17.婚約者、要求する
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「殿下、母の希望ですし、示談にしたいと思います。そちらの条件はなんですか?」
兄の出した答えはやはり示談だった。
「了解した。では、今までのプレゼントに掛かった費用と、彼女が受けた精神的肉体的苦痛に対する慰謝料、それから横領の罰金としてこの額を速やかに支払ってもらおうか。そうだな、名目は彼女の持参金にしておこうか、周囲に知られたくないのだろう?払い終わるまで、侯爵夫人は屋敷から出ないように。」
リーンがまた、ヘンリックから受け取った紙をひらりと母と兄に見せる。
予め用意されていたその紙に書かれていた額は私からは見えなかったけれど、それを見た母は悲鳴をあげた。
「そんな!無理ですわ!」
「何を言ってるのかな?これでも気を使って随分安くしたのに。彼女の受けた仕打ちからすると十倍もらっても足りないくらいだよ?」
「うちが破産してしまうわ!」
「破産?そんな馬鹿な。ノルトライン侯爵家の資産からすれば微々たるもの、と思っていたのだが?ここ数年、大きな災害もなかったよね?ルーカス殿、君なら自分のところの財務状況くらい知ってるよね?どうなの?」
兄も顔色が悪い。うちはそんなに財政状況が悪かったのか。
道理で私の食事が薄いスープと干からびたパンになるはずだ。
おかげで学園での昼食がいつも楽しみだった。
「さすがに、多すぎるのではないかと。」
自分の食事事情を思っている間に、兄が慎重に口を開いた。
ここでうかつな答えを返したら、領地経営に難癖をつけられて、領地替えや没収になると思っているのだろう。
「額について聞いてはないよ。払えるかどうかって聞いてるんだ。」
「払えませんよ。あまりにも法外な額でしょう!」
リーンのきつい返しに思わず本音を返した兄。
そうかな?と首を傾げつつ、書類を再度見直したリーンが、母に向かって微笑む。この状況で母の顔が赤くなった。
彼がどんな笑顔を浮かべているのか、ちょっと気になる。
「侯爵夫人、あのくまについていたサファイアの値段知ってます?あれ、ハーフェルト公爵家に代々伝わるものでしてね、今売ると国家予算くらいになるそうですよ。」
「ひっ?!」
「そんな大層な代物をぬいぐるみにつけて贈ってきたの?!危ないじゃない!」
私も思わずリーンの腕を掴んで叫んでしまった。
彼はバツが悪そうな表情でこちらを見ると、おもむろに私を抱き上げた。
何故そうなる?!
ヘンリックもハラハラして、こちらを見ている。
「あのサファイアは代々のハーフェルト公爵夫人の身を飾ってきたんだ。だから、今度は君のものだろう?結婚してくれるって言われて嬉しかったから、君の好きなぬいぐるみに届けてもらおうと思って。」
国家予算級のお値段の宝石をぽんと贈りました。とか、有り得ない!
私が絶句していると、
「そうそう、私が勝手に決めてしまったけれど、エミーリアはこの人達になにかしてほしいことはある?君が望むなら、全領地取り上げて貴族の爵位も剥奪してもいいけれど。」
リーンがにっこりと黒い笑顔で、そう言った。
同時に、それまで呆然と私達の様子を眺めていた母と兄は慌てた。
ここまでのやり取りで、この第2王子が本当に婚約者を大事にしていて、自分達を許すつもりがないことをようやく悟ったらしい。
散々な扱いをしてきた私に、ノルトライン侯爵家の生殺与奪の権が与えられたことも。
「エミーリア、まさか、そんなことを望んだりしないわよね?貴方はいい子ですものね?」
「お前、血のつながった家族を路頭に迷わす気じゃなかろうな?」
今更、いい子とか血のつながった家族とか、空々しいことを言われても心にちっとも響いてこない。
虎の威を借る狐状態で不本意だけど、私はリーンにだけ聞こえる小さな声で希望を伝えた。
「お金なんて要らないから、もう2度と、お姉様以外のこの家の人と会いたくないわ。」
ここにいない父も弟も、もう顔が思い出せないほど会っていない。そんな人達を家族だなんて言いたくもない。
リーンの表情が一瞬だけ悲しそうに揺れたが、すぐに笑顔に戻して頷くと、私を下ろして母と兄の方へ向いた。
「では、示談金は半分にしよう。」
母達の顔が明らかにホッとした。それを見て、口の端を吊り上げた彼から、追加の条件が伝えられる。
「代わりに、これから先、ノルトライン侯爵家の者はハーフェルト公爵家に関わらないと誓約書を書いてもらおう。顔もあわせないように行動すること。」
それは実質、社交界からの締め出しに近い通告だった。
ノルトライン侯爵家とハーフェルト公爵家が招かれる夜会やお茶会は、ほぼ被っている。その両家が仲違いしていると知れた場合、第2王子であるハーフェルト公爵へ優先して招待状が届くことは想像に難くない。
「何言ってるの、そんなの不可能よ!私達に社交をするなと言うの?!」
「できないと言うなら、構わないが。私が一言、ノルトライン侯爵家が出席する場には行かないといえば済むだけだからね。皆、理由を知りたがるだろうな。こちらは隠す必要はないから話してしまうかもね?」
これで母も黙った。自らの意志で社交界から身を引くのと、自分がしたことを知られ、弾き出されるのを天秤にかけたのだろう。兄も沈黙を守っている。
「これで、決まりだね。ノルトライン侯爵家は以後一切、ハーフェルト公爵家に関わらない。私が提示した示談金を支払う。以上だ。異論があるならいつでも裁判所に訴えよ。それから、エミーリアは今日から私の元に来てもらう。彼女の荷物は後で取りにこさせるから触らないように。」
いい置いて背を向けたリーンが、私を促して歩き出そうとした時、母の声がした。
「この疫病神!お前が生まれてこなければこんなことにならなかったのに!ええ、ええ、あんたの顔なんてもう二度と見たくないよ!どこへでも行けばいい!」
彼がすぐに私の耳を塞いだので、ほとんど聞き取れなかった。しかし、彼の表情を見ればどのようなことを言われたのかは、わかった。
彼は、私の代わりに母が私を傷つけるために吐いた言葉を聞き、私の代わりに怒ってくれていた。
このまま彼ばかりを矢面に立たせて置くわけにはいかない。私は振り向いて何か言おうとしたリーンを止め、母と兄を見た。
「お母様、お兄様、今までお世話になりました。されたことは忘れますので、そちらも私のことは忘れて下さい。もう、お会いしたくありません。」
・・・よし、すっきりしたわ!
その勢いのままにリーンの顔を見ると、彼はそれでいいのかという顔をしていたが、私と目が合うと頷いてくれた。
母を拘束していた騎士達は一部見張りに残して、後は一緒に引き上げるらしく、いつのまにか私達の周りを囲んでいた。
玄関から出ようかという時、リーンがふっと振り返って、母達へ何の感情もない目を向け言った。
「最後に1つ。貴方がたは大きな勘違いをしている。彼女は色褪せ令嬢なんかじゃない。きれいな灰色の髪と瞳を持つ、大変美しい女性なんだ。二度と色褪せたなどと言わないでもらおう。」
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
これにて母と兄は退場です。ふー。




