番外編 いつかの、未来10 ~ありがとうを伝えよう~ 前編
「お母様、美味しい匂いがするわ」
娘のディートリントが、鼻をくんくんさせながら私のスカートの裾を引っ張った。確かに甘い、いい匂いがする。どこのお店かしら、ときょろきょろ辺りを窺ってハッと気がつく。
「あ、もうすぐ感謝の日だわ。それで、あちこちのお店でお菓子を作っているのかも」
「感謝の日?」
「そう、お世話になった人や大事な人にお菓子やお花を渡していつもありがとう、大好きって伝える日なの」
元々は『バレンタインデー』という他の国の風習だったのだけど、数年前から『感謝の日』としてこの国に根付いてきた。
「ディーは、いつも伝えてるよ? お父様もお兄様達も毎日大好きって言ってくれるよ?」
ディートリントが不思議そうに見上げてきた。その無垢な紫の瞳にどう答えようか逡巡する。
「うーん、そうね。でも、こういうきっかけがないと言えないこともあるのかも」
……私、最近、リーンに言ってたっけ?
「大丈夫。お母様も毎日言ってるわ。『みーんな、大好き』って」
「そう、ねえ」
……みーんな、じゃ、リーンは不満に思ってそうね。なんとかしなくちゃ。いえ、それより、さっきディートリントに心を見透かされたような気がするのだけど?
もしかして、そういう能力があるの!? と、じっと我が子の顔を見つめる。
「お母様は考えていることが顔に直ぐ出るから。あ、お父様もお母様のことを考えてる時はすぐわかるわ」
「ええっ、ディーはすごいのね」
「テオ兄様が教えてくれたの。あのね、お母様。ディーも皆に『いつもありがとう、大好き』ってお菓子渡したい。大好きなチョコレートがいいな。たくさん買ってね、余った分はディーのなの」
丸い瞳をきらきらさせておねだりしてきた娘に自然と口がほころぶ。
「いいわね。チョコレートのお店に寄って帰りましょう」
「わー、お母様、大好き!」
スキップするディートリントを連れて訪ねたチョコレート専門店には、いつもよりたくさんの色とりどり、形様々なチョコレートが並んでいた。
「わあ、たっくさん! どれにしようかな!」
ディートリントが飛び跳ねるように棚の間を歩き、その後を侍女がついて行くのを見守ってから、近くの棚のチョコレートを手に取った。
……私もリーンに何か贈ろうかな。
彼は甘い物が苦手だから、お菓子じゃないほうがいいわよね。何がいいかしら、と考えていたら、いつの間にか側に戻ってきたディートリントに、ぐい、と手を引かれた。そのまま隅の棚まで連れていかれる。
「お母様。ディーは、これが欲しいです」
「もう決まったの? ええと、これ……?」
どんなものを選んだのだろうとワクワクしながら棚を眺めた私は、思わず後ろのディートリント付きの侍女へ視線を送ってしまった。
(これで合ってるの!?)
(はい、こちらで合っております)
素早く目線で会話をして、再度、棚に並んだ商品を見つめる。他の物に比べて、リボンも花飾りもない袋に、たくさんの四角いチョコレートが入っているだけ。全く可愛くないけれど、ディートリントは本当にこれがいいのかしら、と棚についている説明書きを読んでさらに困惑する。
「……ディー、これはチョコレートだけど、製菓用、お菓子を作る材料のチョコレートなのよ」
「知ってるわ! ちゃんと説明聞いたもの。お母様、ディーは自分でお菓子を作りたいの」
そういえば、私も昔、チョコレートケーキを焼いたことがあるわ。あの時は膨らまなかったんだけど、もう一度作れば成功するかもしれない。
「いいわね! ケーキにする?」
「ううん、クッキーがいい! このお花やキラキラで飾って皆に渡したいの」
ディートリントが指さした先には小さな袋に入った砂糖で出来た様々な飾りが並んでいて、その可愛さに思わず身を乗り出してしまった。
「えっ、こんな可愛いものがあるの!? 花の砂糖漬け、アラザン、色のついた星まで……いいわねえ。ディーの欲しい物を買っていきましょ」
……こんなに種類があれば、とっても可愛いクッキーができるわね。私も作ってリーンにあげたい! 彼のクッキーは砂糖を減らして作ればいいわよね? どんな顔をするかしら、ワクワクするわ!
「帰ったら、料理長に頼んで教えてもらいましょう」
「ありがとう、お母様。楽しみ!」
材料(大半は飾り)を山のように買い込んで、私達は意気揚々と馬車に乗り込んだ。
■■
「奥様、お嬢様、いいですか? まだ熱いですからね。飾るのは冷めてからですよ」
クッキー作りを手伝ってくれた料理長が真剣な顔で私とディートリントに念を押す。
彼は、館に帰って真っ直ぐ厨房に飛び込んだディートリントのお願いを聞いた途端、遺言を書こうとし始めた。旦那様が怖いっ……! と真っ青な顔で叫ぶ彼を何とかなだめすかして、私とディートリントは刃物を持たないオーブンに近寄らない、と約束して何とか作らせてもらえた。
最終的に、『ここは長である私が全責任を負ってお手伝いいたしますので、なにとぞ他の者には罰がないよう』なんて懇願されたのだけど、そこまで??
普段は思いやりがあって頼もしい料理長なのに、彼にはリーンがどんな風に見えているのかしら? 今度お茶に招待してじっくり聞きたいわ。いえ、それは余計に怖がらせてしまうだけかも。
ぐるぐると考えていたら、チョコとバニラ、二種類の焼きたてクッキーの甘くて香ばしい匂いが漂ってきた。ディートリントが食べたそうに首を伸ばして料理長の手元を覗き込む度、彼の顔が青ざめる。
……今夜、絶対、リーンに料理長への態度を変えるようにって言わなくちゃ。
「……お嬢様、味見してみますか?」
「わーいっ、味見したい!」
根負けしたのか、料理長が天板にずらりと並んだクッキーからチョコとバニラを二枚ずつ取り出してお皿に乗せてくれた。顔いっぱいの笑顔で受け取ったディートリントが、トトトッと私の元へやってきてお皿を差し出した。
「お母様、一緒に食べましょ!」
「あら、分けてくれるの? 嬉しい。ありがとう、ディー」
瞳をきらきらさせた娘をお皿ごとぎゅっと抱きしめて、自然と笑みがこぼれる。
自分の娘と作ったクッキーを食べる日が来るなんて、昔の私が聞いたら、きっとびっくりして飛び上がるでしょうね。
「お母様、これ、ディーが混ぜて型抜きしたのよね」
「そうね。小麦粉とバターと砂糖を入れて混ぜたわね」
「そうそう、それから半分にココア入れて、いろんな形の型で抜いたのよね。楽しかったわ!」
「私もよ。そして、とっても美味しいわ。きっとディーの『ありがとう』がいっぱい入っているからね。さらにチョコレートをかけて飾るなんてどんなに美味しくなるか、ワクワクするわ!」
厨房の隅を借りて、二人でお茶と一緒に食べたクッキーはまだ温かく、ほろりと柔らかかった。
~おまけ~
「お母様のクッキーは綺麗なのに、ディーのはごちゃごちゃしてる。同じ飾りを使っているのにどうして?」
「ああ、ディーは一枚に全部の飾りを乗せようとしてるのね。あれこれ乗せないで、テーマや誰にあげるかを決めたほうがいいかもしれないわ」
「なるほど。お母様が作っているのは誰にあげるの? テーマは何? 銀色のアラザンとお花がいっぱいで花束みたいね」
「え。ええっと、そうね。……リーンに感謝を……」
「わかった! お父様に愛してるって伝えるためのクッキーね」
「えっ、違う、いえ、違わないんだけど、そうはっきりと言われるとなんだか恥ずかしいわ……」
「大丈夫。お母様はお父様を愛してるって、みんな知ってるから」
「み、みんな!?」
「あっ、いいこと思いついた! お母様、耳をこっちに向けて」
みんなってどこまでっ!? と動揺したまま、腰をかがめてディートリントに顔を寄せる。
……親バカって言われそうだけど、うちの子達はみんな、素敵な子に育ったと思う。
「……料理長!」
「ど、どうしました、お嬢様!」
「はい、これディーとお母様から。料理長、いつも美味しい食事やお菓子をありがとう、今日もクッキー作りを手伝ってくれてありがとう、の感謝のクッキーよ」
驚きで固まっている料理長の手の中に、リボンのついた袋に入ったデコレーションクッキーが次から次へと渡され、山になっていく。
「これね、厨房の皆の分。仲良く食べてね。それで、ディーとお母様は、これからお屋敷の人達、みーんなに渡す分を作りたいの、だからまたクッキーを焼きたいからお手伝いお願いします!」
「かしこまりました、お嬢様。たくさん、焼きましょう!」
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
前後編で、今回は家族でバレンタインデー。
この時季ならんでいるチョコレート達は綺麗で可愛くておいしそうで、つい、手が伸びてしまう……。
ということで、本日、コミカライズの電子単行本3巻が発売されました。
一話ごとではなくてまとめて読めるほうですね。
今回、巻末のおまけにMakiya先生によるリーンとエミィの日常イラストがついてます!
それを見て、うわー、こういうのが見たかった!と嬉しさのままに書いた
番外編もありますので、よろしければお手に取ってみてください。




