100. 未来への誓い
大陸の最西端の村。陸の孤島。海に近い岬に、レイが育った孤児院がある。
そして、その岬の最先端の切り立った崖の上に、あの牧師様が住む教会が立っている。
そこに教会を立てたのは、おそらく厳しい自然と共存する信仰心を培うため。そして、嵐の夜には灯台として、その明かりで船人たちを救うため。
オレンジ色の朝日に照らされた白い石造りの建物は、青い海と空を背にして、草原の緑の中で燃えるようだった。
美しい光景。これを見て、誰が神の存在を疑うことができるだろう。
「レイ、牧師様に会っていくの?」
「ああ、大事な頼みがある」
牧師様は元貴族。そして優秀な魔術師だ。おばば様が戻るまで、教官とお姉様のことを頼んでいこう。
まだ、世が明けたばかりなのに、牧師さんはきちんと式服を着ていた。まるで、私たちが訪ねてくるのを、あらかじめ知っていたかのように。
「レイ。無事でよかった。心配したぞ」
「俺は大丈夫です。空間投影で見せたとおりに」
「目立ちすぎだ。身を隠して生きるなら、もう少し自重すべきだ」
「お説教は次回に。今は時間がない。お願いします」
「お前という子は……。思い立ったら一直線なところは、まったく変わらないな」
牧師様は苦笑しながら、教会の中に私たちを入れてくれた。
ステンドグラスの自然光と、入り口の上にあるバラ窓と呼ばれる光取りから差し込む朝日で、内部は思った以上に明るかった。
祭壇にかけてある布の金糸の刺繍が、日の光をうけてキラキラと輝いている。木製のベンチの落ち着いたたたずまいのおかげで、まぶしさを感じることはないけれど。
「牧師様、すぐに準備をお願いします」
「分かりましたよ。でも、お前にもすることがあるでしょう。少し外しますよ」
牧師様はそう言うと、祭壇の横にあるドアの中に消えてしまった。あそこは、牧師様の仕事部屋。儀式に使う道具が置いてあるはずだけど。
「レイ、何があるの?どうして……」
「しーっ。黙って」
レイが私の唇に人差し指を押し付けた。え、何?うるさくしたつもりはなかったんだけど。何か悪かったのかな。
不審に思っていると、レイが突然その場に跪いた。え、どうしたの?具合悪いの?
心配する私の右手をレイがそっと取る。
「セシル。俺と結婚してほしい」
プロポーズ?うそ。だって、レイは今まで一度もそんなこと言わなかったのに。レイと結婚したいと思っていたのは、いつも私のほうだった。
「今?」
「ああ、今」
「ここで?」
「そう、ここで」
胸が痛い。何か言いたいのに、声にならない。レイが私を妻に望んでくれている!
「私は王女よ」
「知ってる」
「アレクの婚約者なの」
「まだ誓いは立てていない」
「そうだけど、でも……」
レイが私の手をぐっと引いた。そのまま、後頭部にもう一方の手を差し入れて、私の唇を奪う。レイのキスは、チョコレートよりも甘い。
「セシルは俺の女だ。誰にも渡さない。永遠に」
「レイ……」
嬉しいのに、すごく嬉しいのに、なぜか涙が溢れてくる。レイは立ち上がって私を抱きしめて、唇で涙をぬぐってくれた。
「この先、もう二度とセシルを泣かせない。これが最後だ」
「ばかね。悲しくて泣いてるんじゃないわ」
「分かってる」
「レイは意地悪ね。昔から……」
レイは涙で頬に張り付く私の髪を後ろに払ってから、私の両頬を両手で包む。
優しい手。私はずっとこの手に守られてきた。ずっとずっと愛されてきた。
「好きな女の子をいじめるのは、男の悪い癖だ」
「好きな男の子になら、女は泣かされたいものよ」
私が微笑むと、レイはとても嬉しそうに笑った。初めて会ったときの、あの小鳥の雛を助けたときの、あのときの笑顔そのままで。
「一生、泣かせてやる。俺の腕の中で」
「楽しみにしているわ」
「求婚の返事は?俺のものになってくれるか?」
私はレイに思いっきり抱きついた。そんなの、今更じゃない!私はいつだって、いつまでだって、ずっとレイの……。
「もちろんよ!私をレイのものにして!」
レイが歓声を上げて、私を持ち上げる。こんな風にはしゃぐなんて、子供みたい。そんな私も、つい喜びの声をあげてしまう。
「静粛に!」
レイに抱き抱えられたまま、その唇にキスをしようとしたとき、牧師様の厳しい声が響いた。
神聖な教会の中で騒いでいたので、戻ってきていた牧師様に怒られた。私たちは急いで姿勢を正す。
牧師様は、拳を口に当ててコホンと咳をしてから、にこにこ微笑んで言った。
「準備はできましたね。さあ、式を執り行いましょう」
式って、結婚式?本当に、今ここで結婚できるの!私たち、夫婦になるの?
祭壇の前に向き合うように立つ。豪華なドレスもブーケもない。ベストマンもブライドメイズもいない。二人っきりの結婚式。
今までもこれからも。私たちはずっと二人だけで、お互いを見つめて生きていくんだ。
Dearly beloved, we are gathered here to join this man and this woman……
これは、前世の結婚の誓いの文言! 自分のためには、決して聞くことのなかった言葉。どうして……、まさかレイも、過去を覚えているの?
「レイ、この言葉……」
「この教会に伝わる儀式用だ。嫌なら変えてもらう」
「いいえ!このままでいいわ。続けて」
何も聞かなくてもいい。何も知らなくていい。過去は振り返らない。これからは未来に向けて、同じ道を進んでいけるんだから。
「ここに、あなたがたを夫婦と宣言する。花嫁に口付けを」
牧師様の言葉を受けて、レイが私にキスをした。私たちは正式に婚姻を結んだ。誓いは契約。もう誰も違えることはできない。
私はレイの妻。もう王女でもなんでもない、ただの「セシル」になったのだった。