18.婚約者の決意
■■
sideE
私は今、車内で婚約者を膝枕している。
恋人らしい格好だけど、肝心の彼は気を失っている。
私をノルトライン侯爵家から連れ出したリーンは、馬車が動き出した途端、私の膝の上に倒れてきた。
「ごめん、もう限界。君を助けたいから必死だったけど、こんなに接触したことなかったからくらくらする。ここまできたらついでに膝貸して下さい。」
と言うなり、そのまま気を失って今に至る。
話し相手もおらず、手持ち無沙汰な私は車窓に映る自分の顔を眺めていた。
夜の闇の中に肩辺りまでの短さになった髪が浮かんでいる。ところどころまだ長いままの部分もあり、改めてじっくり眺めると本当にひどい。
「あーあ、ウェディングドレスに合わせる髪型も決まってたのに、これは変更しなきゃだわね。」
やっと自分の意思で結婚すると決めて、式の準備に真剣に向き合った時、既にドレスは出来上がっていた。
婚約破棄するつもりで走り回っていた時にやけくそで決めたドレスは、当たり障りのないデザインのものだ。もう少し気合を入れておけばよかったと思っても、もう後の祭り。そこから変えられるのは髪型くらいしかなかった。
だから、せめて髪型は一生懸命似合うものを考えた。1番綺麗に見えるよう結い上げて花を飾って・・・それもこれも全部やり直しだ。
「エミーリア、泣かないで。」
優しい声がして下を見ると、リーンが目を開けて私を見ていた。私の膝に頭を乗せたまま、そっと頬に手を伸ばしてくる。
「びっくりした。いつ起きたの?私、泣いてなんかないわよ?」
「雨が降ってきたんだ。ほら。」
そう言って手で私の頬を拭い、よっと起き上がって抱き寄せる。
あれ、本当に私泣いてるの?
自分でも顔に触ってみると、確かに濡れている。ハンカチをとろうと身動きしたら、そのままぎゅっと彼の服に顔を押し付けられた。
「僕は君がどんな髪型でも美しいと思うし、似合うと思ってる。でも、君は髪を切られてせっかく決めた髪型で式を挙げられなくなって辛いよね。髪は切られても伸びるけど、君の心の傷は治らない。こんなことになるなら、無理にでも侯爵家の中まで僕がついて行けばよかった・・・。」
しまった。私が髪を嘆いたばかりに彼を悲しい気持ちにさせてしまった。
もう、意識がないと思ってたのに、なんで聞いてるのよ!
「そんなの気にしないで!こうやってあの家から助け出してくれたんだから、それが1番嬉しいわ。髪型もこの長さで新しいの考えるの楽しみなのよ。」
私はにこっと笑ってリーンを見上げる。
でも、彼の顔は曇ったまま。
「君は、いつもそう。悲しかったことを抑え込んで、笑顔でいる君は偉いと思う。でも、抑え切れないほどになっちゃったから涙が出てるんだよ?僕、君のタオルくらいにはなれるから、そのまま泣いて?」
そんなことできない。だって、私はあの家から出て行く時に、家族だった人達を自ら切り捨てた。
今まで息苦しかった場所から解放されて、嬉しいだけで悲しくもなんともないはずだ。
そう、泣く必要なんてないはず。
なのに、なんで涙が止まらないのかしら。
「変ね。ずっと家を出たかったんだから、悲しくも辛くもないはずなのに。」
「君は今まで、悲しいとか怖いとか寂しいという負の感情を鈍らせて、やり過ごしてきたんじゃないかな。多分、今日でそれが溢れたんだよ。僕は君にそんな思いをさせないようにするつもりだけど、もしあったら我慢しないで、言ってね?」
なんでバレるかなあ。そりゃ、あんな暮らしをさせられて、家族に疎まれて辛くないわけないじゃない。
でも、そんな気持ちを真っ向から認めたって、どうしようもなかったから見ないふりしてきたのに。
今まで蓋をして押し込めてきたそういう気持ちを、彼は気づいてくれた。そんな相手といるから気が緩んで涙がでちゃってるのかも。
彼はきっと、私が怒っても、泣いても、わがまま言っても受け止めてくれる。怖い思いをしたり、寂しくなったら一緒にいてくれる。
私は彼の腕の中で頷いた。
「貴方には言えるように、努力するわ。だから、リーンも辛い時や寂しい時は私に言ってね。それ以外でもわがままでも言いたいことは言ってね。」
私からも彼の背中に腕を回して、ぎゅっと抱きしめた。
「うん、ありがとう。わがままは結構言うかも。・・・ああ、本当に様にならない体質だよ。」
彼が情けなさそうにつぶやいて、私を片手で抱きしめたまま、タオルを取り出し鼻にあてた。
私は彼に回した腕にさらに力を入れ、顔を押し付けながら身体を震わせた。
「エミーリア、そんなに笑わないでよ・・・。」
「笑ってないわよ?嬉しいだけよ!」
そう答えつつも、ますます情けなさそうなリーンの声に、もう嬉しくて笑いが止まらなかった。
「こんな形でハーフェルト公爵家に迎えることになってごめんね。本当は花嫁姿で来る予定だったのに。ノルトライン侯爵家にも少なからず思い出があっただろうに、2度と戻れなくしてしまった。」
屋敷の玄関に着いて、扉を開けながら、すまなさそうにリーンが言う。
「もう、それは言わないで。私の意志であの家を出てきたのよ。ここが今日から私の家なの。ここだけが、私の家になるの。リーン、ハーフェルト公爵家の皆さん、これから、よろしくお願いします。」
私は、そうきっぱりと告げ、リーンと扉の向こうに並んで迎えてくれた人達に挨拶をした。
■■
sideL
エミーリアがこの家を自分の家だと言ってくれた時、僕の心臓がきゅっとなった。
もちろん、その言葉は嬉しかったのだけど、それは同時に彼女がノルトライン侯爵家からハーフェルト公爵家の人になったということで。
これから彼女を守れるのは僕だけ、という事実に責任の重さを感じたからだ。
それはずっと願っていた事だけど、いざそうなってみると足が竦みそうだった。
大丈夫、この日のためにできうる限りのことをしてきたはずだ。勉強も剣術も社交も、思いつく限り彼女を助けるためになりそうなことは全部やってきた。
今日からそれを彼女のために発揮していくだけだと、心の中で気合を入れ直した。
「エミーリア、今日から君の世話をする2人だよ。ロッテとミアというんだ。この屋敷のわからないこととか、何でも2人に聞いてね。」
エミーリアには専属の侍女を2人付けた。
子育てを終えた経験豊富なロッテは、実は小さな頃からの僕の世話係で、怒ったら怖いけど1番信頼できる。
ミアは15歳。侍女見習いと言ったほうが近い。実は執事の孫娘。エミーリアと年が近くて身元がしっかりしている点で決めた。アレクシア嬢も結婚するし、あまり友達のいないエミーリアの話し相手になってくれたらと思っている。
エミーリアに2人を紹介したら、
「え、私自分のことは自分でできるわよ。今まで、そんな専属の人なんていたことなかったし・・・。」
と困惑されたけど、それは想定内。
「うん、知ってる。でも、公爵家のことも公爵夫人の仕事もまだよく知らないでしょ?2人は慣れるまでの案内人だと思ってくれたらいいから。」
といえば、あっさり受け入れて2人と挨拶を交わしている。
本当は時々無謀なことをしでかす君のことが、心配でたまらないから2人つけました、なんて言えないよね。
ロッテ達にはできる限り彼女の自由にさせて、無謀なことは止めて欲しいと重々頼んでおいた。
「さて、僕はちょっと城へ行ってくるよ。君は先に休んでて。」
予定が変わったから色々報告しなくてはいけない。
横領の件は、以前伝えていたからそんなに驚かれないだろうが、彼女のことに関して父と兄がどう反応するか予測できない。
うっかり、気の重さを顔に出してしまったんだろう、エミーリアが微かに不安げな表情を浮かべた。
「陛下達には前々から、結婚後にノルトライン侯爵家と話し合いをすると言ってあるから大丈夫だよ。ちょっと早くなったことと、取り決めた内容を報告したらすぐ戻って来るから心配しないで先寝てて。」
その不安を払拭しようと続けて言えば、彼女は何かを飲み込んだ顔をして、いつもの笑顔を作った。
「あ、・・・うん。私のことでこんな遅くまで走り回らせてごめんなさい。私のことは気にしないで。今日案内してもらったところだし、大丈夫よ。」
それでピンときた。そういえば、彼女がこの屋敷に来たのは今日の午後に案内したときが初めてだった。
使用人達と会ったのも。
先程の不安げな表情は、そんな知り合いのいない中に、1人で置いていかれることを心細く思った顔だったんだ。
ヘンリックは侯爵邸から直接城へ行ったしな。
まあ、あいつの場合、いても喧嘩にしかならない気もするが。
全く二人の仲の悪さはどうにかならないものか。まあ、それはおいおい考えるとして。
エミーリアにはさっき馬車の中で、何でも言ってと伝えたばかりなのにな。
僕も寂しい思いはさせないつもりと言ったとこだけど。
なかなか、現実には難しいものだな。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
ついに同居開始です。




