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第31話 眠りになどつけるものか



「いやね、私もいろいろと方法は考えたのさ。その上で最も手っ取り早いものを選択したまでだ」



 バイランはわざとらしい手振りを見せながら話し始める。


「エミィ・アンダーアレン。そいつは実に純粋だ。心の優しい子供だ。そして、その優しさを貫き通せるだけの強い勇気も持っている。幼子にしては異常なほどのな。だがその勇気が邪魔だった。記憶を弄れない以上は力で()じ伏せて行動と思考を縛るしかないが、エミィにはそれすらも通じなかった。自分を差し置いて他人を第一に心配するそのガキには、力による脅しがまるで意味を為さない。それどころか自分の身を危険に晒してでも、私のしたことを周囲に伝え、他のガキめらを救おうとする。そういうタイプだった」


「力……捩じ伏せるだと……!? こんな子供を……!?」


「くっく……気に入らんか? まぁとにかく、そのままではどうしようもない。だから私は……脅しのやり方を変えることにしたのだよ」


「……て、めぇ……ッ!!」


 薄々気付いてはいたが、ここまで言われればもう分かる。


 目の前にいるこいつが、何をしたのかーー



「エミィの母親の方はさっさとエドメラルの餌にしてしまったのだが、父親の方だけを生かしておいた。あとはシンプルだ。私に従い口を(つぐ)むか、父親の死か。その2択を突き付ければ済むだけのことだったからな。他のガキめらを人質とするわけにはいかない。エミィを含め、奴らは皆大事な駒だ。1人として失うわけにはいかぬ。だがその親には全く用は無かったのでな。どうとでもできたというわけだ」



 ーー人質。


 人の優しさに、思いやりに、愛情につけ込み、利用する。最悪だ。考えうる限り、1番最悪のやり方だ。


「……と、思っていたのだが……やはりそう簡単にはいかなかったよ」


 ここまでに聞かされた内容だけでも、目の前にいるこの男が人の道を外れた下衆だということは十分に理解できた。だがそれだけに止まらず、男はさらに言葉を続けたのだ。


「……なに?」


「私は最初、エミィも他のガキめらと同様に魔術に侵されているように見せかけようと思った。要は、そういう状態である風に演技をさせようと思ったのだ」


「演技……」


「しかし子供というのは自分の感情に正直でな。エミィのような純粋過ぎる者は特にだ。全てを忘れた演技などできるはずもなかった。父親への心配があからさまに態度に出てしまっていた。常に顔は青ざめ、手脚を震わせ、唇を噛み締める。誰がどう見ても不自然、周りのガキめらと比較しても違和感が強過ぎた。無論、何度も直させようとしたが、一向に変わることはない。困ったものだったよ。あれでは軍の者に不審がられてしまう」


 バイランのその話し方はまるで、出来の悪い道具に対しての愚痴を述べるかのようだった。


「面倒はまだあった。そいつの父親もまた、並外れたお人好しだったのだよ。自分よりも娘のエミィことばかりを案じていた。自分のことはいい、助けを呼べと、そればかりを彼女に言っていた。どうにか黙らせようとしたが、四肢を()ぎ、耳を削ぎ、両眼を潰しても尚、その姿勢は微塵も揺るがなかった。全く……思い返しても実に忌々しい男だったなぁ」



 ……は。



「私はその父親がどうしても気に入らなかった。そしてある時苛立ちが頂点に達した私は、うっかり父親をここの地下で飼っている私のペットに喰わせてしまったんだ」



 ……は? ……喰わせた? ペット……?



「いやはや、あれは痛恨のミスだったよ。激情に駆られて大事な人質を失うなど、取り返しのつかない失態だ。だがしかし、やはり天は私に味方したのだろうな。それが思わぬ成果を生み出したのだ」


「成果……? どういう意味ーー」



 ーーお父さんも、食べられたのに。



 その時、再び雄弥の脳裏にエミィの言葉が蘇る。そして彼は、この言葉からひとつのことを考えた。


 ……それは、あまりに、あまりにも。残酷かつ無慈悲なものだった。



「……見てた……のか……!? エミィちゃんは……!」



 それを聞いたバイランは愉快げに笑い出した。



「はっはっは! なかなか察しが良いではないか! その通り……彼女は見ていたのだよ。自分の父親が()み砕かれ、呑み込まれるその瞬間をな……」



「……!!」


 雄弥は表情を強張らせた。


 分からないのだ。なぜこの男は笑っているのか。その理由が、ひとつも理解できなかったのだ。

 笑うということは、面白いと思っているということだろう。だが、その面白さがどこにあるのか、何が面白いのかが分からないのだ。

 自分が馬鹿だからか? 間抜けだからか? そのせいで理解できないのか? 彼はそんなことも考えた。


「そうそう、成果の話だったな。まぁ単純に言えば、エミィの心を崩せた、ということだ。他人との会話すら億劫になるほどにな」


 彼の思考がまとまらぬ中、バイランは楽しげな調子のまま話を続ける。


「エミィの父親は下半身から喰わせた。脚はすでに捥いでいたので、腰、腹、胸、肩……そうやって喰わせていったのだ。さぞ痛いのだろうなぁ。喰われている最中、父親は終始絶叫を上げていたよ。さすがに腹まで噛み千切られた頃には弱々しい呻き声しか出さなくなったが……くっく。ヒヤヒヤしたものだ。地上にいるガキ共に、その声が聞こえてしまうのではないかとな。エミィはその様子を間近で見て、聞いていたのだ。あの時の様子は傑作そのものだったぞ? 陸に打ち上げられた魚のように口を喘がせておった。いやぁ、()()()()()()()()()のが残念でならんかったわい。いかに勇気を持ち得ようと、所詮は子供だったということだな。根っこはひどく脆いものよ。全く……手間を掛けさせられた。ガキならばガキらしく、大人の言うことに従っておればよいもの。そうすれば、父親の寿命ももう少し延びたかもしれんのになぁ。まぁ結果として、精神を不安定にしたエミィを軍の連中は深く追求することができなくなったので、私の心配は払拭されたがね」



「……」


 雄弥の中が、燃え始めた。


 感情が煮立る。不愉快だの、気に入らないだの、そんな陳腐なものではない。


 震えている。叫んでいる。毛が、皮膚が、骨が、筋肉が、内蔵が、血液が。


 歯が勝手にぎりぎりと音を発し、爪が掌の皮膚を貫いたことで、握り締めた拳からは血が垂れ始めた。


 彼にとって、エミィは赤の他人である。その両親も然り、他の子供たちとその両親たちも然り、……また、バイランも然り。彼らとの思い出など一切無く、彼らへの思い入れは微塵も無い。何をしようがどうなろうが、雄弥自身への影響は何も無く、全くの無関係のはず、いや、そうなのだ。



 それでも、彼の中には確かな怒りがあった。



 彼は頭が悪い。しかしそんな彼にも、はっきりと分かることはあるのだ。


 彼は知っている。人として、やってはいけないことを。


 彼は知っている。人として、許してはならないことを。



「こッの……クソ野郎がぁッ!!」


 次の瞬間には、雄弥は握り締めた右拳を振り上げていた。そして目の前の老人に狙いをつけ、それを打ち出した。



 だがその時。だん、という甲高い音が響いた。2度目だ。ほんのつい先程、同じ音が、この部屋で発せられている。



「う……ッ!?」


 そしてその直後、雄弥は身体を硬直させた。彼の拳はバイランまであと数センチのところで止まってしまう。


「……やれやれ。貴様の方こそ眼が見えていないのではないか? 私はずっと貴様に銃口を向けていたというのに。立場を弁えたまえよ。この場の主導権は、私にあるのだ」


 迂闊(うかつ)なり。まさに単細胞の極みである。

 雄弥は完全に忘れていた。バイランが、右手に銃を握っていることを。それがたった今、エミィがくらったものと同じ麻酔弾を放ったのだ。

 雄弥は自分の身体に目を向ける。……左肩だ。そこに、注射器のような弾が撃ち込まれていた。


「……ぐ……ぎ……」


 たちまち彼の意識は眩み、足元がふらふらと覚束ないものとなる。なんとか踏ん張ろうと腰に力を入れるもむなしく、やがて雄弥の身体は仰向けで床へと倒れ伏した。

 その衝撃で、彼が掛けていたサングラスは外れてしまった。



「ふん……他愛の無いものよ。私の術を()けるほどの魔力を持つといっても、術者本体がこの有様とはな……。雑魚などというレベルではないぞ」


 部屋の入り口に立っていたバイランは銃を持つ右手を下ろすと、倒れた雄弥の側に歩いて寄り、彼の頭を足蹴にした。そのまま足首を動かし、ぐりぐりと踏みつける。


「くっく……しかしだ、惜しいところまではいったよ。どうやらエミィは貴様には少しばかり口をきいたようではないか。床下からの来客に相当驚いたのか……まぁいずれにしろ、それも無駄に終わる。そもそも私は、わざと貴様をここに呼び寄せたのだ。地下で始末するのは簡単だったが、貴様とは少しお喋りがしたかったのでな。それも終わりだ。ここで貴様を消せば状況は元通りとなり、私のしたことが世に拡まることはない。残念だったな……誰も私を裁くことなど出来はせんのだ」


 年相応にシワの入った顔面を喜悦によってさらに歪ませ、雄弥に向かって唾を吐き掛けた。

 その振る舞いに、出で立ちに、品格などは欠片も無い。ただ純粋な邪悪のみが滲み出ていた。


「……さて。それでは貴様にも、ゼメスアの餌になってもらうとするかな……」


 バイランはそう言い、雄弥の頭から足をどけようとした。



 ーーのだが……。


 

「なにッ!?」


 彼は驚愕した。頭を踏みつけていた右足首を、雄弥に掴まれたからだ。麻酔弾を撃ち込んだはずの雄弥が、動きだしたからだ。

 バイランはそこを持ち上げられて転ばされ、さらに体勢を崩したその瞬間、立ち上がった雄弥に右頬を殴られ、ふっ飛ばされた。そのまま部屋の扉をぶち破り、外の廊下の壁に背中から激突した。


「ぐおッ!!」


 その衝撃にバイランは肺の空気を全て絞り出し、右手に持っていた拳銃を床に落とした。


「……貴ッ……様……! なぜ……!?」


 撃った麻酔は確かに雄弥に命中した。なのに、なぜ彼にその効果が現れないのか。

 目の前に立つ雄弥を見れば、その理由は一目瞭然だった。だがバイランはそれを把握できていない。どうやら今の彼には、()()()姿()()()()()()()()らしい。


 



「……ぺっ」


 口の中に溜まった血を吐き出す。同時に自分の頭を叩き、朦朧とする脳みそを奮い立たせる。

 俺の口の端からは血が溢れていた。麻酔に侵される寸前に舌を噛み潰して、その痛みで無理矢理意識を繋ぎとめたのだ。

 自発的にやったことじゃない。俺の本能が、俺の顎が、勝手に動いただけのことだ。いつもは年老いた亀のように鈍い俺の身体だが、今に限っては最高の働きをしてくれた。



 この男を許さない。俺は今、全身全霊でそう思っている。俺の全てがそう叫んでいる。だからこそ、そんな咄嗟の動きができた。

 


 俺はようやく理解した。エミィの心の傷とは、自分の命が危険に晒されたことへの恐怖じゃない。

 この子は、自分の父親が自分のせいで殺されてしまったと思ってしまっている。自分が恐怖に屈したから、自分の心が弱かったから、そのせいで父親が死んでしまったと思っている。



 ーー自分が父親を殺したと、そう思っているんだ。



 なぜ。なぜだ。


 なぜこんな小さな子が、そんな呵責に苦しまなければならない。


 こんな奴のせいで。こんな、奴のせいで。



 それに。この子のお父さんは、最後に叫び声を上げていたという。自分が喰われる痛みに、絶叫を上げていたという。


 ーーだが、それだけだろうか。お父さんが叫んだ理由は、本当にそれだけなのか?


 自分の奥さんを殺された。唐突に、それもこんな奴の手によって。


 娘は囚われた。自分をダシに脅されて、恐怖に怯える日々を送らされている。


 そして自分は……そんな娘の目の前で、彼女を守ることもできずに死んでいく。


 これほどの苦痛があるものか。耐え難いことがあるものか。


 悔しかったろうに……悔しかっただろうに……!!



 ーーふざけんな……!!



「許さねぇ……!! てめぇは……やっちゃならねぇことをやり過ぎた!!」


 左肩に刺さった麻酔弾を力任せに引き抜き、床に捨てる。思いっきり踏みつけ、破壊する。


「子供が感情に素直で何が悪い……!! 親が子供を想って何が悪い!! なんでてめぇみたいなクズにそれを踏みにじられなきゃならねぇんだ!! なんの権利があってそんなことをしやがるッ!!」


 口がひとりでに動く。喉が勝手に声を張り上げる。何を寝てる、そんな場合じゃないだろと、俺を叱咤するように。


「それになんだって? 誰にも自分は裁けないだと……!? けっ、てめぇ馬鹿だな……!! この俺よりもだ!!」


「……なんだと……?」


 バイランは部屋の外、廊下の壁にもたれて座り込んだ状態で、訝しむような顔をする。


「方法ならあるぜ!! シンプルだ!! 俺がこの場でてめぇをブチのめし、軍のところに引きずっていく!! てめぇにぬくぬくとした暮らしなんぞさせねぇ……!! 一生ブタ箱の隅で丸まってやがれッ!!」


 俺は、この世界の法律も司法制度うんぬんも全然知らない。だが裁けるはず、いや、そうに決まってる。こんな奴を放任する世界など、許す世界などあるわけがない。存在していいはずがない!


 バイランは目を見開いて呆けたように黙り込んでいたが、しばらくするとゆっくりと立ち上がった。白い服の埃を手で払い、腰をさする。そしてーー濁った茶色い瞳で、俺を真っ直ぐに睨みつけた。


 

「……ほざきおったな……戯言(たわごと)を……!」



 奴はここで初めて、その表情から余裕を欠いたのだった。




「ぐ……ッ」


 目蓋(まぶた)が閉じかけ、膝の力が抜けそうになる。頰を紫色になるまでつねり、どうにか持ち直す。


 撃ち込まれた麻酔弾は強力だ。


 視界はすっかり灰色に染まっている。目の前の景色が、白黒の状態だ。思い切り噛み潰したはずの舌の痛みももうほとんど感じていない。少しでも気を抜けば、今度こそ俺の意識は完全に沈んでしまうだろう。おまけにここにいるのは俺1人だけ。助けは期待できそうもない。状況は最悪も最悪だ。



 だが、それがなんだ。



 ここで倒れることはすなわち敗北であり、そして俺の敗北はバイランの勝利を、子供たちの破滅を意味する。


 俺はエミィに言った。みんなまとめて助けると、確かにそう言ったのだ。予定はなにもかもぶっ壊されたが、言ったからにはやらねばならない。


 何より。俺自身が、こいつを許せない。俺がここでこいつに負けることを、俺自身が許せない。


 やるのだ。俺1人しかいなくとも。


 守らなきゃ。


 助けなきゃ。


 俺の力は、そのためにあるはずだ。


 こいつを殴り、こいつを砕き、こいつを叩きのめすまでーー



 眠りになど、つけるものか。





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