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第32話 幻妄(げんもう)



 床を蹴り、弾かれるように走り出す。部屋の外のバイランを目掛け、まっしぐらに。

 奴までの距離は僅か3メートル。一瞬にして手が届く位置まで詰まる。間髪入れずに固い右拳をつくり、壁にもたれて座り込んでいるバイランに打ち下ろした。


 狙ったのは奴の鼻っ柱、顔面の中央。……だった。

 しかし、拳は外れてしまった。バイランはその身を右側に転がし、その一撃を躱したのだ。


「ちッ!!」


 目標を失った俺の右拳はそのまま壁を殴りつけた。木製の壁にヒビが入り、拳の先端には血が滲む。

 避けたバイランは、廊下の俺から少し距離を取った位置で体勢を立て直す。

 右手の甲が痛みでキリキリ叫んでいるが、今はそんなことに構っている場合じゃない。


 こいつ、避けやがった。目の前からの一撃を。


 本当に見えているのか? ならいったいどうやって。失明は嘘じゃないというこいつの言葉を信用するのなら……

 魔術。その能力なのか。はっきりとは言えないけど、今はそれしか考えられない。……そういえば、エミィちゃんが言っていたな。こいつが使う魔術特性の名前は、確かーー


「う……!?」


 その時、強烈な目眩が襲いかかってきた。続いて頭の中が金切り音を発し、視界が霞み始める。

 撃ち込まれた麻酔弾がいよいよ本格的に回ってきたのだ。舌を噛んだ程度の痛みでは、意識を繋ぎ留められないほどに……。


「くっく……大丈夫か?」


 バイランはふらつく俺をニヤニヤしながら眺めている。


「う……ぎ……んの……やろ……!!」


 卑しく、そして苛つく顔だ。とんでもない屈辱だ。

 だが奴を睨み返してやろうとしても、目元に力が入らない。目蓋が重くなり、視界がどんどん狭まっていく。

 どうにか正気を保とうと再び頬をつねるが、そもそもその手にも力を込めることができない。大した刺激にはならなかった。


「おいおい、ここまできて無理をするな。そのまま眼を閉じろ。気怠さに身を委ねてしまえ。我慢は身体に毒だぞ?」


 いよいよ脚が言うことを聞かなくなる。身体が右に、左に揺れる。それを支えようと、咄嗟に左側にあった壁に手をついた。


「……?」


 その壁はいやにツルツルで、ひんやりとしていた。……窓だ。俺が今触れているのは窓ガラスだ。


「……!!」



 それが分かった瞬間。俺は歯を食いしばり、自分の頭をその窓ガラスに向けて力の限りに叩きつけた。



「なッ!?」


 窓が砕ける甲高い音、そしてバイランの驚愕の声が、星明かりにうっすらと染まっている夜の廊下に響き渡る。

 ガラスの破片に加え、俺の額から吹き出した鮮血が床一面にばらばらと散らばった。


「あ……ぐ……ぅ……ッ」


 意図せず口から呻きが漏れ、たちまち顔面が血で真っ赤に染まる。


 額には細かい破片が無数に突き刺さっている。それだけではない。割れた窓から入ってきた生風(なまかぜ)に、皮膚が裂けて剥き出しになった頭蓋骨を直接撫でられていた。

 形容し難い激痛。眠気は一瞬で吹き飛んだが、代わりに今度はそのあまりの痛みによって気を失いそうになってしまう。


「……ッ……ふぅ……ッ!!」


 ひとつ強めに息を吐き、悲鳴を上げる神経を無理矢理に落ち着かせた。


「……気にしてくれなくてもいいぜ。こちとら我慢は慣れっこだからよ……!」


 甲斐あり。気休めの域こそ出ないが、まともに口をきけるだけの余裕は取り戻せた。

 バイランは顔色を戦慄に染め上げながらそんな俺と向き合っている。


「貴様……正気じゃないのか……!?」


「……かもな。でも……てめぇほどじゃねぇだろ……」


 ーーちくしょう。痛えぇ。

 目がチカチカする。息が苦しい。気持ち悪くて吐きそうだ。

 知らなかった。人は血を出しすぎるとこんな状態になるのか。いつもはどんなにデカイ怪我をしても、ユリンがすぐに治してくれたからなぁ……。

 俺はここでようやく、ユリンがそばにいないことに対する不安を覚えた。


 ……と、その時。




「……ふ……ふふふ……ふふふふふふふふ……」




 ……え。


「くふふ……くはーッはっはっはっはっはっは!!」


 突然バイランが笑い出した。腹を抱え、目を細め、喉の奥が丸見えになるまで口を目一杯開いて、おまけに咳き込んでしまうほどに。そこに品性などありはしない。まるで無邪気な子供のような笑い方だった。

 ついさっきまで血塗れの俺を見て怯えていたとは到底思えない。情緒があまりにも不安定すぎる。


「おい……!! 何がおかしい!!」


 俺が怒鳴りつけると、奴は我に帰った。


「……ふふ……いや、失礼した。成程(なるほど)な。……認めよう。どうやら私は貴様を侮っていたようだ。単細胞のうつけ者には違いないが、なかなかに根性のある男よ。だが……それでも世を渡るには精神力だけではどうにもならん。今の貴様にしてもそうだ。舌といい頭といい……その出血で、貴様の身体は果たしていつまで()つかな?」


「……関係ねぇ。俺がブっ倒れる前に、てめぇをブッ飛ばせばいいだけの話だ……!」


「ほほぉ? ほざきおるほざきおる。全く……つくづく粋の良い奴よのぉ〜」


 ……なんだこいつ……? さっきからなんか振る舞いというか……態度が変だぞ。人が変わったみたいだ。


 俺が訝しむのを他所に、バイランは濁った眼球を剥き出しにし、半ば叫ぶようにして言葉を続ける。


「いいだろう!! 最早(もはや)問答は不要である!! その性根!! その度胸!! 貴様は我が力の真髄を行使するに足る男だと判断した……!! 全力で相手をしてやるッ!!」


 その瞬間。背中からぞわりと音がするのが聞こえた。廊下全体の空気も一変。窓から入ってきている風も、さっきよりもずっと冷たく感じる。

 その奇怪なプレッシャーに俺が身構えたのと同時に、バイランの身体から光が発せられた。


 それは、光と呼ぶにはあまりにもドス黒い。しかし何故(なにゆえ)か、思わず目を細めてしまうほどに眩いのだ。黒いのに、真っ黒なのに。

 そう、輝いているのだ。()()()()()()()のだ。

 黒光(こくこう)(あや)しく揺れながらどんどん大きくなり、ついには天井にまで達した。


「な、なんだよ……こりゃあ……!?」


 俺がそうして分かりやすく怯んだ矢先、バイランははシワに囲まれた口を開いた。




呆己怠體(あっきだいたい)


 ーー『仁狩鋏(にぎりづか)






 ちょきん。






 ……。



 …………。




「……?」


 ……あれ。


 なんだ? 


 何も起きない。



 十数秒が経った。



 が、状況は一切変わらず、廊下全体にに黒々とした光が満ちているだけ。その光源であるバイランも、ただニタニタと笑みを浮かべているだけ。

 でもそれだけだ。なんにも無い。


 ……なんだよ、ハッタリか。驚かせやがって。


「へっ、何をしてんだか。安い虚仮威(こけおど)しだぜ」


 俺は胸を撫で下ろし、バイランに向けて声を投げた。だが奴は返事をしない。やっぱりニタつくだけである。この期に及んでだんまりとは、とことんムカつく野郎だ。


「おい! いい加減強がりはやめてコーサンしろよ! この黒い光はトリックとしちゃよく出来てるけど、見掛け倒しもいいとこだ。全く、ビビって損したぜーー」



 そこまで言いかけて、俺は喉を詰まらせた。あったのだ。変わっているところが、ひとつだけ。



 拳銃だ。奴が、いつの間にか右手に拳銃を握っていたのだ。さっき麻酔弾を撃った物とは違う形の拳銃だ。

 

 ……バカな。あいつ……いつの間に抜いたんだ? 全然気が付かなかったぞ……?


 その銃口からは色の濃い煙が細く伸びていた。それはつまり、たった今あの銃から弾丸が放たれたことを意味する。

 そしてここで、当然の問題が生じる。その弾丸はいったいどこに行ったのかーー



「……え」


 そこまで考えた時だった。



 俺の左膝が、がくりと折れたのだ。 



「あれ」


 麻酔の効果が脚にきたのか? それともいくらなんでも出血が多すぎたか? 俺は最初、そう思った。だが脚に目を下ろしてみると、すぐにその考えが間違いであることが判明した。



 左脚太腿部。そこに、直径1センチほどの穴が空いていたのである。



 ……なんだ。


 なにが起きた。


 これは……銃創……?


 血が出てる。痛え。


 ……つーか、ちょっと待て。



 俺……()()()()()()()()……?



「おぉい、大丈夫かねぇ?」


 困惑の海でもがく俺に対し、今度は奴から話しかけてきた。嘲り、小馬鹿にするような声色で。


「……てめぇ。何をした。……なんかしたのか……?」

 

「んん? 聞くことではあるまい。この獲物を見れば分かることではないか?」


 そう言いながら奴は右手に持った拳銃を見せびらかすように振ったが、全く答えになってない。


「そうそう、一応言っておくがーー」




 ちょきん。




「ーーれに装填しているのは麻酔弾ではないぞ」


「!?」


 おい、今のはなんだ。今こいつの言葉が変に途切れたような。 

 

 そして……まただ。この感覚……!!

 うまく言葉にできないが、身体のどこかに確実な違和感がある。自分の身体に何かが起きたという警報がはっきりと聞こえてくる。


 全神経を集中してその居所を探ると……見つけた。


 顔の左側。耳だ。左耳のあたりがなんか……冷たい。神経が空気に直接触れている感覚だ。やがてじわじわと重苦しい痛みが膨れ上がっていく。

 恐る恐る、手を触れてみた。


「あ……ああ……ッ!?」



 ……無い……! 左耳の耳朶(みみたぶ)が無い! 千切れている……いや、吹き飛ばされている!!



 バイランの方に目を向けると、奴が持つ拳銃からは再び煙が出ていた。俺はまた奴に撃たれたのだ。たった今、ほんの今に。


 そんな!! いつの間に!? どうやって!?



 俺は奴が銃を取り出すところを見ていない!!


 奴が銃を構えるところを見ていない!!


 奴が引き金を引くところを見ていない!!


 奴が撃ったときの銃声を聞いていない!!



 それだけじゃない……!! その撃った弾丸が俺の肉に食い込んだときの感触すらも、全く覚えていないんだ……!! ()()()()()()()()、身体に弾を埋め込まれ、身体の一部を吹き飛ばされていた!! 俺の目も、俺の耳も!! 俺の身体を形造る細胞の全てが、そこに至るまでの過程の一切を認識していない!! 



「な……なんだ……!! なにが……!?」


 奴の魔術か!? いや、そんなアホな!! 


 奴は言っていたじゃないか。俺には、自分の術が効かないと。だから俺の記憶はいじれなかったと。


 ……ちょっと待て。なんで俺は敵の言葉を鵜呑みにしてるんだ。奴が嘘を言っている可能性もあるじゃないか!!


 ……いやいや、そんな嘘をつく必要がどこにある!? そんなどうでもいいホラを吹くヒマがあるなら、さっさと俺の記憶を改竄すればいいだけの話だ!! 

 


「ふふふ……分からんか?」


 俺の混乱を見てとったのか、バイランはこれでもかと嘲笑を溢す。


「分からんだろう、分かるまい。いや、むしろそれが正常だ。神聖なるこの力の前には、人類の理解など等しく無為なのだから。私のように選ばれた者のみが、行使することを許された力なのだから……!」


 神聖……!? 選ばれた者……!? 


「だが……タネのひとつも明かさぬままというのは、これから死に行く貴様に対してあまりに無慈悲というもの……。幼子の如き純粋な優しさに溢れる私には、そのような仕打ちなど出来る筈もない……」


「!! 野郎……どの口がぬかしやがる……!!」


 しかしバイランは、そんな俺の悪態を完全に無視した。言っていることも何が何だか滅茶苦茶だ。もうさっぱり分からない。

 完全に正気を失くしてる。ただ興奮しているなんてもんじゃない。奴は酔っているのだ。目を血走らせ、顔を紅潮させ、口角を吊り上げているのだ。(たかぶ)り、嬉々(きき)とし、(はしゃ)いでいるのだ。それこそまるで幼い子供のように。あるいはーー



 まるで、何かに取り憑かれたように……。

 


「なれば冥土の土産に教えてやろう!! これぞ我が魔術特性『幻妄(げんもう)』!! 心を歪め、思考を流し、感情を塗り消す能力!! (まよ)うがよい!! (まど)うがよい!! そして正気に戻った時、貴様はすでに死んでいる!! ()をブッ飛ばす!? 大いに結構!! やれるものならやってみるがいい!! 貴様の力がその口先に見合うものか否か、この()が直々に見定めてくれるぞッ!!」




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