番外編 公爵夫人、活躍する 前編
前後編です。
※時期は結婚1年後くらいです。
「エミーリア様、こちらも追加です」
どさどさっと音がして顔の横に分厚い本と大量の紙束が積まれる。今書いている書類の上に突っ伏して嘆きたくなるのを押さえて軽く頷いた。
「わかったわ。ヘンリック、これはいつまでに?」
「できるのであれば、明日までに。無理でしたら、」
「できるわよ!」
キッと振り向いて眼鏡を光らせるヘンリックを威嚇する。
これは私のやるべき仕事よ、もう公爵夫人になって一年が過ぎたのだからやれる、やってやるわ!
エイッと気合を入れ直してペンを握る。
「奥様、少し休憩なさっては?」
「そうですよ、朝からずっとお仕事しているじゃないですか。おいしいケーキがあるんですよ」
「まだ、大丈夫。後でいただくわ」
優しい言葉をかけてくれるロッテとミアへ首を振ってから、ガバッと机に覆いかぶさってがりがりとペンを走らせる。
さすがハーフェルト公爵家、館の設備維持費が桁違いだわ。だけど、それを補って余りあるほどのエルベの街や貿易からの税収があり、離れた領地からもかなり収入がある。だからといって無駄遣いはするべきじゃない。
「……ええと、これ、もっと削ってもいいんじゃない?」
週に何回か、リーンをお城に送ったらまた戻って来て屋敷のことを教えてくれているヘンリックに提案してみると、ギラッと眼鏡が光った。その圧に一瞬怯んだ後、負けじとキッと見つめ返す。
ええい、こんなところで負けてなるものか。私が必要ないって思ったらいらないと思うの!
くいっと眼鏡を指で持ち上げたヘンリックが呆れたように声を上げた。
「それは公爵夫人であるエミーリア様に関わる予算ですよ、もっと減らせと?」
こくこくと頷くと盛大にため息をつかれた。
だってもうドレスも装飾品もぬいぐるみも本も、この一年で相当数揃えてもらっている。正直、欲しい物なんて何もない。なくってもいい予算だと思う。
そう告げればヘンリックの目が吊り上がった。
不味い、これはお説教される前触れだ。身構えると同時に苛立った声が飛んできた。
「まさか、ドレスをこれ以上作らないおつもりですか? 貴方はハーフェルト公爵夫人なのですよ!? お茶会や夜会、街を歩く時ですら人の注目を浴びるのです、常に最新流行の物を着て、一分の隙なく立ち回るのが貴方の一番大事なお仕事でしょうが」
「それは、わかっているけど、この予算、突出して高額じゃない? ほら、当主のリーンより多いなんて、使いすぎじゃないかと」
「それでいいんだよ、僕は君に不自由させないって誓ったんだから」
ガチャッと扉の開く音がして笑顔のリーンが入ってくると同時に、隣のヘンリックが私に反論しようと開いた口をピタリと閉じた気配がした。
あっ、私がリーンに言いくるめられると思ってるわね? 残念、今日こそはリーンの口車に乗らないんだから!
グッと眉間に力を入れて夫であるリーンを見つめる。
相変わらず無駄にキラキラしているわね。今日もあっという間に帰ってきちゃうし、お城の仕事はどうしてるのよ。いつも気が付いたら彼の言うようになっちゃってるから、今日はそうなる前に私から先制攻撃して逆に言いくるめて見せるわ!
私は決意と共に椅子から立ち上がると、机の上の予算書をリーンに向かって突きつけた。
「じゃあ、リーンと同じ額はどう!? 夫婦なんだから同じにするべきだと思うの」
これならどうだっ、と胸を反らせた私の前に満面の笑みで近づいてきたリーンが書類を覗き込む。
「君が望むなら、そうしよう」
机の上のペンをとってさらさらと数字を修正していく。
え、こんなにあっさり意見が通っちゃっていいの? ヘンリックと二人でもっと色々言ってくるかと思ってた。もしかして、私、リーンを言いくるめる技術が上がったのかな?
達成感に浸っている私の前に修正された書類が突き出された。
「そうだよね、君の言う通り夫婦だもの、同じ額にするべきだったよ。これでいいよね? エミィが言い出したんだから、まさか撤回しないよね?」
リーンの笑顔の黒さに嫌な予感がして書類の数字を確認した私は悲鳴を上げた。
「やだ、なんで数字が一桁増えてるのっ!?」
確かに、『同じ』って言った。だからってリーンの予算をどんと上げてくるなんて! こんなの、想定していなかった……。
「エミィが『夫婦は同じ額であるべき』といってくれたから直したんだ。今年は夫婦で思いっきり着飾って夜会で君を自慢するよ。あー、楽しみだなあ」
もちろん、着飾らなくても君は最高に美しくて可愛い自慢の妻だよ、と続けたリーンの楽しそうな声を聞きながら、私は口惜しさと自分の迂闊さに身を震わせていた。隣ではヘンリックがこらえきれずに噴き出す気配までした。
「……エミィ、そろそろ機嫌を直してよ」
「いや。だったらあの予算を元に戻して」
「大体、あの額でもハーフェルト公爵夫人としてはかなり少ないんだよ?」
「……でも、私にそんなにかけてもらうなんて勿体ないわ。そりゃ、貴方はなんでも似合うし、何を着てもかっこいいけれど私は、」
「なにを言ってるの、僕の方が君の添え物だよ。それに君を着飾るのは我らハーフェルト家一同の楽しみなんだから、そんなこと言わないで欲しいな。エミィは本当に可愛くて飾りがいがあって、素敵な公爵夫人で僕の大事な奥さんなんだから、もっと自信もって」
ひょいと私を膝に乗せたリーンがいつものように賛辞を贈ってくれる。毎日の恒例になってもいまだ慣れなくて恥ずかしさで顔が赤くなる。だけど最近は、それに加えて心から言ってくれていることに喜びを感じるようになってきた。リーンには勝てないなあ、ともたれかかってぎゅっと抱きつくと、嬉しそうに抱きしめ返されて全身に幸せが満ちた。
「ところで、可愛い奥さん。僕と港の市場へデートに行きませんか?」
「港? 行きたい! 行くわ! 行きましょう!」
私は即座に応えて一緒に座っていたソファから飛び降りるとリーンの手を引っ張った。
エルベの街は自由に行けるけど、その向こうの港に隣接している市場は治安が悪いからと一度か二度、馬車で通り抜けただけだ。小さな窓から眺めるその場所は、人がひしめいて活気があって珍しいものがたくさん並んでいて、いつかあの中を歩いてみたいと思っていたのだ。だけど、急にどういう心変わりだろう? じっと見ていたら疑問が伝わったのか、リーンが困ったように笑った。
「エミィの公爵夫人としての仕事が随分と広がったから、そろそろ市場にも出入りする必要があるでしょ。だから危険な場所とか覚えてもらおうと思って。とりあえず、今日は領主夫妻だとばれないようにして行ってみようよ」
そうよね、公爵家の収入の結構な部分を占めているものね、港。しかも、色々トラブルが多いのもここ。うんうんと頷いてハッと気が付く。……ばれないように行くって言ったわね? そういうお忍びデートは久しぶりだわ!
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
久しぶりのエミーリア視点ですかね。次回はデートだ?!
コミカライズの方も、9話から書下ろしシーンが入っているのでよかったら覗いてやってください。両想いが判明した次の日、とか・・・・。
 





 
