番外編 公爵夫妻、街へ行く4
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上を見上げた途端、とんっという音とともに何かが降ってきて私の視界は暗くなった。
「エミィ、無事?!何かされた?怪我はない?」
この暗闇は橋の欄干を飛び越えて降りてきたリーンが、私を抱きしめたからだと理解するのに、少し時間を要した。
やっぱり彼は私を見つけてくれた。
聞きたかった声と慣れた匂いに包まれたことで、安堵のため息がこぼれる。やはり緊張していたらしい。
ついクセで彼の背に腕を回そうとして、はたと思い至る。
私達は今、彼女達に取り囲まれていることに!
人前でこの姿は恥ずかしすぎる!
私は急いで彼から離れるべく、腕を突っ張った。
「その様子なら怪我とかはなさそうだね。君が無事で良かった。」
彼は反対に離れることは許さないとばかりに、抱きしめる腕にぎゅっと力を込め、頭にキスしてきた。
腕力で彼に敵うはずがない。
私は早々に降参しつつも、公衆の面前で抱き合うのは恥ずかし過ぎるので、腕を下ろしたままでいた。
多分顔が相当赤くなっているから、彼女達がどんな顔でこちらを見ているかを確認する勇気もでない。
この様子を見て絶対怒ってるよね・・・!
さっきから、きゃーとかひゃああとか、声にならない悲鳴が聞こえてくるもの。
「ハルト様!その子は何なのですか?!」
ほらきた。リーダーの声がする。
私が反射的に声がした方を向こうとすると、リーンが私の顔をぐいっと自分の肩に押し付けた。
これは自分が代わるから向かなくてもいい、ということなんだろう。
その証拠に、私の頭の上で会話がなされ始めた。
ところで、頭を押さえる力が強すぎて、少々、息が苦しいのですが?!
「彼女が誰かを聞く前に、君達は誰なの?」
「私達は貴方をお慕いしていて、お手紙を差し上げたくとも、貴方がどこのどなたかわからなかったのでこうやって集まって情報交換している者達ですわ。」
彼女は私が思っていた以上に、ストレートに返してきた。
流石に、『私達はハルト様ファンクラブです。抜け駆け禁止の会則で、貴方が結婚しないようにこうやって虫を排除しているのです。』とはいえなかったらしいが。
ほぼ直接に、こんなにたくさんの女の子達から一度に思慕を伝えられることになった彼はというと、驚いたことになんの変化もなかった。
平坦な声で、
「ふうん。で、情報交換ってどんな?無理やり連れてきた一人を、大勢で取り囲む必要があるのはどんな内容なの?」
と突っ込んでいた。
私はリーダーがどう答えるのか興味があって、動かせない頭の代わりに自由な耳をそばだてた。
「それは・・・」
やはり、別れろと脅してたとは言えないわよねえ。
流石のリーダーも、慕っていると伝えたのに彼が無反応過ぎてショックを受けたようだ。
全く興味なしと言われたも同然だものね。
さらに冷静に問い詰められて、うまい答えが見つからず困っている気配がする。
その時、詰まったリーダーに代わって、他の子がきつい声で返してきた。
「ハルト様、その方は本物の恋人なのですか?貴方と手を繋いで歩いていれば、誰だってそう思いますし、それならば私達が彼女から情報を得たいと思うのは当然のことだと思います。」
「そうですわ!その子は何者ですか!?」
リーダーも急いで乗っかってきた。
「同意なしに連れて行く行為が、当然、ねえ。で、なにがなんでも彼女の正体を知りたいと。」
彼の声が低くなると同時に、私を拘束していた腕が外れて、ヒョイっと彼女達の方へ向きを変えられた。
やっと大きく息が吸える・・・!と思ったのも束の間、目の前の子たちを見て息を止める。
先程よりうんと鋭い女の子達の目が、遠慮なく私に向けられている。
これはあれだ、夜会で私に向けられる視線と同じ類のものだ。
でも、後ろにリーンがいると思うとちっとも怖くない。
私は細く息を吐いた。
ここまできたら、彼が私を恋人と紹介して終わりだわ、と思っていたのに。
「彼女は本当は恋人じゃないんだ。」
何故か嬉しそうな彼の声が、予想外の言葉を発した。
え、何を言うの?!
私はバッと彼の顔を見る。
も、もしや好みの女の子がいたから、恋人交換とか言わないよね?
それはないと思いつつ、目の前にこんなに可愛くておしゃれな女の子達がいれば有り得るかもと心が冷えた。
青褪めた私を安心させるように、肩に手を置いた彼が、ニコッと笑う。
では、一体何者なのかと、女の子達の視線が一斉に彼の口元に集まった。
「彼女は僕の宝物。世界でただ一人の愛する奥さんなんだ。」
リーンが最高の笑顔で投げた爆弾は、見事に彼女達の間に炸裂した。
「いやーーー!」
「うそ!」
「やっぱり、そういう人いたんだ。」
「夢が消えたわー。」
「今から何を楽しみに生きていけばいいのかしら。」
女の子達から口々に反応が返ってくる。
「ハルト様がもうご結婚されていたなんて!しかも、見たこともない女とだなんて、そんなこと、信じられない・・・!ファンクラブを作って牽制してきた私の努力は一体、何だったというの?!」
リーダーの嘆きっぷりは群を抜いていた。
「僕がどこの誰かもわからないのに、よくそんな事やってたね。」
彼は呆れかえっている。
リーンが決着をつけてしまったけれど、さっき言いかけたことを自分で彼女達に言っておきたい。
「あの、彼の隣は、私の1番大事な場所なので、誰にも譲れないんです。だから、私は絶対に別れるって言いません。ごめんなさい!」
思い切って、お辞儀とともに伝えたら、
「やめてよ。ハルト様の話を聞いて貴方に謝られると、別れろって言ってた私がバカみたいじゃない。もういいわ、皆、行きましょ。」
リーダーは悔しげに言い捨てて、他の子たちを促すと去っていった。
彼女達を見送って振り返ると、リーンがなんだか見慣れた状況に陥っていた。
「リーン、じゃなかった、ハルト。大丈夫?鼻血が出るようなこと私したっけ?」
「君が、とんでもなく嬉しいことを言ってくれるから。あんな台詞聞いたら、誰だってこうなるよ!」
嬉しいと言う割に、悲痛な声を出す彼の横に行って背中を撫でて慰める。
彼は私の方を向くと、いつものようにタオル越しのくぐもった声で、訴えてきた。
「僕だって君の隣が1番大事な場所だし、誰にも譲る気はないからね。さっきみたいに不安になる必要はないんだよ。」
私は軽く目を見開いた。なんでわかったの?
「リー、じゃない、ハルトに隠し事はできないわね。」
照れくさくなって笑いながら返すと、今度は何だかムッとした声で、
「もう、リーンでいいや。君にハルトって呼ばれると違うやつみたいで嫌だ。」
と言われた。
でも、ここではハルトで通してるのでは?
私はそのほうが呼びやすいけれど、本当にいつものように呼んで、いいの?
と彼の目を見ると真剣に頷かれてしまった。
「じゃあ、私の方もいつもの呼び方に戻してくれる?貴方がミリーという度に、他の女の子を呼んでるみたいで・・・。」
「ヤキモチやいた?」
うーん、ヤキモチとは違う気がする、と考え込んだ私は、
「貴方の隣に私がいないみたいで、寂しかったわ。」
心に浮かんだ感情をそのまま口に出して伝える。
タオルで顔半分を覆っていた彼は、顔全体に広げてしゃがみこんでしまった。
大丈夫?と覗き込んだ私を、タオルから覗かせた彼の目が恨めしげに見てきた。
「エミィ、君はどうして、僕が手を出せないときにそんな可愛いことをいうの・・・!」
それを聞いた私は、密かに胸をなで下ろした。
こんな誰が見るか分からないところで抱きしめられたりするのは、恥ずかしすぎて大変。
ここまで目を通していただきありがとうございます。
やっぱり助っ人は飛び降りるべきかな、と。




