番外編 いつかの、未来8 ~思い出のドレス~
久しぶりの未来編になります。
ディー4歳、パット8歳、テオ11歳です。
「お母さま、このドレスなあに?」
娘のディートリントが虫干し中のドレスを目敏く見つけて目を輝かせた。彼女はまだ小さいのにきらきら光るものや綺麗な服に目がない。その辺りは父親譲りなのかな、とふわふわの濃い金の髪を撫でれば、まん丸の紫の瞳が私を見上げてニコッと笑った。
この笑顔はリーンに似てると思うのだけど、リーンは私に似てるって譲らないのよね。……別に、どっちに似てても似てなくてもいいのだけど、つい考えてしまうのはなぜかしらね?
小さく首を傾げて可愛い娘を眺めていると、同じように頭を傾けたディートリントがじっとこちらを見ていた。
「お母さま、これ着ないの? ディー、これ着たいなぁ」
よほど気になるのか、もう一度そのドレスの裾を引っ張りながら尋ねてくる。濃い緑の軽やかな生地で仕立てられたそれは、私にとって特別なものだから着られなくなってもこうして毎年風に当てて大事に保存してきた。袖と胸のレース部分も、腰の真珠飾りも当時のまま、傷みはない。
だけど、さすがに腰回りのサイズが……。
小さくため息をついて、期待の眼差しを向けてくる娘に笑顔を向けた。
「このドレスはね、お母様がお父様に初めてもらった思い出のドレスなのよ」
「だいじなの?」
「ええ、とっても大事なものなのよ。……でも、そうねえ」
ふむ、としばらく考えて、私は決断した。
■■
「うわあ、ディーのドレス! お母さま、ありがとう!」
「ディー、よく似合ってるわ。とっても可愛いわよ」
「ううん、お母さまと一緒だから、ディーも『きれい』なの!」
「あら、ごめんなさい。そうね、ディーとっても綺麗よ」
「お母さまも、すっごく似合っててきれいよ!」
ぱっと笑顔になったディートリントが大きな鏡の前でくるっと回ると、深緑のひざ丈のドレスのスカートが大きく膨らみ、袖のレースと腰に付いている真珠の連なりが軽やかに揺れた。その様子が可愛らしくて、ポーズをとる彼女の後ろで私もくるりと回ってみた。同じデザインだけど、私の方は娘のより袖のレースも裾も長く彼女より控えめに広がる。
……母子でお揃いのドレスに憧れて、思い切ってサイズを直して着られるようにしてみたのだけど、15年以上も若い頃のものを今の私が着ていいのかしら。
うーむ、と鏡を覗き込めば、背後から賑やかな歓声と大きな戸惑いの声が飛んできた。
「あっ、母上とディーだ! 新しいドレス!? どっかいくの? 俺もいく!」
「ディー、母上とお揃いのドレス作ってもらえたんだ。よかったね、よく似合ってるよ」
「……エ、エミィ? 君、なんで、そのドレスを着ているの!?」
パッと振り向けば次男のパトリック、長男のテオドール、夫のリーンが扉を開けて覗き込んでいた。そのまま走りこんできたパトリックが私に飛びついてきたのを抱きしめ、その後ろをついてきたテオドールが手放しでディートリントを誉めるのを微笑ましく見守る。最後に真っ青な顔で近づいてきたリーンにどう言い訳しようか悩んだ。
ちょっとした思い付きで……いえ、ディーにせがまれて、ううん、誰かのせいにしちゃだめよね。決めたのは私なんだから、ここはやっぱり、正直に謝らないと。
「リーン、貴方からの贈り物なのに勝手に変えてごめんなさい!」
「エミィ、そんなに痩せちゃったなんて、何があったの!? 僕、もしかして気が付かないうちに君をそこまで痩せさせるほど追い詰めてたの!?」
二人同時に叫んで、あれ? とお互いの顔を見つめて止まる。
「「今、なんて?」」
もう一度お互いの目を見て、どちらからともなく噴き出す。
「ごめんなさい、このドレスはサイズが変わって着られなくなっても大事にしまっておいたのだけど、やっぱり着ないのも勿体ないかなと思って、ここに布を足してサイズを変更しちゃったの」
「なんだ、そうだったんだ。知らないうちに結婚前のドレスが着られるくらい君を憔悴させてたかと思って心臓が止まりかけたよ。わあ、ディー、お母様とお揃いか。綺麗だね」
心の底から安堵したと息をついたリーンが、側のディートリントを大急ぎで褒めた。褒め上手な兄のおかげで賛辞に慣れている娘は、父の出遅れた誉め言葉に口を尖らせた。
「どうしてお父様はいつもいつも、お母様しか見てないの? ディーも同じドレスなのに! でも、きれいって言ってくれたから今回は許してあげる」
つんと顎を上げて両手を差し伸ばしてきた娘を見て笑み崩れたリーンが、ディートリントを抱き上げて頬ずりする。彼は娘が可愛くてたまらないらしく、彼女が生まれてこの方、デレッデレだ。親友のアレクシアに『やきもち焼かないの?』と尋ねられたことがあるが、ここまで突き抜けているとそんな気は起こらない。でも、娘に言わせると私への態度のほうがあからさまにデレているから、かもしれないけど。
「……なんだー、どこにも行かないの? ねえ、母上、せっかく綺麗な服着たんだからどっか行こうよ。海とか山とか、原っぱでもいいよ」
動いていないと耐えられない、を地で行くパトリックが私の腕の中で強請ってきた。彼は隙あらば走り出し、どこかへ行ってしまう。元気なのはいいことだけど、あまりにも活きが良すぎて時々事件になってしまうので、囲いがない場所においそれと放てない。
リーンが抱いていたディートリントを降ろして、しゃがんだ姿勢のまま、うずうずしているパトリックと目線を合わせて笑いを含んだ声で提案した。
「そうだね。せっかくだから僕らもきちんとした格好をして、お茶会でも開こうか」
「えっ、父上、それは……」
リーンの提案に、お行儀よくとか正装の類が苦手なパトリックが怯む。もちろん彼は幼いころから習っているし、もう何度か対外的なお茶会に出ていて、その場では問題なく対応できるのだけど、本心では大嫌い、らしい。
「僕はお茶会に賛成。パット、こんなに綺麗なドレスを着てる女性を山や海に連れて行ってどうするの? そんなに行きたけりゃ一人で庭を走っておいでよ」
「それは飽きたの! 俺もお茶会に行く。あ、じゃあさ、母上、俺の好きなお菓子たくさん出してね!」
テオドールに諭されて渋々頷いたパトリックだったけど、あっという間に機嫌を直して笑顔になると、兄の手を掴んで着替えに走って出ていった。
「いやー、相変わらずパットは嵐のようだね」
リーンは苦笑しつつ、息子たちの背をおどけたように額に手を翳して見送ると、じっと首を傾けて私を見てきた。
……うっ、やっぱりこのドレス、今の年齢で着るのは痛々しすぎたんじゃないかしら。
「リーン、正直に言ってくれていいのよ、似合ってないって!」
リーンの真っ直ぐな視線に堪え切れずに叫べば、彼の目が丸くなり、直ぐに笑み崩れた。
「なに言ってるの、すっごく似合ってる。君が一番似合ってる。それに、長く着て欲しくて年齢を問わないデザインにしたつもりだから、まだまだ着られるよ。もう一度君のこの姿が見られて、僕は今とっても幸福な気持ちなんだ」
しかも、可愛い娘とお揃いだなんて本当に嬉しい、ね? と足元のディートリントに同意を求めたリーンの表情が固まった。
「……お父さま? 今、お母様が一番似合ってるって言った?」
黒い笑顔の愛娘から吐き出された恐怖の一言にリーンの顔が引きつる。冷や汗を流しながら可愛いお姫様の機嫌を取ろうと両手を彷徨わせた。
「ディー、いや、あのね? そう、ディーも一番だよ!」
「ディー、『も』?」
「いえっ、ディーが一番です!」
「ふーん。じゃあ、お母さまは?」
「……エミィは、…………特別、似合ってる……」
これだけは、これだけは譲れないので、ご勘弁を! と半泣きになっている父を見上げたディートリントが盛大にため息をついた。
「本当にお父さまは仕方ないわね。いいわ、テオ兄さまの所に行ってこようっと。お母さま、お父さまとお幸せに!」
「えっ」
ディートリントの黒い笑顔はリーンにそっくり、なんて呑気に眺めていたらどんと押されてリーンの腕の中に押し込まれた。
「ディー!?」
「私だって、本当はお母さまとお父さまが仲良くしているのは特別嬉しいのよね」
ひらり、とドレスの裾を翻して扉を出ていく娘を呆然と見送っていたら、ぎゅうっと抱きしめられた。
「リーン!?」
「ディーに嫌われなくてよかった。だけど、何があっても君が僕の一番で特別だからね。そのドレス、懐かしくてたまらないな。エミィが今ここに居てくれて僕は本当に幸せ!」
頬を染めて宣うリーンにつられて私の顔も熱くなる。
「……私だって、リーンの側に居られて幸せだわ」
素直な気持ちになって、目の前のリーンに顔を寄せたその時。
「ねえ、お茶会の準備できたよ? 俺、お腹減った」
「あっ、パット兄さま! しゃべっちゃダメ!」
「邪魔してごめんね、父上、母上」
扉の隙間から小さな顔が三つ覗いていて、私とリーンは驚くと同時に笑って手を広げた。
「三人とも、いらっしゃい!」
「君たちは、僕とエミィの一番の宝物だよ!」
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
主役のドレスは、本編12話でリーンが贈ったものです。
前回に引き続き大事な物を虫干ししているエミーリア。虫干しシリーズ、なんて。
ついにコミカライズの表紙が新しくなりましたので、その記念のお話でした。
エミーリアが着ていたドレスを見たい方はコミカライズ11話をご覧いただくか、下へスクロールしていただいて新表紙を見ていただければ! Makiya先生デザインの美麗なドレスを着たエミーリアとデレッデレなリーンが見られます。ぜひ!