105. 元許嫁と王妃
「意地悪をしてすまなかったね。貴方の本音を聞きたかった」
「私こそ。陛下を試すようなまねを……」
あの白熱した駆け引き……というか交渉の後、私たちは和やかにお茶を飲んでいる。
国王陛下は全面的な協力を約束してくれた。お姉様と元首は終身刑。ヘカティアは、遠国の孤児院へ送られる。レイとカイルが育ったところだ。
もちろん、それは表向きのこと。ヘカティアとお姉様は順に西の孤島へ渡る。将来的には、元首だけがこの国に留まる予定だ。
「トリスタン殿は、いずれ必ず我が国の役に立つ。万民を平等に教育するという発想は素晴らしい。民が賢くなれば、王が楽をできる」
陛下はとても柔軟な人だ。アレクの頑固で生真面目な性格は、母親似なのかもしれない。
私には、国家間の約定反故の責任を取るという名目で、望んでいた罰を与えてくれた。王籍剥奪の上、国外追放。そうすれば、我が国への補償請求はしないという約束だ。
フローレスお姉様が元首の内妻となっていたことで、我が国の王族は北方テロへの関与が疑われている。その嫌疑を晴らすことが、今の最大の課題だった。
もしも北方と共謀していたと判断されたら、我が国は世界中から制裁を受ける。賠償金も、アレクへの慰謝料の比にはならない。
すべての要求を我が国が飲めば、隣国はその点を糾弾しない。反対に、いち早く辺境に駆けつけた友好国軍の功績を称え、我が国の潔白を証明するという。それが最終的な交渉材料。
あとは宰相様が、うまく取り計らってくれる。それが無理だったとしても、そのときはまた別の手を考えればいい。
宰相様と隣国の国王陛下。私はこの二人から、交渉スキルを学んだ。この狐狸コンビの教訓を生かせば、きっとお父様との折衝もうまくいく。
「さあ、これを。胡椒入りのホットチョコレート。お好きでしょう」
「え、なぜ、ご存知なのですか?」
「息子から聞いていたのですよ。義娘と仲良くなりたくてね」
「ご期待に沿えず、申し訳ありません」
「いやいや、こんなものがなくても、貴方とは仲良くなれましたな。王冠よりも恋。その意見に賛成だ。人は大義だけでは生きられない。支えてくれる愛がなければ、かならずどこかで挫けてしまう」
「亡き王妃様のことですか?大恋愛だったと……」
「ほう、やはり知っていましたか」
「はい。この国のことは、それなりに勉強しました。陛下の恋についても、王宮の蔵書で……」
だから、勝負の最後の一手は、偽りのない本音で攻めた。陛下にはたぶん、あれが一番心に響くと思って。ある意味で確信犯。落としどころを見極めたのだ。
「あれは、新聞に連載された小説でね。我が国の伝統だ。王室の好感度を上げるために、すべてが美化されているのですよ。特に私の元許嫁の件については」
陛下には、幼い頃からの許嫁がいた。その令嬢は戦死した騎士と恋仲で、その御霊を弔うために修道院入りを切望したという。傷心の陛下が出会ったのが、後に王妃となる令嬢。
「あれは、私の恋心を知った元許嫁の芝居だった。彼女と件の騎士とは、なんの関係もない。それに最初に気が付いたのは、誰でもない王妃だ。それで何度も後宮入りを打診したそうだが、受け入れてはもらえなかったらしい」
そんなことが。陛下の恋の成就を願って、身を引いた令嬢。それを知らずに、陛下の求愛を受け入れた王妃様。そんな二人が、お互いを思いあって……。
「不治の病が発覚したとき、王妃は私の元許嫁にアレクシスの世話を頼んだ。自分の代わりに、息子を育ててほしいとね」
アレクを育てた人って! じゃあ、あの侍女長が国王陛下の元許嫁。恋敵の息子を立派に育てた人!
「母親を失くした幼い息子を支えたのは、私の元許嫁の惜しみない愛だ。彼女は今も独身。そういう事情を、息子はどこかから聞いていたのだろう。恋はしないで生きると決めてしまっていたようだ」
「そうだったんですか。だから……」
アレクは、愛妾を持たないと言い張っていた。それは母親の心の葛藤を知っていたからだったんだ。
クララとローランドは幼馴染の許婚同士。二人が結ばれることにこだわったのは、侍女長の生き方を見て……。
「貴方が息子のために色々と気を揉んでくれたこと、ずっと報告を受けていましたよ。私のせいで頑なになってしまったあの子に、愛の大切さを教えようと頑張ってくれた。ずっとありがたく思っていました」
「あれは善意だけじゃなかったんです。私はもっと自分勝手に……」
アレクとクララをくっつけようとしたのは、色々な思惑があってのこと。純粋にアレクのことだけを思っていたわけじゃない。こんな風に言ってもらえる資格はない。
「ここは、そういうことにしておきなさい。だから、貴方に協力するのは、私の感謝の気持ちだ。遠慮なく受け取ってくれればいい」
陛下はそう言って、うろたえる私の頭をポンポンとたたいた。
私の義父となるはずだった陛下は、実の父親よりもずっと器の大きな人だった。
この人がいれば、クララはきっと大丈夫。アレクと一緒に、いい国を作っていける。きっと陛下が、若い二人を導いてくれる。
「ありがとうございます。このご恩は、一生忘れません」
「私も同じですよ。貴方との交渉は楽しかった。宰相殿がその聡明さを自慢するだけはある。彼の推薦で貴方を指定したのは、やはり大正解でしたな」
宰相様が?隣国から指名されたと言っていたのに。本当は彼自身が、私に最善の選択をしてくれていたんだ。幸せになれる可能性が、一番高くなるようにと。
私は一人じゃなかった。いろいろな人が私のために心を砕いてくれていた。幸せを願ってくれていたんだ。
「さあ、もうお行きなさい。待っている人がいるのでしょう。フローレス王女とヘカティア姫のこと、頼みましたよ」
陛下は涙を拭くようにと、ハンカチを渡してくれた。
そしてそれが、私と隣国の国王陛下との、最初で最後の面会となったのだった。