番外編 公爵夫人、活躍する 後編
「うわ、すっごく辛い!」
「そんなに? 私にも頂戴……かっ!!」
口を押えて涙目になった私にリーンがすかさず水筒を渡してくれた。出かける時にロッテがそっと渡してくれた水筒の意味を、私は今、全力で思い知っている。
港の市場は、元は白だったと思われる砂色の簡易テントで作られた店がずらりと並び、店主と客が活発にやり取りし、道にはたくさんの人とおしゃべりの声がいっぱいに満ちていて馬車の窓から見ているよりとても賑やかで雑多な場所だった。
私はそのままだと目立つし直ぐ正体がばれるので、つばの狭い帽子を深くかぶって、無地の麻のワンピースを着てきた。リーンはこないだ海の向こうの国の使者にもらったスカーフを頭に巻いていつもの街着より簡素でヨレッとしたシャツを着ている。なんだか、本の挿絵で見た海賊っぽくてリーンがリーンじゃないみたいで不思議。そんな非日常のデートな上に、並んでいる商品もエルベの街で売っているものと全然違っていて見たことがないものばかりで、私は着いて早々はしゃいでしまった。
「ミリー、大丈夫?」
久々に使う偽名で呼ばれた私は黙って頷く。だって、この串焼き、香辛料がいっぱいかかっていて口の中がとんでもないことになっている。水を飲んだのに火事みたいだ。売っている時はいい匂いがしておいしそうだったのに。自分が食べたいと強請って毒見までしてもらった手前、もう無理とは言えず私はじっと目の前の串を見つめた。
……この世にこんなに辛い食べ物があったなんて。
「残りは僕が食べるよ」
リーンが気遣ってくれて私の手から串を取り上げた。なんだかいつもそうやってフォローしてもらうのは悪い気がするな、と思ったところで味覚の変化に気がついた。
……ん? 待って、これ、おいしいかも。辛さの後の旨味が後を引く感じで。
「リーン、おいしいわ。……半分こ、しましょ?」
初めての刺激的な味に我慢できなくて、串を持つリーンの手を引っ張って自分の口に運ぶ。辛さが病みつきになりそうだ。
「ミリー、これが気に入ったの? じゃあ、残り全部食べていいよ」
「ありがとう! 貴方の分も買う?」
「うーん、せっかくだから僕は違うのにしようかな」
そう言いながらリーンがくるりと屋台を見渡した。
「あ、あれもおいしいんだよ。それが気に入ったなら、きっと君も好きだと思う。ちょっと買ってくるからここで待ってて」
「わかったわ」
喧噪の中で初めての立ち食いを体験中の私は、串を握りしめて頷いた。店と店の隙間で人波を避けて黙々と串にかじりついていたらあっという間に食べ終わってしまった。ちょっと汚れてしまった手を眺めて辺りを見回す。
「手を洗える所はあるかしら」
買った店に串を返して尋ねれば、少し先の木陰を示された。礼を言って歩き出し、小さな水場で手を綺麗にしてからふと気がついた。
あ、何も言わないで来ちゃった……うーん、でも、リーンが買って戻ってくるまでに元の場所に居れば大丈夫かな。それに間に合わなくても、護衛の人がいるはずだし、きっとリーンに連絡してくれるわよね。
そう思うと気が楽になって、ついでに近くの店も覗いていこうと決めた。
他国からの船が多数入港してくるこの場所で売っているのは珍しいものばかりで、それを目当てに仕入れに来る商人や、安く買えると聞いて物見遊山でやってくる一般の人が入り混じって通りは大混雑している。私はその人波に流されるように移動していった。
辺りには慣れない匂いが漂い、綺麗な柄の布や手の込んだ細工物、木でできた何か得体のしれない置物に囲まれて、まるで異国に迷い込んだようだ。……そして、元居た場所に帰る道すがらさっと眺めるだけにするつもりだったのに、私はいつの間にか草花をかたどって薄い青色の石があしらわれた金細工のペーパーウェイトを手に取っていた。
この辺では見ない不思議な模様でリーンの色。机に置いたら仕事がはかどりそう。
わくわくしながら、これ買うわ、と言い掛けて大事なことを思い出した。
そうだ、私のお財布はリーンが持っているんだった! 着いて直ぐに掏摸の話を聞いて怖くなって預けたのよね。ということは、今は何も買えないってことだわ。
がっかりしながら商品をあった場所に戻す。
「なんだ。お嬢さん、買わねえのか」
「ええ。欲しかったのだけど、お財布を忘れてきたのを思い出したの」
店主にも残念な気持ちが伝わったのか、そりゃついてねえな、と慰められて別れを告げた。そこからは買えないことがわかって、さらっと店内を眺めて通り過ぎるだけになってしまった。欲しい商品を探すというより全体を見るようになり、ふとある店の前で足が止まった。
……あれ? この細工物、さっきのお店の物によく似ているけど、値段が倍以上だわ。素材が違うのかしら?
一応、買うつもりで見ていた物なのでよく覚えている。手にとって目線の高さまで上げて矯めつ眇めつする。
全く同じものに見える、というよりこちらの方の品質が劣っている気がするような? ……そりゃ、値付けは店の自由よ。だけど、さすがに倍はどうかと思うの。いえ、さっきのお店が後ろ暗いことがあって安く売ってたとか? そういえば、こういう細工物は帝国の南方の特産品で今日見ていた書類に最近の相場が載っていたような。えーと、思い出せ、私!
「……あ、こっちがぼったくりだわ」
「なんだと? よお、お嬢ちゃん。一人前にいちゃもんつけようってのか?」
しばらく手の上の商品を睨んでいた私の口から、ぽんと答えが出た途端、隣にいた店主らしい男に腕を掴まれた。はずみで、ポロリと商品が落ちて地面の上で砕ける。
うそ、中は粘土? 金メッキだったってこと!? なんてこと、このお店、詐欺じゃない!?
睨んでくる男への恐怖より、この店が客を騙していることへの怒りが勝った。
「貴方がた、こんなすぐ壊れる紛い物をこんな高値で売って恥ずかしくないの!?」
「なに言ってんだ、アンタが壊したんだろ? もちろん詫び料つけて弁償してくれるんだろうな?」
「お金なんか持ってないわ!」
叫んで腕を振りほどこうとしたのに、逆に両腕をがっちりつかみ直されてしまった。
こ、これはまずい状態では!? ……あれっ? そういえば私の護衛はどこに行ったの?
きょろきょろと周囲を見るも、この騒ぎで物見高い人々が集まってきているだけで、誰も助けてくれそうになかった。
なるほど、自分で何とかするしかないってことね!
うん、と気合を入れて目の前の男を睨みつける。がっちりと目を合わせて抗議の視線を送ると、男の表情が訝し気に変わった。
あっ、何か言われる前にこちらから先制攻撃しなきゃ。攻撃は最大の防御だってアルベルタお姉様に教わったの!
「……アンタ、その瞳」
「うちの管理する場所で、こんな商売、許せないわ!」
とりあえずこの拘束から逃れないと、と力いっぱい腕を振ったら、はずみでかぶっていた帽子が飛んで行った。一緒に髪をまとめていたピンも飛んで行ったらしく、視界に灰色が広がった。
「なんだと? アンタ、もしかしてっ」
男が突然逃げ出そうと身を翻し、慌てた私は逃がすまいとその腰にしがみついた。
「待ちなさい! 逃がさないわよ、私と一緒に来なさい!」
だけど、力で敵うはずもなく。私は男の腰巾着のようにずるずると引きずられていく。
絶対に離すものか、ずるい商売をしているのを見つけたのに、逃げられて終わりなんて領主夫人失格だ。
相手のお腹にぎゅうっと腕を巻き付けて引きずられているとだんだん掴まる力が弱くなり、さらに手に爪を立てられ引きちぎるようにして離されそうになり、思わず泣きそうな声が出た。
「だれか、……リーン、助けて!」
「エミィ!」
その声が聞こえた途端、安堵で腕の力が復活した私は、ついに男を引き倒すことに成功した。その勢いで男の背中に覆いかぶさるように乗って駆け寄ってきたリーンを見上げる。
「リーン、捕まえたわ! この人、ここで悪どい商売をしてたの!」
側まで来たリーンはすごい無表情で男から私を引きはがし、抱き寄せてから後ろから追いついてきた護衛たちに捕えさせた。
「こいつを騎士団詰め所に連行しといて。後でじっくり話を聞くから」
「あれ見て、金メッキした粘土細工をあんな値段で売ってたの、詐欺よ!」
彼の腕の中でジタバタしながら訴えれば、なんだかうす寒い笑顔を向けられた。
「うん、お手柄だよ、エミィ。ちょっと前から噂になっていて、こっちも調べていたのだけど、なかなか尻尾が掴めなかったんだ。だけどね、」
そこで言葉を切ったリーンの顔いっぱいに笑みが広がってあたりの気温が一気に下がった。
え、なんで? 褒められているはずなのに逃げ出したくなってきたわ。
体をひねってみても、腕から抜け出せそうにない。……このままだとなんだか不味いような。
「あの、リーン?」
「……待っているはずの妻が消えて、さらに護衛からも見失ったと連絡が来て、必死で探せば僕以外の男にしがみついてるって、ショックすぎて、もう泣きそう」
笑みを浮かべたままの表情と言っている内容が違いすぎて困惑する。でも、本当に涙がこぼれそうに見えてきて私は慌てた。
「な、泣かないで! 私だって好きでしがみついたわけじゃないわ、公爵夫人として許せなくて絶対に捕まえなくちゃって思っただけなの。私が好きでしがみつくのはリーンだけだから!」
「そう? じゃあ今回はなかったことにして、これからは好きでも嫌いでも犯罪者を捕まえるためでも僕以外には一生しがみつかないでね、約束だよ?」
リーンが泣かないのなら、と大きく頷くと、彼はやっといつもの笑顔になった。
「エミィが無事で本当によかった。君がいなくなってものすごく焦ったよ。次からは絶対に自分だけで何とかしようと思わないで、まず僕に知らせてね。君が許せないものは、どこまで逃げようと隠れようと何があってもどんなことをしてでも僕が絶対に排除するから」
それに僕も好きでしがみつくのは愛する君だけだからね、と続けて宣言され、顔が赤くなる。
リーンってば、なんて恥ずかしいことを外で言うの……いや、待って、先に言ったの私だわ!
とんでもない事実に気がついて、こんな公衆の場でなんてことを、と周囲を見渡せば思いっきり人だかりができていた。
「あれ、ハーフェルト公爵夫妻だよ」
「なんでも市場の潜入捜査を自らされていたらしいぞ」
「公爵夫人がぼったくってた店主を捕まえたらしいな」
「よかった、市場のこと気にしてくれてたんだねえ」
変装道具の帽子はどこかにいっちゃったし、リーンは私の名前を呼んでるし、もう色々バレバレね。
~~おまけ 領主夫人のお買い物~~
集まった人々に領主夫妻としてきちんと挨拶をした後、私はリーンの袖を引っ張った。
「リーン、私のお財布頂戴」
「ん? 何か欲しいものあったの?」
「ええ。お財布がなくて諦めたの買ってくる!」
「待って待って、一緒に行くから。もう君を見失うのはこりごりだよ」
「ええ……ごめんなさい。だけど、これは一人で買いに行きたいから!」
「わかった。僕は目隠しして見ないようにするから、エミィが僕の手を引いて連れて行って」
「そこまでする!?」
後日、目隠しで手をつないで買い物をする恋人たちが増えたとか……。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
全編と後編で文字数のバランスが偏ってますがご勘弁ください。
エミーリアがどこかのおじさんにしがみついてるなんて、リーンにとってはこの世が終わるくらいショックだっただろうなあと……。




