番外編 公爵夫妻、街へ行く5
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「リーン、どこかで水をもらって来ましょうか?」
顔や手を洗いたいのではないかと思って、彼から離れつつ尋ねると、強い力で腕を掴まれ引き戻された。
そんなにきつく掴まれたのは初めてだったので驚いて振り向くと、リーンが怖い顔で私を見ていた。
「だめ、僕から絶対離れないで。水の場所はわかるし、後で自分で行くから。」
あまりの気迫に、怖くなった私は首を縦に振るのが精一杯で、後は彼の顔を見ないように下を向いていた。
腕を掴まれたままで、沈黙が続く。
こんなことは初めてで、どうしていいかわからなかった。
いつも優しい彼が、こんなに怒るようなことを私はしてしまったということが、悲しかった。
うつむいたまま、目の前がぼやけてきた時、空気が動いて彼の体温に包まれていた。
「怖がらせてごめん。君を一人にした僕が悪いのに、こんなの八つ当たりだ。だけど、君が店にいなくて、連れて行かれたって聞いた時、僕は本当に怖かったんだ。」
私の背中にまわされた彼の手に力がこもる。まるで私がそこにいるのを必死に確認しているようだった。
「この間のように、髪がなくなっていたら?今度は手や足がなくなっているかも、それどころか命がなくなっていたら?君が僕の前からいなくなると思っただけで、僕は狂いそうだった。もう2度と、君がいない生活には戻りたくないんだ。」
そう言うと、リーンは私の肩に顔を埋めて泣きそうな声で懇願した。
「お願い、ずっと僕の側にいて。僕の見えないところに行かないで。」
私も腕を伸ばして彼をぎゅっと抱きしめる。
「リーン、いなくなってごめんなさい。もう2度と貴方を悲しませるようなことはしないわ。」
「うん。じゃあ、君の護衛を増やすね。それから、明日から一緒に城に行こう。皆、君と話したがってたし、僕の仕事が終わるまで執務室でお茶でもしてたらいいよ。」
いきなり活気づいたリーンが、滔々ととんでもない計画を語りだした。
え、本気じゃないよね?
絶句していたら、パンパーンッと音が鳴って、私は飛び上がった。
既にリーンの腕の中にいたものの、さらにぎゅううっと力を入れてしがみついたので、流石の彼も苦しそうな声を出した。
「エ、エミィ・・・。」
「あれナニ、あの音!鉄砲?」
今度は彼の服を掴んでガクガク揺さぶる。あんな音がこんな街中で聞こえるなんて。
「落ち着いて、危ないものではないから。」
リーンがそう言いながら、私の腕を解いて手を繋ぐ。
「あれは花火の予告。もうすぐ日が暮れるし、1時間後くらいに上がるはず。」
「花火?!見たことないから見たいわ!でも、帰邸が遅くなるから難しいかしらね・・・。」
残念がっていると隣からクスクスと笑う声が聞こえてきた。
「そういうと思って、夕飯はこっちで食べて帰るって伝えてあるよ。ゆっくり花火を見て帰ろう。」
「ほんとに?!うわー、街でご飯を食べるのも初めてだわ!今日は初めてだらけね!連れてきてくれてありがとう、リーン。」
私は思わずジャンプして彼に抱きついた。
すかさず抱きしめ返されて、やりすぎたと我に返るも、もう逃げ出す余地は残ってない。
誰にも見えない彼の腕の中で、私1人が赤くなっていく。
誰も私達に気が付きませんように!
「アクシデントはあったけれど、君が喜んでくれて良かったよ。でも、絶対に手は離さないでね。」
耳元に顔を寄せてきて、ちょっぴり怖い声で釘を刺してきた彼に、私は真剣に頷いた。
また離れ離れになったら2度と街に来れない気がするから。
街の各大通りが行き着く先、敷石が放射状になった場所に広場はあった。
中心から円を描く敷石に沿って屋台が並び、いい匂いがあたりに充満している。
まだ1時間前だと言うのに、もう人が集まり始めていて、人気なのか、行列ができ始めている店もあった。
リーンはぐるりと広場を見回して、屋台の1つを指差すと、そこに向かって歩き始めた。
「まずはあの店に行こう。あの子達のおかげで結局、おやつを食べ損ねたしね。エミィは知らない人にも、知ってる人にも、ついて行かないこと。いいね?」
「はーい。」
私は素直に返事をして、彼についていった。
その屋台は結構並んでいて、私の位置からは何を売っているのか見えなかった。
景観優先なのか、どの屋台も同じ白いテントで派手な看板もなく落ち着いた感じに揃えてある。
トントンと列は進んで、あと数人、というところまで来たとき、私は声を上げた。
「あ、クレープだわ!リーン、クレープよ!」
驚く私に隣の彼がちょっと得意げに説明してくれる。
「うん、この時間はここに移動して売ってるんだってさ。店舗よりメニューが少ないけど、ここ限定もあるらしいから。」
それを聞いた私は、うっと詰まった。
人気の定番を頼むか、こんな特別な時にしか食べられない限定にするか、とても難しい決断を迫られている・・・!
眉間にシワを寄せて悩んでいると彼が吹き出した。
「そんなに難しい顔して、迷わなくても。定番と限定を1個づつ買って交換しよ?」
「食べかけを交換するの?嫌じゃない?」
「キスする仲なのに何を今更。」
「わあっ?!なんてこと言うの!」
結局、私が定番、リーンが限定を買ってあちこちに設置されている臨時のベンチに座って食べた。
ミアのオススメのお店だけあって、クリームと果物がたっぷりでアイスも乗っていて、どちらも美味しかった。
ただ、私には量が多すぎた。
「も、もう何も食べられない。」
「エミィ・・・君、いつになったら僕が抱きあげられないくらい太ってくれるわけ?料理長ももっと食べて欲しいって言ってたよ。」
クレープ1個で音を上げた私に、彼が呆れた声を出す。
実家ではいつもパンひと切れとスープで、それに胃が慣れてしまっている。
婚家のご飯がいくら美味しくて好きなだけ食べられようと、急には胃は大きくならないのだ。
食べているうちに日は沈み、薄暗くなってきた。広場のあちこちに置かれたランタンや街灯に暖かい光が灯りだす。
「うわー幻想的。ちょうど、今日が花火でついてたわね!ところで、何のお祭りなの?」
リーンがまだ食べ足りないというので、次の屋台で買い物をしている時、ふと思いついて聞いてみた。
「なんだ、お嬢さん。知らねえってことは、この街の人間じゃねえな?」
彼に商品を手渡していたおじさんが、驚いたように私を見た。私はちらっと隣を見て頷く。
おじさんは手を繋いでいる私達を見て、ニヤリと笑うと教えてくれた。
「なんだ、そこの彼氏は教えてくれなかったのか。今日はご領主様の結婚を祝って花火が上がるのさ。」
「あら、それはおめでとうございます。」
「おお、花火はオレ達からのお祝いの気持ちだよ。そこのテントでご領主様からの振る舞い酒を配ってるから、お嬢さんももらってきたらどうだい?確かケーキもあったぜ。」
「教えて頂いてありがとうございます、ご店主。」
お礼を言って離れると、隣の彼が目線だけで行く?と聞いてきたので、頷く。
「ご領主様からこの街の人たちへの贈り物だから、私は貰うわけにいかないけど、何を配っているのか見てみたいわ。」
「お祝いなんだから、別に気にしなくてもいいのに。」
そう言いながら彼は私の手を引いて、1番混み合うテントへと足を向けた。
もう空は紺色に染まって、星が瞬き始めている。
人工の灯りが主張を始め、その光に引き寄せられるように人々が列を作っている。
私達もそれに向かって歩きながら、
「そういえば、最近結婚されたという、この街のご領主はどなたなの?」
質問をすると、彼はふふっと笑ってヒントを出した。
「最近結婚して、この街の近くに住んでる貴族って誰だと思う?」
ご近所さんで、結婚した人・・・んん?
ここまで目を通していただきありがとうございます。
クレープって結構重いですよね。