104. 陛下の挑戦
隣国の国王陛下は、アレクによく面差しが似ていた。歳は40代後半だったはずだけれど、とても若々しく見える。アレクが歳をとったら、こんな感じになるんだろう。
大恋愛で結ばれた最愛の王妃様を、十年前に亡くしていた。その後は継妃を娶らずに、国務に専念していると聞いた。愛情が深い方なんだろう。
「あなたがセシル王女か。噂に違わぬ美しさだな」
「恐れ入ります」
「それで、私の息子のどこがお気に召さなかったのかな?」
単刀直入。最初に相手の弱みを突く。これは交渉の基本。ここで怯んだら、話は有利に進まない。
「そんな。私には、もったいない方でしたわ」
「ほう。だから捨てたと」
婚約解消を強引に進めたのは私。アレクに断りもなく、レイと結婚したのも。でも、捨てたというのは違う。
私たちがレイとクララに助けられたあのとき、おそらくアレクの中でも、私たちの婚約話は消えていた。
「もちろん、違いますわ。王太子殿下の優しさに打たれて、考えを改めたのでございます」
「ほう。この縁談に、どんな企みをされていたのかな」
「もちろん、父の外戚権利行使ですわ。私が産むことになる王位継承者は、我が父の孫。思うままにできますもの」
「それは、お父上のご命令か」
「いいえ。私の一存でございます。政略結婚の基本でございましょう?」
「確かに。では、なぜを実行に移さなかったのかな?」
「王太子殿下のお人柄に、感銘を受けましたの。それに、私の子が王位に就けなくては、意味がありません」
「どういうことかな。あなたの子が王位継承者になれないと?」
ここからが正念場。相手の弱みを突きつつ、自分の都合のいいように話をすり替える!
「殿下には、心に思う方がいらっしゃいました。その方がお側にあがれば、私はお飾りの王妃。お情けがいただけなければ、子も授かりません」
「噂になっている男爵令嬢か。だが、それは仮定の話。アレクシスは、貴方を正妃として手厚く遇するつもりだったと思うが」
「そういう誠実な方ですから、王太子様は民に愛されておりますわ。彼の幸せに邪魔な存在には、民が黙ってはおりません」
「国民が、貴方の立后に反対すると?」
「殿下の恋人のクララ様は、市井で熱狂的な支持を受けております。彼女の産む子を王位に望む声が高まりましょう」
「では、側室を追い出したらどうかな。王宮を出れば、子を産んでも庶子。王位を襲うことはできまい」
「それでは、殿下が私を疎まれますわ。愛妾を追い出した正妃など、ご寵愛も消えましょう。子を成せなければ、やはり私は名ばかりの王妃」
「そうして貴方が冷遇されると、我が国に害があると言うのかね?」
「それを理由に、父が攻め込みますわ。我が国の顔を潰したと」
私を王妃にすると、どう転んでも父がこの国を乗っ取る。そういう構図を刷り込む。それは事実なので、別に嘘をついているわけじゃない。
「貴方の話だと、隣国との同盟には百害あって一利もないように聞こえますな。しかし、国を手に入れる目的で来たのなら、それを成さずに帰国すれば貴方の失態になるのではないか」
「もちろんです。私は責任を取って罰せられます。場合によっては極刑も。父は代わりに別の王女を送り込みましょう。そして、その王女が生き残るためには、この国を父に差し出さなくてはならない」
「貴方以外の王女がくれば、我が国が正妃の姦計に倒れると」
「その通りでございます。王位継承を早めるために、殿下の寝首を掻くということも」
お姉様方は、北方の報復を恐れて、いち早く王宮を抜け出した。アレクを殺さないとしても、戦になれば強い方に寝返る。
「それは困ったことだな。だが、我が国が隣国を打ち負かせば、問題ないのでは?」
「僭越ながら、陛下が我が国に望まれているのは、軍事面の強化とか。同盟を機に、父の息がかかった兵士が入り込みます」
「うむ。同盟で得た利が、逆に不利に働くということだな。だが、同盟はこちらから申し出たこと、理由もなく反故にすることはできまい」
やった! この結論を待っていた。あと一押しだわ。
「理由はありますわ。私の不貞を糾弾してくださいませ。慰謝料や不平等条約を同盟の条件にするのです」
「それでは、貴方の立場が更に悪くなるのではないか?」
「父は私から王女の身分を剥奪し、知らぬ存ぜぬを通してきましょう。あるいは暗殺を企てるかもしれませんね」
「国を代表して来た者を、安易に切り捨てるか。刺客を放って証拠を消し、無関係を主張するなど、北方よりも始末が悪い。そのような国は信頼に値しないとして、同盟の話を取り消せるということか」
王女でなくなれば、もう父上との親子関係はない。どこへ逃げても、血の絆を辿って見つけることは不可能になる。
「では、もし慰謝料を払うと言ったら? 不平等な条件を飲んでも、貴方を国に戻すほうが得だと判断した場合はどうだ」
「それは……」
「この話には、貴方に不利なことばかり。そんな計画を進言してくる者を、なぜ信じろと言えるのだ」
「あの……」
「そんな都合のいい話、飛びついたら最後。思わぬしっぺ返しがあるのではないかな」
父が私のために慰謝料なんて払うとは思えない。でも、それを証明する術がない。
どう言えばいい? この質問、どう答えれば正解なの? 陛下の信頼を得る。それには……。
「私には、十分に利があります」
「ほう、それはどんな?」
「愛する人と結ばれて、幸せになる未来を得られます」
「あの騎士か。王冠と恋を天秤に架けて、最後に愛を取ると?」
「はい。何より価値あるものでございます」
国王陛下は少し黙った後、さも面白そうに大きな声で笑った。そして、私に右手を差し出して、こう言った。
「よく言った! 我が国は、喜んで貴方に協力しよう」
私を見る陛下の目は、とても優しかった。