第8話 散歩
「街に行ってみましょう」
訓練を始めてから1週間後の朝。2人で机に向かい合って朝食を食べている際、唐突にユリンが言い出した。
「あん? 街?」
「はい。ユウヤさんものちのちには私と同じ兵士になるんです。それなのに自分が住んでいる街の様子すらも分からないんじゃ話にならないですしね」
「まぁそりゃ……そうか。つーかここに来てから忙しすぎてそれどころじゃなかったし。! じゃ、じゃあ今日の訓練は!? 無し!?」
期待たっぷりに聞いてみる。……が、
「まさか。もちろん帰ってきてからやります。みぃ〜っちりとね」
ユリンはいじわるそーな笑顔とともに、俺の希望を打ち砕いた。
「だ、だよな〜……。……でもよ? 俺を人前にさらけ出すのはまずい、ってサザデーさんが前に言ってたけど……大丈夫なのかよ?」
「心配無用! あのヒトにもちゃーんと許可をもらいましたから」
「う〜ん……よーし分かった、行こう!」
「決まりですね、すぐに支度してください。ただひとつだけ……」
ユリンは羽織っているカーディガンのポケットをごそごそと弄り、取り出したものを机に置く。
「ユウヤさんには、これをつけてもらいます」
こうして俺は山を降り、別世界を初めてこの目で見ることになった。
ユリンの服装はやっぱり素朴。カーキ色のロングスカートに、白のブラウス。
対して俺は転移したときに着ていた、白いシャツと黒いズボン、藍色のパーカーに白スニーカー。そしてさっきユリンに渡された、眼鏡のレンズ部分を黒塗りしたもの……俺の世界でいうサングラスをかけていた。
「……ねぇ、なんでこんなモンをつけなきゃならないんだ?」
「それは訓練課程を全て終えたらお話しします。そんなことよりユウヤさん。ここは、あなたの世界と比較してどうですか?」
彼女はわきから覗き込むようにして聞いてくる。実際俺は今、周囲にの光景にかなり驚いていた。
もとの世界と違うからではない。むしろその逆、あまりにも雰囲気が似過ぎているのだ。
道は車道と歩道に分けられ、その両脇にガラス窓をつけた石造りの建物が並んでいる。走っている自動車はその形こそ俺の世界のものとそう変わらないが、タイヤの幅が細かったりエンジン音がかなりうるさかったりと、技術的には少し古い印象がある。
道には等間隔にガス灯が設置され、たまに遠くから汽笛のような音が聞こえてくる。
そして、俺たちとすれ違う人々。こちらはもとの世界とは全く違う。
みんな赤だの青だのといった眼がチカチカする髪色をしている。瞳の色も同様だ。テレビでチラッとだけ見たことがある渋谷のハロウィンパーティーを思い出した。
確かにこんな人たちの中に入ったら黒髪黒眼の俺は逆に目立つだろうが、じゃあなぜ隠すのは眼だけなんだ? 頭は出しっぱでいいのはなぜだ?
そして俺が何より驚いたのは、所々に見かけるとんでもない者たちだ。
たとえば上を見ると、ヒトが上空20メートルのあたりをふよふよと飛んで進んでいる。スーツを着てネクタイをした初老の男。ひどく焦った様子である。察するにどうやら、会社に遅刻しそうであるらしい。
今度は前。そこにあるのは小さな屋台。肉を売っている屋台だ。店頭には全身の毛を除去されたよく分からない動物が丸ごと吊り下げられており、店主の男がそれを自分の両手から出す炎で焼いている。
お次は右、工事現場。そこの作業員のうちの1人が、直径3メートルはあろう巨大な岩を片手で軽々と運んでいる。その人は確かに多少筋肉質ではあったが、明らかにあんなサイズの物体に見合う体格ではない。なのに彼はその岩を持ち上げたまま、他の作業員と笑って話しているのだ。
「な、なぁ……! ああいうのって全部魔術なのか……!?」
「そうですよ。ユウヤさんも私を見て、魔術にもいろいろ種類があるっていうのは気付いているでしょう? 私も同様ですが、自分の使える魔術をああやって仕事に活かす人は大勢います」
「……空飛んでるオッサンは、仕事に活かしてるのとはなんか違くね?」
それから1時間ほど歩いて回った。
「ふぅ、少し休憩しましょうか。ここで待っててください。近くで飲み物を買ってきます」
そう言うとユリンは走って行き、待つ間俺は道端に設置されているベンチに腰を下ろした。
やはりどこに行っても、俺の生まれた世界と大した違いはなかった。だが逆に不自然だ。こんなに似てるなんてことがあるんだろうか? 雰囲気はともかく、言語や文字まで丸カブりなんてあるか?
それらを俺の先代の転移者が広めたという可能性もあるかと思ったが、しかしユリンに聞くところによれば、転移者とそれに関する情報はごく一部の者しか知らない機密事項らしい。つまり一般人はその存在を一切知らないということだ。それでは辻褄が合わない。
「え〜え、どーいうことなのよいったい……」
考えるのに疲れた俺は、地面を眺めながらボーッとしていた。
その時、すぐ前でドサリと音がした。
顔を上げると高齢の女性が地面に膝をついている。どうやら転んでしまったらしい。俺は駆け寄って声をかけた。
「大丈夫すか?」
「ああ、大丈夫大丈夫ありがとう。ごめんなさいねぇ、あたしったらうっかり屋で……」
その女性はゆっくりと身体を起こし、膝などを軽くはたいた。
「ホントに大丈夫よ。えぇと、カバンは……」
その女性はあたりをキョロキョロと見回す。俺も周りを見てみると、俺の後ろにピンク色の手提げカバンが落ちていた。
「これすか?」
「ああ、それそれ。ありがとうねぇ」
俺はそれを拾い、渡そうとする。
「え?」
すると、奇妙なことが起こった。彼女の手に渡る寸前で、カバンが俺の手から消えたのだ。それと同時に、俺の前にいる女性が叫び声をあげる。
「きゃーッ!! どろぼーッ!!」
さっきまでののんびりとした口調が嘘みたいだな! ……って、は? 泥棒?
俺が彼女の視線の先を見てみると、そこには信じられない光景があった。
カバンが勝手に動いているのだ。それも地面を這っているのではなく宙を浮いて進み、俺たちからどんどん離れて行っている。
「は、はあ!? なんだ、この世界じゃカバンも空を飛ぶのか!? つーかなんでカバンが勝手に動いてるのが泥棒なんだ!!」
「あなた、お願い!! 捕まえて!!」
「ええ!? お、俺ぇ!?」
女性にすがるように頼まれた俺は、訳が分からぬままカバンを追って走り出す。しかしそのスピードはかなり速く、平凡な運動神経しか持たぬ俺の脚では追いつけない。カバンとの距離は開く一方だった。
しばらく走っていると、カバンの先に人混みが見えた。
まずい。あそこに紛れられたら見失ってしまう。しかし俺からカバンまでは現在約20メートル。おまけにさらに離されていっている。
くそッ、間に合わねぇ!
「ーー"慈䜌盾"!」
その時、俺の背後から声が聞こえたのと同時にカバンの行く先に透明な円形の壁が現れ、カバンはそれにぶつかった。
「ぶぎゃッ!!」
そしてなんとカバンが喋ったのだ。それはそのまま地面にぽとりと落ち、動きを止めた。
俺がその意味不明な状況に混乱して足を止めていると、後ろから背中をポンと叩かれる。
「やっぱり、帰ってからも訓練はしなきゃですね。瞬発力が足りませんよ〜? ユウヤさん」
振り向くと、いつのまにかユリンがいた。
「10時4分、窃盗により現行犯逮捕。まったく、タチの悪い泥棒さんですね」
ユリンはそう言うと、おでこにタンコブをつくって地面にのびている男に手錠をかける。その男の右手には、さっきまで勝手に動き回っていたピンク色の手提げカバンが握られていた。
「つ、つまり……コイツが使ってたのはつまり……"透明化"の魔術!?」
「ええ。透明化の術による犯罪やトラブルはよくあるんですよ」
カバンは無事持ち主の女性に返され、彼女はユリンにお礼を言って去って行った。……ちょー頑張って走った、俺のことを忘れて。
「……そりゃ、そうか」
「はい?」
「いやよ、魔術を犯罪に使うヤツもいるんだな、って」
「そうですねぇ……ただ魔力の痕跡からすぐ足がつくので、件数はそんなに多くはないです」
「魔力は遺伝子レベルで固有のもの、か」
「その通り。だんだん理解できてきましたね」
そんな他愛もない会話をしていると、俺たちの前に1台の小さな車が止まり、中から小太りの男が降りてきた。
「ようよう、ユリンちゃん。お手柄だったね」
「お疲れ様です、チャーリーさん」
ユリンは彼にペコリとお辞儀をする。どうやら同僚であるらしい。チャーリー、と呼ばれたそのヒトは気絶している窃盗犯を紐でさらに縛り上げ、車の助手席にぺいッ、と放り込んだ。
「しかしいつこっちに帰って来てたんだい? あっちで何かあったのか?」
「いえ、サザデーさんの直命を受けまして。帰って来たのは1ヶ月ほど前です」
「はん? 元帥直命かァ……。いや、俺なんかが首を突っ込むことじゃなさそうだな」
すると、小太りの男はその視線を、ユリンの後ろにいた俺にジロリと移す。
「ところでそいつはなんだい? 彼氏?」
「いえいえ、ただのお友達ですよ」
「なーんだつまんないの。まぁユリンちゃんはこんなほっそい男には興味ないか」
「んな!? なんだアンタいきなり失礼な!」
「はっはっは、ジョーダンだよ。じゃあ俺は行くよ。あとはこっちでやっとくから」
「はい、お願いします」
男が運転席に乗り、車のエンジンを入れたその時。
ーー突然、街中に甲高い音が鳴り響いた。消防車のサイレンのような音だ。
「うぅわッ!? な、なんだ!! なんだ!?」
俺が驚き狼狽え、人々が騒がしくなる中、ユリンとチャーリーの表情が一気に険しいものになる。
チャーリーはすぐさま車の中にあった無線機のような機械を取り出し、そこへ向かって怒鳴り声を上げた。
「本部!! こちら4-76952だ!! 出現場所とコード、被害状況を教えろ!!」
『こちら本部!! 場所はノーム地区北にある森林!! 現在確認した限りでは、死亡者3名、重傷者1名!! 死亡者のうちの1名は兵士です!!』
「コードはッ!!」
『待ってください!! ……確認取れました!! コードは"エドメラル"!! "エドメラル"です!!』
それを聞いた途端彼の眉間のシワは、ぐぐッ、と一気に深くなった。
「エドメラルか……!! また厄介な野郎が出て来やがったぜ……!!」
「チャーリーさん、私は現場に行きます! 車を貸していただけますか!?」
「分かった!! 気ぃつけろよ!!」
チャーリーは1度助手席に乗せた窃盗犯と一緒に車から降り、その入れ替わりでユリンが運転席に座る。
「ユウヤさん、乗って!!」
何が起きているのか分からずに固まっていた俺は指示されるまま助手席に乗り込むと、ユリンは猛スピードで車を発進させるのだった。
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