19.婚約者に愛称を
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sideE
ハーフェルト公爵家に着いて、一緒にいてくれるのかと思ったら、リーンはすぐに城へ行くと言う。
確かにこれだけの事態になったら早く報告しないといけないわよね。
頭ではそう理解できるけど、心は寂しいと感じてしまう。
さっき彼と自分の気持ちを素直に伝えるという約束をしたけれど、この場合、頭と心どちらの気持ちを優先すればいいのかしら。
少し悩んで頭を優先することにした。
「あ、・・・うん。私のことでこんな遅くまで走り回らせてごめんなさい。私のことは気にしないで。今日案内してもらったところだし、大丈夫よ。」
これも本当の気持ちだし、と彼が心配しないよう、笑顔を向ける。
安心して出掛けるかと思ったのに、薄青の目がこちらを見透かすようにじっと見つめてきた。
見透かされてなるものかと見つめ返すと、彼が軽く頷いて
「うん、じゃあ、僕が部屋までエスコートするよ。皆、出迎えありがとう。」
と私の手をとり、階段を上がっていった。
居並ぶ使用人達はそんな私達を見守り、私専属と紹介されたロッテとミアだけが2階までついてきた。
階段の上から振り返ると、他は解散して持ち場へと戻って行くのが見えた。
「あ、ここが僕の私室。見る?」
今日午後に、私の部屋と教えられた扉の2つ手前でリーンが立ち止まった。
また今度ゆっくり見せてもらうわ、と首を振って断る。
「じゃあ、ここでちょっと待ってて。」
と言いおいて、彼は扉の向こうに消えた。
「あらまあ、お嬢様を廊下に待たせておくなんて。」
追いついてきたロッテが憤慨したところで、彼が何かを抱えて戻ってきた。
「はい、エミーリア。僕が戻って来るまでこれ持ってて?」
ぽんと渡されたものを反射で受け取る。
手の中にやってきたものは何かと見ると、
「これ、・・・あの時のくま?」
彼と出会ったときに貸してもらった、ふわふわのくまのぬいぐるみだった。
あの時よりくたびれてはいるものの、大事にされていたと思われる綺麗さだった。
「まだ持ってたのね。」
思わずつぶやくと、リーンがそのくまに目を落としたまま、照れくさそうに答えた。
「そりゃ、特別なものだもの。大事に持ってたよ。僕が戻ってきたらエミィは返してね。っと、しまった!」
彼は慌てて口を押さえたが、私の耳にはしっかり届いた。
「このくま、エミィって名前なの?」
あー、と言ってリーンは頭を抱えてその場にうずくまった。耳が真っ赤だ。
確かに、私の愛称をぬいぐるみに付けて呼んでいたとは思わなかった。
それが本人にバレたのだからそれはもう、恥ずかしいの極地だろう。
どつぼにはまってしまった彼をすくい上げるべく、私も彼の前にしゃがみ込み、その肩を叩く。
「リーン。このこの名前もリーンというの。でも、貴方と混同するから今からエルという名に変えるわね。」
がばっと頭をあげてこちらを見た彼は、私が掲げているライオンのぬいぐるみを見て泣きそうな顔をした。
「お互い相手の愛称をぬいぐるみにつけて呼んでたってことで、この件はおあいこで。それで、貴方は私のことをいつ、エミィって呼んでくれるの?」
タオルで顔を覆った彼は悔しそうに、
「一緒に暮らし始めたら呼びたいと思ってたんだけど、先に言われちゃってもう、どうしていいか!今から君のこと、エミィって呼びたいんだけどいい?!」
と叫んだ。
「もちろん。いつか貴方に愛称で呼ばれたいと思ってたの。」
彼の手を引っ張って一緒に立ち上がる。
私は2つのぬいぐるみを両手に抱え直して、
「リーン、ありがとう。私、このこ達がいるから寂しくないわ。夜だし、気をつけてお城にいってらっしゃい。」
心からそう言った。
リーンは目を瞬くと、外しかけていたタオルをさっとあて直し、
「君が屋敷にいて、いってらっしゃいって言ってくれるってすごい破壊力だ・・・。」
とくぐもった声で言うと、行ってきますと手を振り、足早に出掛けていった。
彼の背中が廊下の角に消えるのを見送って、振っていた手のひらを下ろす。
ふと気配を感じて振り向いた先には、慈愛あふれる微笑みを浮かべたロッテと、顔中を驚きでいっぱいにしているミアがいた。
あ、2人がいること忘れてた。
先程の一部始終を見られていたかと思うと、顔から火が出そうだった。
「あ、あの、待たせてごめんなさい・・・。」
それだけ言って恥ずかしさで俯いていたら、ロッテが笑いながら背中を押して部屋に連れていってくれた。
「私、先程のような旦那様は見たことがないです!エミーリア様とおられる時はいつもあんな感じなのですか?」
部屋に入るなり、ミアが興奮したように話してきた。
あんな感じってどんな感じなの?とりあえず、先程も普段の彼だったので、ミアに頷く。
「ええ、まあ、あんな感じだと思うわ。」
「ではこれから毎日、あんなかわいらしい旦那様が見られるんですね!」
かわいらしい・・・?!
どう返せば彼の名誉が守られるのか悩んでいると、ロッテがミアを窘めてくれた。
「ミア、旦那様をかわいらしいなどと言ってはいけません。お嬢様が反応に困っておられますよ。」
「あ、申し訳ありません!余りにも普段と違うのでつい・・・!」
「え、普段のリーンハルト様はどんな感じなの?」
思わず興味を持って聞いてしまう。
「あら、お嬢様まで。では御髪を綺麗に整えますのでその間、ミアとおしゃべりしていてくださいませ。」
ロッテが髪を切り揃えてくれている間、私の知らないリーンの話を聞き、ミアと盛り上がってしまった。
彼女は3つ下で、明るくて物怖じしない。私とも壁を作らず話してくれるので、すぐに打ち解けられた。
ミアから見た彼は、きっと公爵家当主として頑張っている姿。昼間にお城の侍女から聞いたのは王太子補佐として働く姿。私の知る彼は・・・出会った時のまま、私を大事にしてくれる人。
そう思うと、私が知っている彼は一部分でしかないのね。
一緒に暮らしていれば、まだ私の知らない彼を見ることができるかしら。
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sideL
「で、エミーリア嬢を侯爵邸からお前の屋敷に移したと。」
「そうです。王太子殿下がなんと言おうと、私は彼女を戻すつもりはありません。」
僕は今、王太子である兄と机を挟んで向かい合っている。
あれから頭を冷やそうと馬で乗り付け、国王と王太子に面会を申し込んだら、先に兄だけに許可が出た。
できるなら時間短縮のため2人まとめて説明したかったのに。
エミーリアには先寝ててとは言ったが、できたら彼女にお帰りと言ってもらいたかった・・・。が、これは、無理かな。
経緯を説明したところ、兄が思案の海に沈んだ。この人がこうやって考え込む時は、僕にとってあまりいい結果にはならない。
まさか、彼女を実家に返せとは言わないだろうな、と先回りして主張すれば、それにはあっさり同意された。
「そりゃそうだ、彼女を侯爵家へ戻すなんてできるわけがない。俺だって婚約者がそんな目にあったらすぐに自分の目の届く所に移す。で、ありとあらゆる手をつかって相手を潰す・・・といいたいが、王太子としては難しいな。」
「別に私だってノルトライン侯爵家を潰そうなんて思ってませんよ。本音はぶっ潰して跡形もなく消し去ってやりたいですけどね。」
「まあ、気持ちはわかるが。潰す気がない割には、社交禁止などと無理難題を突きつけたものだ。」
兄が片眉をあげて僕を見遣る。それをまっすぐ見返して、薄く笑む。
「社交禁止とは言ってないですよ。彼女の望みが、彼らに2度と会いたくない、でしたので顔を見せるな、と言っただけで。」
「お前の身分でそれを言えば、社交禁止と言ったも同然だろうが。あの気位の高い侯爵夫人が下位ばかりの夜会に出るとは思えん。」
「それは向こうの勝手でしょう。」
「嫌なやつだなあ・・・。では、1年だ。どうせお前も全部の夜会に出る気はないのだろう?」
「ええまあ、私も夜会に出るのはそんなに好きではないし、彼女の負担になりますからね。」
「そんな理由かよ。まあいい、1年の間はお前達も顔を売らねばならんから、夜会に積極的に出ろ。その後は好きにしろ。で、出ない夜会を俺に知らせろ。さり気なくルーカスに伝えておいてやる。」
「ノルトライン侯爵家に恩を売って取り込むつもりですね。」
「もちろん。あの家自体はさほど重要ではないが、エミーリア嬢の姉が嫁いだ先は割と重要だからな。」
「メラニー姉上の嫁ぎ先の重臣でしたね。」
「そうそう。メラニーも大物を捕まえたもんだよ。この大陸1番の強国の王だもんなあ。おかげでうちは助かっている。だからつながりは残しておきたい。」
「承知しました。私が彼女と侯爵家がかち合わないように細心の注意を払えばいいのですね。」
「ああ、頑張れ。」
「いいですよ。彼女のためならなんだってできますから。」
「1年の間にノルトライン侯爵家も代替わりするだろうよ。ルーカスは政務官として優秀だし、あの母のせいで婚約者がいないから俺から紹介してみよう。」
「この件を利用して完全に自分の陣営におくつもりですね。」
「お前だってそこまで計算してただろ?」
「ルーカス殿があんな台詞を吐くまでは、私も彼をかってましたけどね。」
では、と仕事用の笑顔を返して王太子の下を辞した。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
自爆したヒーローの兄登場。
 





 
