14.婚約者追い詰められる
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sideL
「今日はありがとう。楽しかった!また学園でね。」
そう軽やかに言って、僕の大好きな彼女は侯爵家の中に消えていった。
本来なら屋敷内まで送って、家族に挨拶するべきなんだろうけど、それは彼女に固辞された。
曰く、リーンが嫌な思いをするから来てほしくない、私1人が城の馬車で門まで送ってもらったということにしたいと引き下がらず、来るなら今すぐに馬車から飛び降りて1人で帰るとまで言うので諦めた。
ねえ、そんな場所に君1人帰らせるのは辛すぎるよ・・・。
しばらくそのまま彼女が消えた門を眺めていたけれど、どうしようもなく、城へと馬車を出発させた。
城に着いて、降りようとした時、さっき通ってきた門から騎乗した男が駆け込んで来たのが見えた。
彼は、ノルトライン侯爵家を見張らせていたはず。
そう気づいた途端、嫌な予感しかしなくて、庇うように前に出たヘンリックを押しのけ、叫んだ。
「エミーリアに、何があった?!」
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sideE
リーンと別れて、門から屋敷の玄関まで、今日会った人達のことを思い返しながら歩いてきた。
ハーフェルト公爵邸で働く人達は皆、雰囲気が温かかった。彼が生まれた時からいる人が大半だからか、お互い気心も知れていて彼を当主として立てつつも、見守っているような優しさがあった。
彼らはなんと、リーンが私に対して起こす例の反応のことを知っていて、なおかつ、私を歓迎してくれたのだ。
ヘンリックみたいに元凶として嫌われてると思っていたから、それには本当に驚き、とても嬉しかった。
「後2週間で結婚式。そうしたらお姉様みたいに好きな人と暮らせて、屋敷内でもどこでも自由に行けて、食事もきっと1人じゃないわね。それから、お母様に気を使わなくてもいいし、ぬいぐるみもたくさんいるし、楽しみ!」
私は結婚後変化する暮らしを、声に出して指を折って数えながら、早くもハーフェルト公爵邸での暮らしに胸をときめかせていた。
だから私は、多分思っていたより相当浮かれていたんだと思う。
母が玄関で待っているなんて思いもしなかった。
それで浮かれた顔のままで屋敷内に入ってしまったのだ。
いつもなら万が一を考えて無表情に顔を直すのに。
玄関ホールに足を踏み入れた時、氷を背中に落とされたように背筋がひやりとした。
「あら、おかえり。なんだか嬉しそうね、エミーリア?」
おかえりという台詞からは想像できないくらい、母の表情は無だった。
数ヶ月前に会った時は、すれ違いざまに、まだ婚約破棄しないのか、いつまで惨めったらしく王子という権力者にしがみついているのかと言われ、蔑んだ目で見られただけだったが、あの時はまだ、蔑むという感情があった。
今、母の顔は能面のように、無だ。
私の中で警報が鳴り響く。逃げろ、とにかく離れろ。
入ってきたばかりの扉から外へ出ようと後ろに下がる。
バン!ガチャン!
母が素早く動き、扉を開けられないように手で押さえ、鍵をかけた。
眼前には母、背中は鍵の掛かった扉。
逃げられない。
私の怯えを見て取った母の口だけが、弧を描く。
「あら、帰ってきたところなのに、またどこへ行こうというの?そのドレスどうしたの?王子にねだったの?まあ、卑しい。化粧までしちゃって、色仕掛けは成功した?まあ、貴方では無理な話でしょうね。」
執事以外と会うことはないと思ったから、もらったドレスのままで帰ってきてしまった。正直、あのピンクのワンピースはもう着たくなかったけど、こんなことなら着替えて置いてくればよかった。
どう答えれば母に解放してもらえるかがわからず、無言でいる間にも母の話は私を置いて進んでいく。
「そうそう、貴方、今日はどこへ行っていたのよ?貴方みたいな娘が王妃様にお茶に呼ばれるなんて、恥をかくに決まってるじゃない?私、気が気じゃなくて迎えをやったのよ。そうしたら貴方、第2王子と出掛けてるって言うじゃない。」
バレてる!
今まで迎えなんてどこにも寄越したことないのに、なんで今日に限って!
「あの、お茶会が終わってから、ちょっとだけ・・・。」
ようやく小さな声で説明しようとしたら、耳元でジャキッと音がした。
目の端で私から切り離された髪が肩を滑り落ちていった。
一瞬、何が起こったかわからず、呆けた顔で母を見つめ返した。
今度は、わざわざ私の目の前に、おろしてあった髪をもってきて、バツンと切った。
灰色が足元に散らばる。
「あの、お母様・・・何を。」
ハサミを手にした母の目は、据わっている。
「貴方が悪いのよ?私の計画では、王子と結婚して私の側に居てくれるのはフィーネのはずだったのに、王子はいつまでも婚約破棄しないし、お前も婚約者の座にしがみついている。だから、あの子は絶望して隣国なんて遠くに行ってしまったのよ。」
お姉様は、そりゃ遠くに嫁がれたけれど、愛する人と幸せに暮らしていると手紙にあったわ。
第一、お姉様は王子と結婚したいなんて1度も言ってない。そう反論したかったけれど声が喉に貼り付いたかのように出てこない。
「ルーカスは城に泊まってばかりで滅多に帰って来ないし、ディルクはあれだけ反対したのに東方へ行ってしまった。早くフィーネを離婚させて第2王子と結婚させようと思っていたのにもう間に合わない!全部お前のせいよ!」
兄のルーカスは城勤め、弟のディルクは去年学園を辞めて東の騎士団へ入団した。正直、皆、母と一緒に居たくなかったんだと思う。
心の中では饒舌に話せるけど、それは外には出ない。黙っている私に母はひたすら自分勝手な望みを話し続ける。
「私に似たフィーネとディルクが側にいてくれれば良かったのに、なんで残ったのが色褪せたお前だけなの。あの王子と結婚するのがお前だなんて認められるわけがない。だってお前の髪も目の色も私と違うのに。私はこの色だからこそ、侯爵家に選ばれたのよ。だからね、今、髪が短くなればさらにみっともなくなって結婚式ができなくなって、今度こそ、王子に捨てられるでしょう?だから全部、私が切ってあげるわ。」
言いながらザクリとまたハサミの音がする。
父は母の髪と目の色で結婚を決めたの?!だから、母は自分と同じ色に拘るのかしら。
でもそれ、私とリーンには関係がないと思うのだけど。
母を止められそうな父は、先週から領地に行っているし、使用人は母には逆らえない。ということは、この屋敷には現在、この事態を止められる人はいないということだ。
どうにか自力で逃げなければ。
横目で逃げ口を探していたら、
「そういえば、最近夜中にこそこそと部屋から出歩いているみたいね?一体何を探っているの?」
新たな爆弾を落とされた。
それもバレてたのね。
ヘンリックに聞いてから、夜中に行方不明になったぬいぐるみ達の捜索をしていたのだけど、まだ見つかっていない。
こっそり動いていたつもりだったけど、誰かに見られていたらしい。
「大方、王子にうちの秘密でも探ってこいとでも命令されたんでしょ。王家は常に私たち貴族を監視してるからね。貴方、いいように利用されてるわねえ?」
リーンのことをそんな風に言われて、さすがにキレた。
「お母様、リーンハルト様は私のことを利用なんてしないわ。彼が私に贈ってくれたプレゼント、どこにやったの?」
母は言い返した私をバカにするように鼻で笑った。
「貴方みたいな娘、利用されてるに決まってるじゃない、そんなことも気が付かず愛されていると本気で勘違いして、浮かれているなんておめでたい頭ね。プレゼント?ああ、第2王子はお子様なのか、貴方がバカにされているのか、いつもいつもぬいぐるみばかりで呆れちゃったわ。あんなの侯爵令嬢に贈るものではなくってよ。全部、捨てたわ。」
「捨てた?!リーンの想いがこもったぬいぐるみを?!」
「ぬいぐるみなんて幼児のものよ。大体、貴方にそれを持つことを許した覚えはありませんよ。」
「お母様の許可はいりません!あれは私達の大事な約束だったのに!酷すぎる!そうやって自分の価値観を押し付けるからお姉様達が出ていったのよ!」
「なんですって!この出来損ないが!」
しまった、言ってはいけないことまで口から出てしまった。
母の形相が変わり、ハサミを振り回して襲いかかってきた。
勢いよく突き出してきた腕を避けた時、ハサミがうまい具合に背後の扉に刺さった。
必死に引き抜こうとする母の横をすり抜け、私はドレスを膝上までたくしあげ、踵の高い靴を脱ぎ捨てながら2階へ駆け上がり、自室に飛び込むと鍵をかけた。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
母の台詞がどれも長いなと・・・。




