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第20話 戦闘開始




「ゲルオオオオオオオオォオッ!!」


 周囲の地面に落ちている枯葉を宙に巻き上げるほどの野太い雄叫びを上げ、2メートル半の身長を持つカエル頭の怪物は(よだれ)を垂らしながら走り出した。雄弥(ゆうや)とユリン、2人との距離を一瞬で詰めにかかる。


「ユウさん、いいですね!! 今言った通りに!!」


「おうよ!!」


 そしてエドメラルの鎌が迫る直前。彼らは、右と左の二手に分かれて走り出した。鎌は空振り、地面に深々と突き刺さる。


「ゲルルッ!!」


 エドメラルはすぐさま鎌腕を引き抜き、その巨大な眼玉を左側に向けてぎょろりと動かす。視界に入ったのは……ユリンだった。

 そのまま身体ごと左へ向き直り、突進。彼女を仕留めにかかる。


 脚を動かす速度も、歩幅も、人のそれとは比較にならない。一瞬のうちにユリンに追いつき、彼女に向けて両腕の鋭い鎌をやたらめったらに振り回す。

 

「"慈䜌盾(しらんじゅん)"……『(しん)』!!」


 するとユリンは、両(てのひら)に直径30センチほどの小さな円形の盾を生み出し、それを用いて自身に打ち込まれる鎌の猛連撃を華麗(かれい)に捌き始めた。


 彼女は盾の表面に鎌が触れたのと同時に手の角度を調節し、正面から止めにかかれば腕ごと弾かれるほどのパワーを持つその斬撃のひとつひとつを、(すべ)らせるようにして"受け流して"いた。

 その一連の動作は極めて(かろ)やか、かつしなやか。まるでオペラ座のバレエダンサーのよう。


「ゲガアアアアアァァアアアアアァァッ!!」


 ちょこまかと動き回る獲物に対し、怪物も激しく苛立っていた。


 一方、右側に走った雄弥は。


「……」


 額に浮かべた汗を頬をつたらせてぽたりと落としながら、じっと立ち止まっていた。ユリンとエドメラルから、20メートルほどの距離をとって。

 別に彼は、安全圏で(ほう)けているわけではない。その証拠に彼の視線はエドメラルから少しも外れておらず、(まばた)きすらとしていなかった。


 これは、戦闘開始直前にユリンから指示された作戦である。


 まず二手に分かれ、エドメラルの注意をどちらか片方だけに集める。

 雄弥を追いかけた場合は、ユリンが離れた位置から魔術による盾で彼を守りつつ、エドメラルの動きを止める。その隙に彼が至近距離から魔術を撃ち込む。

 逆にユリンを狙った場合は、彼女がそのままエドメラルを引きつける。そして、彼女がエドメラルから一定の距離を取った瞬間に、雄弥が遠距離から魔術を放ってそれを倒す。


 そして今、後者の状況になっているわけである。


 この作戦の本質は、雄弥を守ることにある。いくら戦闘許可を下したとはいえ、彼がまだペーペーの素人であることに変わりはない。彼とエドメラルの接触を最小限に抑えるために、ユリンはこの作戦を決めたのだった。

 そしてここで幸いだったのが、エドメラルの戦闘方法だ。現時点で判明している限りでは、エドメラルの攻撃手段は両腕の鎌と口から吐き出す強酸のみ。遠距離の敵を狙い撃つ、ということができないのだ。標的を殺すには必然的に接近しなければならない。つまり二手に分かれてしまいさえすれば、片方は絶対に安全なのだ。


 安全なのがユリンならば雄弥を守ることに専念できるし、逆に雄弥ならばそのままでいい。……と、いうわけである。どっちにしろユリンに負担が集中してしまうという欠点はあるが……。



「……『波動(はどう)』……!!」


 雄弥が魔力を集中させたことで、彼の右手は青白く光り始める。そして彼は、その掌をエドメラルに向けた姿勢で静止。あとはユリンが離れるのを待つだけだ。


 気がつけば彼の背中は緊張の汗でぐしゃぐしゃになり、インナーが背中にぴったりとくっついていた。

 雄弥の頭に様々な雑念が舞い込む。狙いを外したらどうしよう。ユリンを巻き込んだらどうしよう。制御を誤って、反動で腕を折ったらどうしよう。


 だがその不安感こそが集中を乱す何よりの原因であることも、彼は理解していた。


『……考えるな……余計なコトは……! 成功することだけをイメージするんだ……!』


 彼が自分にそう言い聞かせ続けたのち、ついにその瞬間がやってきた。


「はッ!!」


 ユリンが自身とエドメラルの間に、いつもの巨大な盾を生み出した。

 勢い余ってそれに激突したエドメラルが後ろによろめいたことで、両者の間に"距離"ができた。5メートルほどの空間ができたのだ。


「ユウさんッ!! 今ッ!!」


「お、おおッ!!」


 雄弥の手の狙いはぴったりと定まっている。このまま撃てば、当たるのは確実!



 ーーの、はずだったのだ。



「ゲル……ッ!!」


 ユリンの盾に弾かれた直後。エドメラルの視線は、雄弥の方へと向いていた。……コイツは見ていた。彼のことをしっかりと。


 そしてその直後に起こったのだ。あまりにも突然、かつ一瞬のうちの出来事が。


 エドメラルが左手の鎌で自身の右腕を肘の部分で斬り落とすと、なんとそれを雄弥に向けて蹴り飛ばしたのである。


「なッ!?」


「えッ!?」


 雄弥とユリンは同時に驚愕の声を上げる。だが、そんなことをしている場合ではなかった。

 蹴り飛ばされたエドメラルの右前腕、すなわち右腕の"(かま)"の部分は、回転して風を切りながら雄弥に真っ直ぐ向かっていく。


「んなッ!? うわああッ!!」


 突発的かつ予想外の事態に、雄弥の焦りは一気に頂点まで駆け上がる。そして彼は自身に向けて飛来するその鎌を破壊しようと、慌てて右手から光弾を撃ち放った。


 だが、そんな状態では集中が乱れぬワケもない。


「ぐうッ!!」


 光弾は撃ち出された。しかし焦ってしまったことで威力の調整を誤り、彼の右腕はぼきりと音を立てる。

 それだけではない。彼は自分に向けて飛んでくる鎌を狙ったはずが、反動の痛みで腕をぶれさせてしまい、標的にはかすりもしなかったのだ。


 ……では、彼の放った光弾はどこに飛んで行ったのか。結論から言えば、考えうる限りで1番最悪のところだった。


「きゃああッ!!」


 なんと着弾地点は、エドメラルから少し離れた位置にいた、ユリンのいる場所だった。

 彼女は飛んでいく鎌から雄弥を守るために防壁を展開しようとしていたのだが、ちょうどそこに彼が暴発させた光弾が飛来してしまった。すなわち、自分自身を守る盾を発動させることができなかった。


 幸いにも、彼女はギリギリでそれを回避。だがその光弾の威力はダイナマイト数十発を遥かに凌ぐ。

 ユリンが避けたことで光弾は地面に直撃し、凄まじい爆風と衝撃波が発生。彼女はそれに吹き飛ばされ、近くにあった木の幹に身体を強く打ち付けてしまった。


「う……ッッ!!」


 うつ伏せで地に倒れた彼女は、全身の痛みにうめき声を上げる。


「ユ、ウさん……!!」


 しかし彼女が気にしているのは、あくまでも雄弥のことであった。正規兵としての責任ゆえか、彼女自身の心優しい性格ゆえか……ともかくユリンはなんとか顔を上げ、雄弥がいる方向に眼を向けた。


「ーーッ!?」


 彼女は、その光景を疑ったであろう。信じたくはなかったろう。

 視線の先に雄弥はいたのだ。立っていた。立ってはいたのだがーー



「…………が…………ッ」



 彼の左脇腹には、迎撃しそこねたエドメラルの鎌が突き刺さっていた。

 



* * *




「うぐああああぁ……ッ!!」

 

 痛み。熱。吐き気。目眩(めまい)


 俺は脇腹を押さえながら、崩れるように地面に座り込んだ。 


 これまで腕や肩に大怪我を負ったことは何度もあるが、腹に穴が開いたのは初めてだった。痛みの(こら)え方がまるで分からない。

 傷の部分が一気に熱を帯びる。だが、そこ以外の全身はどんどん冷え切っていく。極めて混沌とした実体の無い感覚だった。

 

 それだけじゃない。魔力を加減し損ねた右腕も、骨をやられてしまっていた。

 

「ちっ……くしょう……ッ!!」


 どうなってやがる……!! 魔狂獣(ゲブ・ベスディア)ってのは知能の一切を持たない生命体じゃなかったのか!? それが、あんな曲芸(きょくげい)じみた動きをするなんて……!!



「ゲルルルルルル……!!」



 痛みに(もだ)える最中、前方からの怪物の(うな)り声に気がつき、その方向を見る。


「!? ユリン!! ……っぐぁ」


 エドメラルは、倒れているユリンに向かって歩き出していた。自分の近くにいる彼女からとどめを刺すつもりだ。

 ユリンは脚を痛めたのか、動けないでいる。エドメラルはどんどん近づいていく。


「……くそッ!!」

 

 俺は座り込んだまま、残った左手をエドメラルに向ける。ここから魔術を撃ち、エドメラルを倒す。それしかない。


 ……いや待て。射線上にはユリンもいる。


 もしエドメラルに当たった魔術が、そのまま勢い余って彼女をも巻き込んだらどうする。このまま撃つのはまずい。位置を、角度をずらしてから撃たなければ。

 ……いや、そもそもこんなフラフラの状態で命中させられるのか。痛みのせいで集中どころじゃない。また制御を誤ったら今度こそおしまいだ。

 ならば出来る限り近づいて……いやダメだ。脚が震えている。それにこんな傷で動き回ったら、出血がもっとひどくなるかもしれないーー


『…………は?』


 俺はこの時、自分の思考がおかしいことに気がついた。



 ーー何……言ってやがるんだ俺は……!? そう、じゃ……ねぇだろうが……!!


 今するべきは……自分の心配じゃねぇ!


 一緒に戦うと言ったのは俺! そもそもこの山に来ることを提案したのも俺! 怪我しても、痛い思いをしても、死んでも! それは俺の自己責任!

 

 だが今危険なのはユリンだ! それを俺は何をしてやがる。何を考えていやがる。なんで自分のことばっか考えている!?


 いつまでも……甘ったれてんじゃねぇよッ!! ガキがッ!!


 

 俺は腹に刺さった鎌を、左手でがしりと掴む。


「あぎ……いぎああああ……!!」


 そして、引っ張る。腹の中の肉繊維が鎌にからみついており、動かすたびにそれらが次々に千切れていく。痛みのショックで気が飛びそうになる。何度も、何度も。


「ぐぎ、ぎぎぎぎぎ……ッ!!」


 だが手は止めない。傷はぐじゅぐじゅと音を立てる。血もどんどん溢れてくる。それ、でもーー


「ぬが……ああああぁあぁァァァァッ!!」


 ずぼり、と、化物の前腕を腹から引っこ抜き、俺は即座に前に向かって走り出した。

 



「ゲルル……」


 涎をぼたぼたと垂らしながらゆっくりと迫ってくるエドメラルに、ユリンは地面を後ろ向きに這う形で必死に距離を取ろうとする。雄弥の予想通り、彼女は脚を(くじ)いてしまっており、立つことは叶わなかった。


「く……!!」


 ユリンは自身の失態を恥じていた。エドメラルがあのような知的な攻撃をすることなど、彼女にとっても予想外だったのだ。

 だがそもそも魔狂獣(ゲブ・ベスディア)とは未知の生命体。予想外などあって当たり前のはずだった。彼女はそれを失念していたのだ。


「ゲルアァッ!!」


 目と鼻の先まで迫ったエドメラルがとうとう口を開き、彼女を丸呑みにしようとする。


 その時ーー


「だーーーッ!!」


 ユリンを捕食しようと身をかがませていたエドメラルの頭に、背後から走り来た雄弥が飛びついたのである。


「ンゲ!?」


 エドメラルはユリンに気を取られていたせいで彼の接近を察知することができておらず、驚いて声を上げる。

 それと同時に雄弥は、先ほどまで自身の脇腹に刺さっていた鎌を両手で振り上げ、それをエドメラルの巨大な右眼に向けて力の限りに突き刺したのである。



「ゲギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアーッ!!」



 おぞましい悲鳴が山中にこだまする。エドメラルは自身に突然襲い掛かってきた激痛に悶え狂い、めちゃくちゃに暴れ始めた。


「ぐああッ!!」


 無論雄弥もあっという間に振り落とされ、地面に激突した。


「や……ったぜ……! ざまぁみろ……げほッ」


 よろよろと起き上がる彼は、吐血しながらにやりと笑う。その腹の傷からはさっきの倍以上の血が流れており、全身の筋肉は小刻みに震えていた。


「トドメだ、バケモン……ッ!!」


 雄弥はそのような状態のまま、左手をエドメラルに向けようとする。

 しかし、力が入らない。腕が上がらない。貧血で視界も霞みがかってきており、狙いを思うようにつけられない。


「ぐ……くっそ……ッ!! ーーえッ?」


 その時。彼は自分の腕がふわりと軽くなったのを感じた。遅れて気づいたのは、すぐ隣からのヒトの気配。


「そのままですよ……! そのまま、腕を前に……!」


 ユリンだった。いつのまにか、ユリンが隣にいた。

 彼女は雄弥の腕を掴んで誘導し、彼の代わりにのたうちまわるエドメラルに対して照準を合わせる。


 ぴたり。腕が固定された。標的までの距離は10メートル足らず。


「今ッ!!」


 彼女のその言葉を合図に、雄弥は魔力を解放。自身の左掌(ひだりてのひら)を青白く染め上げる。


 やがて、光弾をつくり上げーー


「はあぁあッ!!」


 それを放った。


 ごうごうと音を立てて周囲の空気を揺らし、周囲に猛烈な衝撃波と閃光を散らす。10メートルの距離など軽々と飛び越える。



「ゲギャギャギャギャアアアアアアァァァーー」



 そのまま、見事に命中。

 直撃を受けたエドメラルはものの一瞬で爆散、消滅した。聞くに耐えない、(きたな)らしい断末魔と共に……。


 

 

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