番外編 特別な冬の一日
※引き続き新婚時代です。
「エミィ、雪だ! 庭が真っ白だよ」
「んー」
リーンの弾んだ声に、胸に抱え込んだ枕に乗せていた頭を動かして窓の方を向く。まだ重いまぶたを薄く開けたら、真っ白な光が入ってきて直ぐに目を閉じた。
「眩しくて目が開けられないわ」
「君の場合、眩しいというよりまだ目が覚めきっていないのが原因でしょ。ほら、王都でこんなに積もっているのは初めて見たよ」
珍しく興奮しているリーンが私を枕ごと抱き上げて窓の側へ運んでいく。被っていた掛け布から出されて寒さに身を震わせつつ窓の外へ目を向けると、そこにはまばゆいばかりの白銀が広がっていた。
……し、白い。これ全部雪なの!?
思わず、ぽんと飛び降りて枕をリーンに渡し、窓に張り付いて外を眺める。
すごい、木も街の建物も全てが真っ白でキラキラ光ってる!
「これ全部、雪なの!?」
「うん、ここまで積もるのは珍しいね」
しばらく二人で窓に顔をくっつけて、その稀な景色を眺めていた。
っくしょん
「奥様!? お目覚めですか? まあ、そんな格好のままではお風邪を引いてしまいますよ」
暖かい室内とはいえ窓際は冷える。うっかりくしゃみをした途端、扉が開いてミアとロッテが入ってきた。
まあ、旦那様まで一緒になって、とロッテに叱られつつ隣の居間の暖炉の前に移動させられ温かいお茶を渡された。
……体の中から暖まって目が覚めていく感じがする。
ホッと息をついてお茶を飲み干したところで今度は廊下に面した扉が開いて、ヘンリックが顔を覗かせた。
「あっ、リーンハルト様、まだそんな格好で! この雪なのですから、いつもより早く出発しないと間に合わないでしょう!」
「…………この雪だから今日はお休みで」
「何を言っているのですか、この雪で国中が混乱してますよ! いつも以上に忙しくなるに決まってるでしょう!」
「だよねえ。エミィ、一緒に雪を楽しめなくてごめんね」
ヘンリックに首根っこを掴まれて引きずられながらリーンが謝ってきたが、私は首を横に振って彼と一緒に朝食を摂って見送るために立ち上がった。
■■
朝食後、あっという間にリーンは城へ行ってしまった。残された私は執事や我が家の騎士団長に教わりながら、雪に混乱するエルベの街を正常に近づけるべく指示を出していた。
「被害額は明日以降に申告してもらうことにして、とにかく今は道の雪を除けましょう。うちのことは最低限でいいわ。手の空いている人は全員、街の雪かきに行ってもらって」
「では、早速そのように手配します」
「奥様、除けた雪をどこに集めるか考えなくてはいけません」
ああそうか、直ぐには融けないものね。
うーんと唸りながら窓の外を見れば遠くの庭に雪山ができていて、邸内に住んでいる使用人の子供達が板のようなものに乗って滑っていた。
わあ、楽しそう。……ん? あれって雪をたくさん使うわよね?
「二人とも外を見て! 子供たちが遊べるように街の広場に雪で山を作りましょう! こんなに積もって大変だけど、楽しむことも大事だと思うの」
「良い案だと思います」
「おお、悪くないですな。ちなみにあれは朝起きて直ぐ子供達にせがまれて私が作ったんですよ」
「そうなの?!」
「ホウ。では、団長殿は広場で雪山の指揮を執るということで」
二人に賛成してもらえたので、雪は街の中心にある広場へ集められることになった。
大きな雪山でソリ滑り……すごく、楽しそう。
「あの、私も雪かきのお手伝いに行くわ」
そう言いながら執事と騎士団長にくっついて部屋を出ようとすると、真っ青になった二人が振り返って私を押し止めてきた。
「何をおっしゃいます、奥様は司令塔ですぞ。屋敷内にいないといけません」
「そうですよ。奥様は雪に慣れておられないのですから、怪我をなさってしまいます」
それは皆も一緒じゃないかしら、と言いたかったけれど、彼等の顔に『奥様に何かあったら旦那様が怖い』と書いてあったので、それ以上の無理は言えずおとなしく引き下がった。
「そういえば本日は午後からヴェーザー伯爵夫人とのお約束がございましたね」
明らかにほっとしたような執事の声に私は片眉をあげて窓の外を見た。
「そういえばそうだったわね。だけど、この雪では来られないんじゃないかしら」
もう日が昇ったというのに、窓の外の雪は変わらずどっさり積もったままだ。楽しみにしていたけれど、こんな馬車での移動が困難な中わざわざ来てもらうのは悪い。延期してもらうよう連絡をしなければ。
「誰かヴェーザー伯爵邸にお使いを頼みたいのだけど……あ、もしかして行けそうな人は皆、街の雪かきへ派遣中かしら」
困ったわね、と執事達と顔を見合わせたところでミアが駆け込んできた。
「奥様、ヴェーザー伯爵夫人がおいでになったと正門の門衛から連絡が」
「えっ?! 約束の時間はまだ先よね?」
驚いて玄関まで走っていくと、正門からこの屋敷まで続く広い道を一頭の馬が雪を蹴散らしながら駆けてくるのが見えた。
……馬?! そうか、馬車は無理だけど馬ならこの雪でも平気なのね。だけど、操っている人がアレクシアにしては大きいような?
雪をかぶって白くなった大きな黒馬は、まっすぐこちらへ向かってきつつ、ゆっくりとスピードを落として目の前の車寄せで止まった。見上げればヴェーザー伯爵が乗っていて、その腕の中には暖かそうな外套にくるまれた彼の妻であり私の友人のアレクシアがいた。
「エミーリア、約束より早くてごめんなさいね! この雪で馬車が動かせなくて困っていたら、ギュンター様が騎乗なら行けるからって登城のついでに連れてきてくれたの」
「そうだったのね。うちは今、人手が足りてなくて十分なおもてなしができないかもしれないけれど、来てくれて嬉しいわ」
「おもてなしなんていいの。私は今日のような特別な日に、エミーリアに会いたかったのよ!」
ぽん、と馬から飛び降りたアレクシアは赤い頬で私に抱きついてきた。その後ろで身体についた雪を落としながら馬を降りた伯爵は、大きな体を申し訳なさそうに折り曲げて私へ挨拶してくれた。伯爵は見た目が少し怖いのだけど、物腰は柔らかくて穏やかなのでとても話しやすい方だ。
「ハーフェルト公爵夫人、連絡もせず大幅に時間を違えて訪問したことをお許しいただきたい。……その、アレクシアがこの雪に大興奮してしまって屋敷に置いておくのは忍びなかったもので」
「わかります。私も同じ気持ちでしたから。この雪で騎士団のほうもお忙しいのにありがとうございました」
私が丁寧に挨拶を返すと、伯爵はほっとしたように笑って馬にまたがった。
「あっ、伯爵様、少し休んでお茶でも飲んでいかれては……」
「いえ、あちこち見回ってから城へ行きたいのでこのまま失礼いたします。また夕刻に家の者が迎えに来ますので、それまで妻をよろしくお願いします」
「ギュンター様、連れてきてくれてありがとう。いってらっしゃーい!」
さらりと言って来た時と同じように雪を蹴散らして去っていく夫へ、アレクシアが無邪気に手を振って見送っている。
他の夫婦の様子を見るのは初めてだけど、なんだかあっさりしてるのね。うちはリーンがいつも『エミィと離れたくない』となかなか行かなくてあの手この手で送り出しているというのに……いえ、待って。もしかして、私達のほうが見送りに時間をかけすぎなのでは?!
今までの経験から考えてその可能性が高そうだ、と頭を抱えていたら、振り返ったアレクシアが首を傾げた。
「エミーリア、どうしたの?」
「いえ、うちと見送りの感じが違うなと思って」
「そんなの、夫婦で違うわよ。見送りをしない人達だっているかもしれないし」
そういえば私の両親もしていなかった気がする。
「それに、私だって屋敷ではもう少し違うお見送りをするしね」
「そうなの?!」
「そうよ。だから、あんまり人と自分をあれこれ比べないほうがいいわよ。皆同じなんて、つまらないでしょ?」
なるほど、それはそうかも。だけど、リーンには毎朝もう少し潔く私と別れて登城して欲しいと思う。
■■
昼食後、お気に入りのサンルームでアレクシアとお茶をすることになった。ここは四方の壁のうち2面が全面ガラスの扉になっているので、屋内にいながら庭を見渡すことができる特等席なのだ。
本当は人手も足りないし二人で邸内の雪かきなど手伝うと申し出たのだが、皆真っ青になって首を横に振るばかりで、結局、私達は美味しいお菓子と温かいお茶とともにここに仕舞い込まれてしまった。
「ねえ、エミーリア。貴方、雪遊びをしたことがある? 私はないわ」
お菓子を食べ終えたアレクシアが手元のお茶のカップをじっと見つめてつぶやいた。私はビスケットを口に入れたばかりだったので首を小さく横に振って答えに代えると、顔をあげたアレクシアの目がきらりと光った。
「今、この屋敷内は人が少ないのよね。エミーリア、私のコートが置いてある場所、分かる?」
その一言で私にも彼女の意図するところが分かった。もちろん、と応えて椅子から勢いよく立ち上がる。
「ついでに私の分も取ってくるわ!」
「……エミーリア、雪だるま! まずは雪だるま作りましょ!」
「いいわね! 大きな雪玉を3つ作ればいいのよね?」
人目がないのをいいことに、サンルームの扉から庭へ出て二人で雪玉を転がす。雪はサラサラでうまくまとまらなかったり大きくなる直前で砕け散ったり、なかなかうまくいかなかったけれど、最終的に何とか小さめの雪玉が3つ揃った。
「エミーリア、そーっとよ、割らないでね」
アレクシアが心配そうに見守る中、私が雪玉を重ねて、彼女がいつの間にか集めていた石や棒で顔や手を作る。
「やった! 出来たわ! 雪だるまよ!」
「奥様、これは一体……」
「ひゃっ?!」
2人で手を取り合って完成を喜んだところに後ろから声がして飛び上がって振り向けば、街から帰ってきたばかりらしい執事がいた。なぜ、ここに? と思って周囲を見回せばそこは玄関のすぐ横だった。雪玉を作るのに夢中になっていたのと、真っ白な雪のせいで周囲の景色がいつもと違っていて、こんなところまで来ていたことに気がつかなかったらしい。
「あの、これは……」
「……なるほど、お二人は雪遊びをされたかったのですね。気がつかず申し訳ありませんでした。この辺りならまあ、安全でしょうからお好きなだけ雪だるまを作ってくださって結構ですよ」
「えっ、本当?! ありがとう!」
アレクシアと両手を合わせて喜べば、奥様考案の広場の雪山も子供達だけでなく、大人にも好評でソリすべり待ちの列ができていましたよ、と教えられた。
「ソリすべり!? 私もやりたい!」
アレクシアの叫びに執事がさっと手をあげると、雪かきから戻ってきた人達がスコップ片手に集まってきた。
■■
「うわっ、ナニコレ……雪だるまの群れ?」
「おかえりなさいませ、旦那様。そちらは奥様とヴェーザー伯爵夫人の合作でございます」
「えええ……あの雪山も?」
「あちらは使用人総出で作った雪山でございます。奥様と伯爵夫人も、我々も楽しくソリすべりをさせていただきました」
「………………なんて羨ましいことをしてるんだ」
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
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コミカライズしてくださるのはMakiya先生です。いやもう、本当に先生の描く二人は綺麗で、ギャグのミニキャラとか二人の小さい頃とかめちゃくちゃ可愛いんです。
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