こうなると分かっていたから、最初からそうしたとしか考えられない。
「どんな魂胆?乳母をお姉様に仕立てあげるなんて」
「そりゃ、わしゃ、いつまでもトーストさんの側にはいられんじゃろが」
トーストさんじゃなくトリスタン!確か、乳母は彼の遠縁だとか。王女の身代わりに、隣国に囚われの身になるなんて。いくらなんでも、ひどすぎる!
「すぐに隣国に知らせるわ。乳母は解放してもらいます!」
「おうおう、王女さんは相変わらず野暮じゃのう。それで本当に人妻かいな」
「どういう意味?私は間違いなくレイの妻よ!」
聞き捨てならないわ。だいたい、それとこれと何の関係があるっていうのよ。
「あの娘は出戻りでの。子は別れた夫のとこじゃ。国に帰ったところで、よい再嫁先もあるまい」
「だからって! 戦犯として捕虜扱いされるのよ?解放されても、その烙印は一生付いて回るのに」
「そりゃ、手遅れじゃったの。あの娘はすでに逃げられん」
「なによ、それ!隣国の国王陛下は寛大な方だし、きちんと話せば大丈夫よ」
「いんや。あの娘はトーストさんから離れたりせん。捕虜は捕虜でも、恋の虜なんじゃよ」
「え?じゃあ、乳母は元首を?」
「幼馴染の筒井筒じゃな」
「何?その『つつゐづつ』って」
「東の国の古い物語よ。浪漫じゃ。あん二人は事情があって離れたが、まあ、最終的には収まるところに収まったちゅうことじゃ」
つまり、ここにも両思いの幼馴染がいて、その二人をくっつけるための策略だったと!
「おばば様、賢者のくせに、変なとこだけお節介ね」
「何を言うか。わしゃ、恋する乙女じゃぞ。愛するトーストさんのために、恋敵に塩を送るこの健気さ!泣けるじゃろが」
「全然!何が七度目の春よ。まったくもうっ」
「王女さんはツレないのう。傷心のおばばに、もう少し優しくせんか」
「だって、陛下に申し訳ないわ。お姉様だと思い込んで、色々と手を尽くしてくれてるのに」
「陛下とは、リカルドのことかや」
うん? 陛下の名前は、確かリカルド・ヴォルフガング。でも、何、その気安い呼び方。
「おばば様、陛下と知り合いなの?」
「心配せんでいい。あやつは、わしの気配を見逃したりせんわ。お見通しじゃよ」
「え?なんで、え、どういうこと?おばば様と陛下の関係って……」
「わしの『ぐるぅぴぃ』の一人じゃな。今風にいうと『すとーかあ』かのお」
おばば様、言葉の意味、分かってないよね?それ、使い方、間違ってますから!
つまりは、陛下はおばば様の知り合いで、最初からグルの片棒を担いでくれたってこと?なのに、それを隠して、私との交渉に臨んだと。
私は本当に、手のひらの上で転がされただけだったんだ。
「統治者も賢者も!頂点に立つ人たちって、本当に腹黒いのね!」
「ほっほっほ。王女さんはまだまだ修行が足りんよ。ひよっこじゃ」
本当にその通り。人より聡いと思ってきたけれど、それは私の思い上がりだった。私がこうしてここにいられるのは、たくさんの尊敬すべき人たちが、その智恵を貸してくれたから。
「そうね。肝に銘じるわ。でも、私にはまだ伸び代があるの。いつか、みなを越えられるくらいの聡明な農婦になってみせるわ!」
そう意気込むと、おばば様はただニコニコと笑っただけだった。その腕には、姪っ子のヘカティアがすやすやと眠っていた。
一週間ほどの馬車の旅を終え、私たちはようやく最西端の村にたどり着いた。追放の身とはいえ、なかなか大変だった。転移魔法なら一瞬なのに!
でも、西側諸国の都市は、どこも綺麗で安全。観光名所ばかりで楽しかった。おばば様がいなければ、正に新婚旅行だったのに。ちょっと残念。
牧師様にはすでに連絡がしてあったので、私たちはすんなりと客間に通された。おばば様はまだお姉様の姿をしているのに、牧師様もあっさりその正体を見破った。これがグルーピーの実力?
「賢者殿、セシル様。お疲れ様でした。どうか、ゆっくり休んでください」
「たまには馬車の旅もいいもんだ。のんびりしたいとこじゃが、この子を里親の元に届けんとな。手続きは終わっておるかいな」
「はい。ヘカティア姫は特別養子縁組により、外国人夫婦の実子となった。それでよろしかったでしょうか」
「おうおう。完璧じゃな。わしはもう行くぞ。セシルとレイを頼む」
おばば様が孤島に飛ぼうとしたので、私は急いでそれを止めた。
「待って、おばば様。私も一緒に」
「王女さんはゆっくり来りゃいい。会わにゃならん男も待っておるしな」
「は?誰です、その男って」
「カイルだ。あいつが来ている」
黙って聞いていたレイがそう言うと、牧師さんがそっと頷いた。