16.婚約者vs母
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再び外から玄関の扉をくぐると、紺色の制服を着た騎士に拘束され、抗議している母がいた。
「だから、何度も言っているではありませんか!あれは娘がいらないからと私に押し付けて来たものなんです。せっかく殿下が選んで下さった贈りものを無駄にしてはいけないと思って、わざわざネックレスにして娘に返そうと思ってたんですよ!それを横領だなんてとんでもない!」
私はあまりに酷い母の言い訳に、思わず叫んでしまった。
「とんでもないのはお母様の方でしょう!私はそんな贈り物を頂いたことも、リーンハルト様が、約束通り毎年私に誕生日プレゼントを贈って下さっていたことも、全く知りませんでした!そのプレゼントも全部勝手に捨てたとさっき言っていたではありませんか!」
それを聞いて母の周囲にいた騎士達が、私に痛ましげな視線を向けてきた。
ザックリ切られたままの髪のせいもあるだろう。
「何を言うの!貴方は母を助けるどころか、陥れようというのね!なんて酷い子なの。殿下、この娘のいうことは全てデタラメです。私に罪をなすりつけて貴方の妻におさまる気なんです。この娘がどれだけ性悪なのかわかりましたでしょう?どうしようもない不出来な子だったけど、育ててきてやったというのに、もう貴方なんて娘じゃないわ!」
母の憎悪に満ち満ちた視線と、心を抉るために選ばれた言葉が私を射抜いた。
投げつけられた悪意に、体を強張らせた私を庇うようにリーンが前に出た。
「それには同感だよ、侯爵夫人。彼女は貴方なんかの娘じゃない。貴方は母親失格だ。」
彼の言葉に同意を得たと喜んだのもつかの間、最後の台詞で彼を味方ではなく敵だと認識した母は半狂乱になった。
「第2王子殿下、なぜ信じてくださらないのですか?!貴方は騙されているのです。王子なのですから人を見る目が必要でしょうに、そんな娘のいうことを信じるなんて!」
「あいにく、私の人を見る目には定評がある。それに王子だろうが何だろうが、婚約者の私が1番にエミーリアのいうことを信じないで、どうするのだ。私からの贈り物を貴方が処分したことは他からも証言があるし、何より、エミーリアは贈られていたものが何かすら、知りはしなかった。」
「なんてこと!殿下ともあろうお人が、すっかり騙されているなんて。フィーネを選んでいたらこんなことにはならなかったでしょうに。そんな色褪せた娘なんかに惑わされて、陛下達もお悲しみですよ!」
最後の一言に、リーンの気配が変わった。
「黙れ!お前に国王陛下の何がわかる。不敬だぞ!私を騙そうとしているのはお前の方だろうが。大体、私は最初からエミーリアのことしか見ていなかったし、フィーネ嬢も私のことなど何とも思っていなかった。お前が自分の思い通りに娘を従わせようと、無理強いしていただけだ。」
「そんなはずはありませんわ。私は娘達の幸せだけを考えています。フィーネが殿下と結婚すれば美しい子供が生まれたはずですのに。そのような薄ぼんやり色の娘を選ぶなんてどうかしてますわよ!」
その時、慌ただしく扉が開いて、長い黒髪を1つに結んだ長身の男が入ってきた。
彼は第2王子と、拘束されている母親を認めると二人の間に身体を滑り込ませ、第2王子に向かって深く腰を折った。
「遅くなりました。リーンハルト殿下、話はここに来るまでに全て聞きました。我が母の不始末、私が後日城に伺って改めてお詫びしますので、本日のところはこの辺でお引き取りいただけませんでしょうか?」
「やあ、ルーカス殿。突然呼び出して申し訳なかったね。でも、私は今日決着をつけて、このままエミーリアを連れて帰ろうと思っているから、君の案は受け入れられないな。」
「妹を?何故です?」
「何故って、君、自分の大事な婚約者が髪を切られて、窓から飛び降りてくるのを見たら、どう思う?私は彼女をこんなところに1秒だって1人で置いておく気はないよ。」
その言葉に兄の目がリーンの後ろにいる私に向けられる。兄の顔をまともに見たのは何年ぶりだろうか。
お互い、こんな人だったかな、と思ったに違いない。私の記憶の中の兄は多分10代後半で止まっている。目の前の人物はそれより随分・・・年をとっていた。
対する兄は私を見て顔を歪めた。
「その髪・・・酷いな。本当に母上が?そこまでやる人ではないと思うが。殿下の気を引くために自分でやったんじゃないのか?」
私は目の前が暗くなった。リーンがこちらを気づかわしげに振り返った気配を感じたけれど、私は何も言いたくなくて、ただ床だけを見つめていた。
「そ、そうなのよ!この娘は、自分で髪を切ったくせに私がしたと嘘をついて罪を被せようとしたのです!私は必死に止めてあげたのに。」
母の声も遠くに聞こえる。もう、何を言われても反論する気はなくなっていた。
そこに、リーンの明るい笑い声が響いた。皆、ぎょっとして彼を見ている。私も顔をあげて目の前にある背中が、笑い声とともに揺れるのを驚いて眺めた。
「ははっ!エミーリアが、私の気を引くために、自作自演で髪を切って飛び降りたと?それが本当だったら、私は嬉しくてたまらないな。だけど、残念ながら必死で相手の気を引きたいのはいつだって私の方でね。彼女はそんなことをする必要は全くないんだ。だからそれは有り得ない。」
「そんな。でも、髪が短くなれば結婚式だって無理なはず・・・。」
「語るに落ちたね、侯爵夫人。そんな理由で彼女の髪を切ったのか!バカバカしい!なんてことをしでかしてくれたんだ。髪が短くなったくらいで結婚を止めるわけがないだろう。」
「ですが、短い髪の貴族の娘なんていないし、エミーリアはただでさえ不器量なのに、ますますみっともないではないですか。」
「言わせておけばどこまでも。もう、いい加減にしろ!彼女は不器量ではないし、髪の長さは私にとってなんの問題にもならない。大ごとにしたくなかったから、結婚後にしようと思っていたのだが、こうなっては仕方ない。横領と虐待で裁判か示談、どっちにするか今すぐ決めろ。」
母は何を言われたかわからないようでぽかんとし、兄は目に見えて動揺した。
「それは、無茶です。当主たる父が不在のこの時に左様な判断はできかねます。」
兄の言葉に頷いたリーンが、ヘンリックにむけて手を出す。
それを受けてヘンリックが、抱えていた革張りの紙挟みから、さっと1枚の紙を取り出して彼の手に乗せた。
「これ、ノルトライン侯爵の委任状。判断はルーカス殿に任せるそうだよ。それで、君を呼びだしたってわけ。」
さすが、お父様。日和見侯爵と言われるだけあるわ。危機に陥ったら息子に丸投げした。
それを聞いた兄は顔がさっと青ざめた。自分の決断如何でこの家の行く先が決まることを悟ったのだろう。
その時、やっとリーンの言ったことを理解したらしく、母が兄の背にとり縋って叫んだ。
「ルーカス、裁判は止めて頂戴。私、二度と社交界に出られなくなるじゃない。そんなの、嫌だわ。」
裁判になれば城内の裁判所で争うことになる。社交界で格好のネタになること間違いなしだ。
「まだ、社交界に出られると思ってるのか。自分のしでかしたことが、よくわかってないようだな。」
リーンが小声で1人ごちた。
私はその後ろで別のことを考えていた。
私ほどではないにしても、父似の兄のことも母は大事にしていなかった。なのに、さっき兄は母を庇ったし、母は今、兄を頼っている。
私だけがこの家の中でいらない人間なのだと。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
兄上登場。




