第19話 1年越しの会敵
「……申し訳ありません。お騒がせしまして」
そう謝るバイランさんを含めた俺たち3人は、そろって息を切らしている。
叫び声を上げながらベッドの上で暴れ出したエミィを、3人がかりでずっと押さえつけていたためである。発狂した彼女はユリンやバイランさんの呼びかけにもまったく耳を貸さず、瞳孔を思いっきり開いたその眼から涙を流しながら荒れ狂っていた。
あれから30分。疲れきったのかエミィは気を失い、俺たちはようやくエミィのいる部屋から退出した。
「……ひどい」
ユリンが憤りを含ませた一言を発する。まったくもって同感だった。
あんな年端もいかない子供が、常に何かに怯えている。怖がっている。過去の記憶に押し潰されている。こんなむごい事実は無い。
ついさっきまでは完全な他人事であったが、俺はもうこの事件の犯人が許せなかった。
「……ふざけやがって……!」
「ご、ごめんなさい……!」
俺が乱暴に吐き捨てると、そばにいた子供たちがびくりと身体を震わせて謝ってきた。バイランさんを探して部屋の扉を開けてしまった子たちだ。
「あ、ち、違う! お前らに言ったんじゃない!」
「でも、ボクたちが勝手に部屋に入ったから……」
俺は慌てて否定するが、子供たちは今にも泣きそうだ。すると、俺の前にバイランさんがするりと入ってきた。
しゃがみ込んで子供たちと目線を合わせ、彼らの頭を撫でながら優しく話しかける。
「もう、しない。お約束できるかな?」
「……うん……」
子供たちはそろってうなずく。中にはすでにぐずりたてている子もいる。
「よぉし、それなら大丈夫だ。みんないい子だね」
そしてバイランさんは彼らをまとめて抱きしめ、頭や背中をさすって落ち着かせた。
「その、すみませんでした」
「いえいえ、あなたは悪くありませんよ、ユウヤさん」
子供たちが行った後、俺はバイランさんに頭を下げる。
「しかしどうしましょうか、ユリンさん。エミィがあの状態では……」
「そうですね……今日はもう彼女にこれ以上の刺激を与えないほうがいい。彼女との対話は、また日を改めることにしましょう」
バイランさんの問いかけにユリンが答える。
「じゃあどうする。ゼルネア地区に戻るのか?」
「いえ、私はこのあたりに宿をとります。ユウさんは1人で先に帰ってください」
「は!? なんで!」
「今回の事件は想像以上に闇が深い。何が起こるか分からないんです。やはり訓練兵が関わっていいものじゃない」
「じょ、冗談じゃねぇ! あんなのを見ておいて黙って帰れって言うのか!? あんな子をほうっておいて!? そんなのできるわけ……」
「! ユウさん、しぃっ!」
突然ユリンが自分の口に人差し指をあて、俺に静かにするように言う。
彼女の視線は俺の後方に向いている。何事かと思い振り返ってみるとーー
「ねぇねぇ、おにいちゃん、おねえちゃん!」
廊下の向こうから5人の子供が走ってきた。さっきのとは別の子たちだ。
「なぁに?」
ユリンが前に出て、かがみながら笑顔で彼らに返事をする。
「おねえちゃんたちは何をしに来たの?」
「お仕事だよ。すご〜く大事なお仕事のために来たの」
「おしごといつ終わる?」
「ん〜……今日はもう終わり……かな?」
それを聞いた途端、子供たちの目がキラキラと輝き出す。
「じゃあさ、じゃあさ! 一緒に遊ぼう?」
「えっ?」
「ボクたちと遊ぼうよ!」
「え、あ、でも……」
ユリンが少し困った様子で答えあぐねていると、俺の後ろにいたバイランさんが口を挟む。
「もしお時間があるようでしたら、少しだけでも相手をしてやっていただけませんか。何しろ普段は大人の遊び相手が私しかいないもので、若いお方がいるのが嬉しいんですよ」
「え? あ、アンタ1人でここを運営してんのか!?」
俺が驚いていると、それを聞いたユリンがしばらく黙ったのち、ブラウスの袖をまくり始める。
「ユウさん、ちょっとこれ、持っていてもらえますか?」
そしてカバンを俺に渡し、子供たちの方へと向き直る。
「いいよ、遊んであげる!」
「ホント!?」
「やったー!」
子供たちはたちまち大喜び。ユリンの腕をひっぱりながら走っていった。
孤児院の中庭。そこでユリンが子供たちと戯れるのを、俺は縁側に座りながら眺めている。
広い庭だ。俺とユリンの特訓場ほどじゃないが、その3分の1ほどの広さはある。
庭の奥の方には、薔薇のような形をした小さな花をたくさん付けた木が数本生えている。慎ましくも、芯のある美しさを持つ景観だった。
ユリンと子供たちは、その庭の中央に固まって遊んでいる。
ユリンーーこうして見ると、やはり彼女は俺と同い歳にはまったく見えない。子供たちに対する接し方のひとつをとっても、お姉ちゃんというかまるっきり母親だ。1人の子に偏り過ぎないように注意しながら遊んでいるのも見事だ。
「……お優しいのですな」
隣に並んで座っているバイランさんが話しかけてくる。
「はい。ユリンは優しいヤツっす」
「いえいえ、そうではありません。私が申しておるのはあなたのことですぞ、ユウヤさん」
「……は? 俺?」
「さっき出会ったばかりの子のためにあんなに怒りなさるとは」
「……別に優しいとかじゃねーでしょ。あんなの見せられたら、誰だって許せないのが普通です」
「普通、ね……」
すると、なぜかバイランさんはわずかに顔をしかめた。
「……ええ、そうですな。普通なのでしょう。普通の者にとっては、そうなのでしょう……」
暖かい日差しが、庭を、そしてそこにいる者たちの顔を照らす。
子供たちはみんなとても嬉しそうだ。満面の笑みを浮かべている。やはり誰が被害に遭った子なのか全く分からない。……奇妙だ。実に奇妙な光景だ。
そうだ。奇妙といえばもうひとつ。ずっと気になっていたことがある。
「……あの、バイランさん。失礼だと思うんですけど、ひとつ聞いてもいいすか?」
「ほう、何ですかな?」
「その……アンタの眼……なんですけど……。もしかして見えていないんじゃ……」
「おお、お気づきになりましたか。ええそうです。私は両眼ともに失明しております」
彼はあっけらかんとした様子で答える。
「……病気か何かで……?」
「まぁ、そうなりますかな。生まれつきなんですわ。これが原因で幼い頃に親に捨てられましてね。それからは私もあの子らと同様に孤児院で育ったのです」
「!! す……すみません。失礼なこと聞いて」
「はっはっは、お気になさいますな。今となってはただの思い出話です。……今となっては、ね」
気まずくなった俺は再び彼から庭に視線を移す。
「……ん?」
その時、俺は妙なことに気がついた。
庭で遊ぶ子供。そのうちの1人が、右膝と額の左側に絆創膏を貼っているのが目に入ったのだ。これだけならばなんでもないが、おかしなのはここからだ。
全員だ。よく見てみると、庭にいる20人ほどの子供たちが全員、同じところに絆創膏を貼っている。右の膝、そして左の額に。
「……みんな揃って、同じところを怪我したのかな……?」
どんな奇跡だよ。俺はそんなふうに、軽〜く結論づけた。
* * *
「とにかくッ! ユウさんは帰ってください!」
「いーやーだッ! 俺も残るッ!」
あれから2時間。遊び疲れた子供たちがお昼寝タイムに入ったのを見計らい、俺たちは孤児院をあとにした。
その道中、俺がゼルネア地区に帰るか否かの議論を繰り返しながら歩いているのだ。
「だいたいどんな危険があるか分からないっていうけど、今回のは失踪事件だぞ? 相手は別に魔狂獣みたいな怪物でもない、ただのヒトじゃないか!」
「忘れたんですか!? 今回の事件の犯人は高度な魔術を使う可能性があるってことを!」
「あ……」
……忘れていた。あのエミィという少女以外の子供たちが、記憶を喪失させる暗示をかけられているかもしれない、ということを。事件当時のこと、そして彼らの両親のことについての記憶を消し去った奴が、いるかもしれないということを。
「そ、そういえばお前言ってなかったっけ? 魔力は1人1人に固有のものだから、それを使って犯罪を犯したらすぐにアシがつく、って。もし犯人が魔術を用いているなら、被害者であるあの子供たちを調べれば何か出てくるんじゃないのか?」
「いいえ、それはできません。例えば、誰かに魔術によって身体に傷をつけられた、というのならば、その傷口に残った魔力の残滓から犯人を特定することはできます。ですが、心や感覚に介入するタイプの魔術は、脳を解剖するしか調べようがないのです」
「の、脳……」
「そんなことをすれば、当然人は死にます。だからできないのです」
くそっ、どんなことにも必ず抜け道ってのはあるもんなのか。このままじゃホントに帰らされちまうぞ。
……いや、もう帰ること自体はどうしようもない。従うしかない。俺がいても足手纏いなのは事実だ。
ーーだが!
「分かった。分かった、分かったよ。俺は帰るよ 。……た・だ・しだ! 帰るのは夜になってから! それでいいだろう!?」
「ええ!?」
「もともと俺はサザデーさんに、現場に出ることの感覚を知っておけ、って言われてここに来たんだ! だったらそれをしないまま帰ったらダメだろ!」
「で、でもそれをするって言ったって、どうやって……」
「今回の事件の4番目の被害者である、エミィ・アンダーアレン。確かあの子は、宮都西部の外れにある山の中で発見されたんだよな」
「ええ。そうですけど……」
「今からそこに行くんだ。その現場に。それくらいはいいだろ? それに、何か手がかりが残っているかもしれないぞ」
4番目の被害に遭った者だけが、事件の記憶を持っているかのような素振りを見せている。ならば焦点を当てるべきなのはそこだ。そこに必ず犯人への糸口がある。
もしかしたら事件現場に、その糸口のひとつが残っているかもしれない。見つかれば御の字、というレベルだが、やらないよりはマシだ。
「あんなひでぇモン見せられて、おめおめ何もせずに帰れるかよ! ちょっとでいいから、何か貢献させてくれよ! な、ユリン!」
ユリンはしばらく考え込み、ようやく口を開いた。
「……ふぅ……仕方ないですね。分かりました。そこに向かいましょう」
「あ、ありがとう!」
「ただし! 1時間だけです。1時間経ったら帰ること。いいですね?」
「ああ、もちろん!」
粘り勝ち。俺たちは、宮都西部の山に向かうことになった。
……と、そこまではよかったのだが。
「ユウさん、何かありましたか?」
「……いや、なーんも」
「私もです」
山に到着してすでに50分近く。俺はすでに、その場をうろうろすることしかできずにいた。
標高は約200メートル。俺たちが住んでいる山より少し高いくらいだ。
行く先の地面は全て隙間無く枯葉で覆われており、あたりには細くて高い木がまばらに生えている。
だが、それだけだ。それだけで何もない。今俺がいるのはエミィが倒れていたというその場所だが、びっくりするほど何もない。
というか、俺の考えが甘すぎた。よくよく考えてみればこの現場はすでに軍によって調べ尽くされているのだ。手がかりがあるのならば、もうとっくに彼らが見つけているだろう。
「……俺なんかが気付くようなことは、誰だって気付けるよなぁ」
「……ユウさーん? そろそろ時間ですけど……」
「ぐ……」
「……あなたの気持ちは分かりますし、誰かの力になりたいというのはとても素晴らしいことです。でも、前にも言ったでしょう? その気持ちを無駄にしないためにも、今は耐えるんです。あと4ヶ月もすればあなたもれっきとした兵士なんですから」
俺の心中を察したように、ユリンがなだめてくれる。
悔しい。だが、これ以上駄々をこねてまたあの時のような失敗をしたらシャレにならない。……これまでだ。
「……帰るよ」
「はい。では、駅まで送りますよ」
ユリンが前を歩き、俺はそれについていく形で山を降り始めた。
その時。
俺の背後で、がさり、と音がした。
「ん?」
しかし振り返ってみても何もない。
「気のせいか……?」
俺は再び前を向いて歩き始める。ーーその瞬間。
「う!?」
「きゃっ!」
突然地面が揺れ始めたのだ。俺たち2人は驚き、同時に声を上げる。揺れはどんどん強くなる。
「な、なんだ!? 地震!?」
「ユウさん、危ないから地面に伏せて……え?」
急にユリンの顔色が変わる。
俺がどうしたのかと思えば、彼女は右耳を揺れる地面にぴったりとつける。すると、その顔がますます険しくなった。
「お、おい! どうした!?」
俺の問いに対し、彼女は身体をガバリと起こして答える。その表情には焦燥が滲み出ていた。
「……何かが地下から昇ってきます! 大きなものが、ものすごいスピードで!」
「な、なんだそりゃ! どういうことだ!?」
「まさか、これは……!」
ユリンが答え終わる直前。俺たちの後ろで、地面がいきなり隆起する。
その盛り上がりはどんどん高くなり、やがて弾けた。
中から飛び出るようにして現れたのは……
「ゲルアアアアアァアアアアァァア!!」
「うわあああッ!?」
カエルのような頭と、顔の面積の半分を占める巨大な目玉。両腕に鎌。膝から下は鳥の脚。そして、全身をくまなく覆っている芥子色の鱗ーー
「え……"エドメラル"ッ!?」
魔狂獣エドメラル。忘れもしない。俺が1年前に大失態を犯した、あの時の……!
「ユウさんッ!!」
驚きのあまりに身体を硬まらせていると、エドメラルが俺に向けて右腕の鎌を振り下ろしてきた。しかし間一髪、ユリンに突き飛ばされたおかげで逃れる。
「わ、悪い! 助かった! でもどうなってんだ! なんでこんなところにコイツがいるんだ!?」
「分かりません! まさか地下に潜んでいるなんて……!」
エドメラルが俺たちに向けて耳がキンキンする雄叫びを上げる中、ユリンは唇を軽く噛みしめながら黙り込む。
「……ユウさん、あなたは今すぐ山を降りて、応援の兵士を連れて来てください」
「はぁ!? お前1人を置いてか!?」
彼女の低く重い声で発せられた提案に対し、俺は即座に異を唱える。
「ええそうです! あなたを危険に晒すわけにはいかない!」
「馬鹿言うない! お前1人でやり合うほうがよっぽど危険じゃんか! 俺のことが信用できないのも分かるがよ!」
「信用うんぬんの話じゃありません! あなたはまだ訓練兵で、私のような正規兵はそれを守る義務がある!」
「でも! もし俺が山を降りる途中で道に迷ったらどうする!? それに俺はまだこの街の土地勘なんて全然掴めてねぇんだぞ! すぐに応援を呼んでくるなんてムリだよ!」
「そ、れはーー ! 危ない!」
「え? うおおぉッ!?」
俺たちが口論をする中、一気に距離を詰めてきたエドメラルが再び襲い掛かる。ユリンが声を上げると同時に、2人そろって飛び退く。
よたつきながらも、なんとか着地する。
「……ユリン!」
「……ッ!」
彼女は歯を食いしばり、目を固く閉じる。しばらくそうしていたのちーー
「……ユウさん」
意を決したように、そのルビーのような赤い瞳を覗かせた。俺に向き直り、真っ直ぐに見つめてくる。
「ふたつ、約束してください」
「無茶はしない! お前が本当にまずいと判断したらすぐに退く! ……だろ?」
自身の言葉を先回りされたユリンは、目をまん丸に開いて驚く様子を見せる。……が、すぐにくすりとした笑みを浮かべた。
「分かっているなら、よろしい」
「じゃあいいんだな!?」
「ええ! 訓練教官として、ユウさん、あなたの戦闘行為を許可します!」
「よおしッ!」
地面に座り込んでいた俺たちは同時に立ち上がる。ユリンが腕まくりをし、俺はサングラスを外しパーカーを脱ぎ捨てる。
快晴。空には雲のひとつも無い。そんなある日の昼終わり。
俺の1年越しの戦いが、幕を開けた。
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