3:勇者となった日のこと。
ぱちり。
目が覚めた。
いつの間に眠っていたんだろうか。あのまま、縁側で寝てしまったんだろうか。今、何時だろうか。
そんなことを考えていたはずなのに。そんなことは、一瞬で吹き飛んでいった。
白かった。
辺り一面が、どこまでも。どこまでも。ただただ白い。けして同じ白さじゃない。はっきりとはわからないけれど、でも、ほんの少しずつ違う白さで、その場所は出来ていた。
床は絵の具のような白さ。
空は雪のような白さ。
床と空の間にはどこかくすんだような白さの、雲のようなものがふわふわと浮かんでいた。
あまりの光景に、言葉をなくしてただただ茫然と見ているしかなかった。
「君が、わしの声に応えてくれた子だね」
我に返ったのは、そんな言葉が聞こえてきたとき。
後ろから聞こえてきたのは、しわがれながらも柔らかい、優しい声だった。
振り返れば、そこにいるのはおじいさんだった。優しそうな顔立ちの、丁度祖母くらいの歳の。
おじいさんはまるで仙人みたいだった。木でできた杖を持っていて、白いローブみたいなのを着てて、真っ白で長い髪とお鬚。
おじいさんは僕に笑いかけながら、ゆっくりとした口調で話し始めた。
「まずは自己紹介といこう。といっても、わしは君に名乗る事は出来ないのだが」
おじいさんは苦笑しながら続ける。
「わしはとある世界で創造神をしておるものだ。わしのことは、創造神とでも呼んでおくれ」
「創造神、さま?」
「うむ。わしが君に名乗れない理由は、君を守るためだ。わしら神の名というのは、それ自体が強い力を持つ。人の子は脆い。わしらの名を知るだけで魂が潰れてしまうからの」
「つぶ、れる」
「魂が潰れてしまっては、輪廻を巡る事すらできなくなってしまう。だからこそ、わしは君に名乗る事ができんのだ」
魂が潰れる。輪廻を巡れなくなる。
それってつまり、死んじゃう上に魂が消えちゃうってこと?うわぁ…。神様の名前って、こわい。
「さて。まずはこの場所の説明をしようか。ここは世界のはざま。君の世界の外側、他の世界へとつながる場所だ」
「はざま…。世界につながる、世界の外側…」
「わしが君をここに呼んだ。正確には、わしの声に応えてくれたものを連れ出したのだ」
「声…?」
「理解しやすいように声と言っているだけだ。実際に話しかけたわけではない。そうさな、波長が合ったとでも言えばいいか。君の世界で言う神隠し、あれが近い」
なるほど。何かを聞いた覚えはないと思ったら、実際に話しかけられたわけじゃなかったのか。
でも、神隠しかぁ…。それってつまり、僕、向こうじゃ行方不明ってこと?いやまぁ、僕が消えても誰も困らないけどさ…。
「わしは君の世界に呼びかけていた。わしの世界を救ってくれるものを探していた。そうして応えてくれたのが、君だった」
「世界を、救う…?」
「そうだ。今、わしの世界は滅亡の危機に瀕してる。突如現れた「魔王」の存在によって」
「魔王、って…」
なにそれ。魔王によって世界が危機に瀕してるとか、どこのゲームの話?つまりこれ、僕に勇者にでもなれってこと?
僕、運動は苦手なんだけど。というかこれって魔物とかと魔族とか、そういうのと戦うって事だよね?無理、無理だよ。殴り合いのケンカとかすらしたことないのに、どうやって戦えって言うの。
「君にはわしの世界に来てもらいたい。「勇者」として、「魔王」を倒してほしい」
やっぱり…。
「あの、僕は、」
「もちろん、そのままで戦えとは言わんよ。必要な力はわしらから授けよう。折れぬ心も、揮う剣も、そのための知識も技量も、すべて」
つまりチート能力はくれる、って事だよね?
折れぬ心、は精神耐性とかかな。命を奪っても気にしなくなる、ってことかな。
揮う剣は聖剣とかかな。最強の専用武器かな?
知識、は創造神様の世界の常識とか言語とかそういうのかな。あとは魔法とかあるならそれも?
技量はそのまま剣術が勝手に身につくって事?
「どうだ、頼まれてくれんか」
「どう、って…」
致せり尽くせり状態なのはわかるけれど。でもこれって僕である必要ない、よね?
「あの、僕には、無理です。他の人に頼んでください…」
僕には無理。勇者なんて、戦えだなんて。そんなの、無理だよ。
「他の人、か。それは不可能だ」
「え?」
不可能?なんで?
「わしが君の世界に干渉できるのは一度だけ。それ以上は許されとらん」
「許すって、誰に…?」
「もちろん君の世界を統べる神に。わしの声に応えてくれたのは君だけだ。よってわしの世界に呼べるのもまた、君だけだ」
「そんな…」
リセマラもクーリングオフもないとか、そんなばかな。ひどい。僕以外無理とかそんなの僕のが無理だよ!
「どうか、頼まれてくれんか。君だけが、わしらにとって最後の希望なんだ」
「最後、って」
創造神様の世界はそれだけ切羽詰まってるってこと?創造神様の世界の人たちじゃ、どうにもならなかった、ってこと?
そんな世界に行って、戦って来いって事?僕が?
「あ、の。僕が断ったら、創造神様の世界は、どうなるんですか…?」
「どう、か。まず間違いなく滅びることになるだろうな。すべての命が「魔王」の搾取の対象になるだろう。動物も魔物も聖獣も、人類種も、いずれは神すらも。何一つとして例外なく。家畜として、道具として、ただ消費されるのみだ」
「そんな…」
なにそれ。なにそれ。流石にそれは。そんなのは。
「なんで、魔王はそんなことするんですか…?創造神様は、どうして魔王なんて作って、」
「「魔王」が何を考えているのかは、わしらには分からん。そしてわしは、「魔王」なぞ創っておらん。あれはわしらの世界の外からやってきた侵略者じゃ」
「侵略者…」
「だからこそ、わしらもまた外の存在を頼る事にしたのだ。わしらの世界には、「魔王」に対抗できるものが存在しないが故に」
そ、っか。魔王って、侵略者なのか。本当に、どうしようもないんだ。創造神様の世界じゃ。対抗手段が、ないのか。
だから、外から。勇者を、呼ぶことにしたのか。同じ外の者なら、って。
僕が、やるしか。僕がやらなきゃ、世界が一つ、滅びるんだ。
「頼む。どうか、わしらの世界を救ってほしい」
「…僕、は。普通の人間、です。取柄なんてないし、痛いのは嫌だし、死ぬのは怖い、です」
「そう、か…」
「で、でも!それ、でも。僕が、僕以外に、できる人はいなくて、僕がやらないと世界が滅ぶとか、そんなの言われたら、」
そう。僕以外。誰もいないなんて。僕がやらなきゃ、世界が滅ぶなんて。大勢の人が、人として扱われないまま死んでいくなんて。そんなの言われたら。
「見捨て、られないです。知らんぷりなんて、できない、から」
「では、」
「や、ります。どこまで、できるかなんて、わからないけれど。できるところまで、がんばります」
「そうか!そうか、…ありがとう。すまない、ありがとう」
創造神様が、嬉しそうに笑って、僕の手を掴むから。
だから僕は、頑張ってみようと思うんだ。はじめて、こんなにも誰かに必要とされたのは、はじめてだから。
そうして僕は、勇者となって創造神様の世界に降り立つことになった。