第181話 なんとかしてみせる
「……私は以前、医学者として精神疾患の研究をしていたことがあります。エミィちゃんの事件の時に、少しお話ししましたね?」
「"多重人格"をテーマとして扱ったこともあります。その際参考した過去の論文の中にひとつ、興味深い記録があったんです」
「それは、二重人格の疾患を抱えた1人の患者の症例。その患者の身体の中には、αとβの、2つの人格がありました」
「ある時、この患者は交通事故に遭いました。その際に身体を支配していたのは、αの人格でした」
「自動車に轢かれたその患者は何度も心停止を繰り返し、三日三晩生死を彷徨う重体だった。しかし奇跡的に回復、意識を取り戻しました」
「ところが目覚めた時、患者の身体を支配していたのはβの人格でした。しかもただそちらが表に出ていただけではなく、αの方の人格が完全に消失していたのです。実際その後この患者が寿命で亡くなるまでの40年間、αの人格が出てくることは1度もなかったそうです」
「よってこの事態はこう結論づけられました。『患者のαの人格は、交通事故の際に死んでしまったのだ』、と。この患者は事故の後、心臓が何度も止まっている。その時にαの人格は完全にこの世を去ったのだと、そう考られたのです」
「事故発生時に身体の主導権を持っていた人格は、その時に死んだ。それ以来消えてしまった」
「……可能性です。それもほんのわずかな。しかしもし、もしこの症例とまったく同じことを、今のザナタイトに起こせるとしたら……」
「…………は?? お、おい……!? まさか……お前……ッ?」
極限状態につき、珍しくカンが働いたか。
雄弥はこの1度の説明で全てを理解した。彼女が構築した、『イユを助ける方法』というのがなんなのか。
「ーーそう。1度、殺すんです。イユさんを。あのザナタイトの人格が、彼女の身体を支配しているうちに」
……そしてそれは当たっていた。寸分の狂いも無く。
「1度完全に心臓を止めて、すぐに蘇生する。うまくいけばザナタイトの精神だけを消し去り、イユさんのみを取り戻すことができるかもしれません」
「か……『かもしれない』……だとッ!?」
彼らが話す傍ら、少し離れたところでザナタイトが暴れている。
自身を幽閉する『内』の檻を破壊しようと暴れ続けるその音が、遮蔽物の一切無いこの氷原に鋭く響いているのだ。
「……もちろん確証なんかありません。二重人格、というのはあくまでザナタイト本人の表現に過ぎない。あの者の存在を一般的な解離性同一性障害に分類にしていいのかも分かりませんし、仮に分類が正しいとしても、その過去の症例とまったく同じことが起きるかは未知数です」
「何より問題なのは、殺す、という手順。心臓を止められたとしても、肉体をひどく傷つければ生き返らせるのは無理です。万が一大脳や脳幹といった重要な器官を破壊してしまうと、いくら『命湧』の術でも再生は不可能……」
「つまり……"手加減"しなくちゃいけない。身体の損壊を最小限に留めることを大前提に、あのザナタイトを殺さなくてはいけないんです」
「それ、を……俺にやれって言うのか……!?」
「そうです。この状況では、できるのはあなたしかいない。あなたが殺したイユさんに、私がその場で蘇生処置を施します」
『内』に打ち込まれた亀裂の数が、いよいよ限界に近づく。しめたとばかりにザナタイト、壁にさらなる攻撃を加えていく。
「じょ……冗談じゃねぇ……ッ!! イユを……殺す!? また俺が!? で……できるかよ!! 無理だよッ!!」
「ならイユさんはこのまま、ザナタイトとして"駆除"されるだけです!! 私たち憲征軍か、それとも公帝軍か!! どちらにかは分かりません!! しかし今のままでは、イユさんは人類の敵!! ヒトとしての未来は無いんです!! それでもいいんですか!?」
「い……いいワケねぇよ……!! でも……でもだからって……そんなの……!!」
「あなたが"上手く"殺してくれれば、あとは私がなんとかします!! だからやるんです、ユウさん!!」
「なんで……なんでだよ!? なんでそんなふうに言える!? お前は……お前は怖くねぇのかよ……ッ!?」
「怖くないわけないでしょう!? でも……やるんです!! やらなきゃいけない!! 今ならまだ手遅れじゃない!! 助けられるかもしれないんです!! 守るんでしょう!? イユさんを!! 私はあなたの、その決意を信じます!! だから……ッ!!」
「! …………!!」
ここで、雄弥はようやく気づいた。ユリンの手がわずかに震えていることに。
しかし、彼女の顔は強かった。その彼を至近距離から見つめる赤い瞳の中には、手に現しているような恐怖感や不安感はこれっぽっちも宿ってはいないのだ。
「……あなたも……私を信じてください……!!」
これらの矛盾こそ、"覚悟"である。
恐怖をねじ伏せることではない。恐怖に身を任せることでもない。
恐怖とともに、戦うのだ……。
彼女見つめあう雄弥の瞳に、一筋の"赤色"が宿る。ユリンの瞳の色が反射している。彼女の色が、"憑って"いる。
痙攣する拳を握りしめる。カチカチと鳴る歯を食いしばる。
「カァアッ!!」
そこでついに、ザナタイトが檻を破壊し脱出。雄弥とユリンの姿をその複眼に捉える。
「小賢シイゾッ!! イツマデ作戦会議ヲ続ケル気ダァァァァッ!!」
怒れる黒騎士は両腕ともの砲口の照準を彼らに合わせると、そこから巨大な黒紫色のレーザーを撃ち放った。
おそらくは通常で使用している光弾を強化したもの。ヒトの1人や2人などまるごと呑み込んでしまうほどの奔流が氷の地表を抉りながら突き進み、やがてあっという間に雄弥たちのもとへと迫る。
「ーー"衒截掌"……ッ」
しかしその破滅の光は標的に喰らいつく前に、右手に発生させた魔力の"刃"を振り込んだ雄弥によって左右真っ二つに切り裂かれ、彼らの遥か後方へと逸れていった。
「ナニッ!? バカナ!?」
ザナタイトは驚愕した。
見えなかったのだ。雄弥がレーザーを斬った瞬間が。彼が右手に魔力刃を引き抜いた瞬間が。
まるで熟練武士の居合抜刀術。肉体の強さや才能といったハナシ以前に、精神や呼吸にわずかな乱れもあっては成立しない業。雄弥が成したのはそれなのだ。
つまり、今の雄弥にはーー
「……ユリン。こっから先、俺を守るな。魔力を温存しとくんだ」
右手をサッと払い、そこに輝いていた青白い光刃を消しながら、雄弥は背後のユリンに語る。
「お前の残りの力は、お前自身とイユを助けることだけに使ってくれ。毎度毎度……お前ばっかりを頼りにして悪いけどよ」
ユリンに向かって話しつつも、彼の視線はザナタイトのみに集中。大切な女の子が囚われている、黒き鎧だけに注がれている。
「信じる、なんて……俺はお前にそんなエラそうなこと言える立場じゃねぇ。だから信じるのは、お前からだけだ……! まだ具体的な方法を思いついたワケじゃねぇ。でも見ててくれ……! 俺が必ず、なんとかする……ッ!」
彼にはもう迷いは無かった。全身から銀色の魔力、『褒躯』を解放し、氷の大地を強く踏みしめていた。
「……ええ、見てますよユウさん……!」
彼は今、立っている。不安や怖れとともに。背中に送られた、ユリンからの激励とともに。
「ヌカセェッ!! 貴様ノヨウナ チッポケ ナ餓鬼ニ、誰モ救エテナルモノカァァッ!!」
ザナタイトが向かってくる。それに呼応し、雄弥も突っ込む。朝日に照らされた氷上にて、やがて2人は激突した。
……ゲネザー・テペト。雄弥たちのその様子を、遠くから傍観している男。
彼は右手を海の中に浸し、そこから純白の魔力を撒き続けていた。海の水を冷やすために。凍らせるために。
「さ〜てェ……お手並拝見といこうか。ユウヤくんよォ〜……」
他人を虫ケラと見下すような、傲慢な笑みを浮かべながら……。
* * *
ーー戦いながら考える。
ただでさえ足りてない俺の脳ミソを無理矢理オーバーブーストさせ、打つべき手段をやたらめったらに掘り起こす。
どうやって殺せばいいんだ。イユの身体をできるだけ傷つけずにヤツを仕留めるには、いったいどうすりゃいいんだ!
『波動』をブッ放す!? 問題外だ! 消滅した肉体は再生できないし、かといって威力を抑えれば鎧をブチ抜けない!
"砥嶺掌"で殴る!? 腹を貫通したらどうするんだ! そもそもこの技は前に使ったときに通用しなかった! 仕留めることだってできやしねぇ!
"衒截掌"で斬る!? いやだから傷つけちゃダメなんだよ! それにこのザナタイト、ジェセリに手足を切られた時にも出血はしなかった! そしてコイツは自分のことを、"生きた魔力"だと言った! 原理はよく分からねーが、コイツを生かしているのは"血液"なんかじゃないんだ!
ならどのみち、いくら血を流させても意味は無ぇ! コイツを倒すにはそれ以外の方法しかねぇッ!
でも俺の力は……デカ過ぎるんだ! どこまでいっても破壊しかもたらさない力なんだ! そんな繊細なことをやってのけるには、凶悪すぎる力なんだッ!
どうする!? どうすれば……ッ!!
考えがまとまらないうちに、ザナタイトが眼と鼻の先まで猛スピードで急接近。俺に向けて右腕の剣を振り下ろす。
俺は間一髪で横に跳躍してそれを避ける。するとザナタイトの斬撃は勢い余って氷の地面に叩き込まれ、半径20メートル一帯までその破壊力が伝播。俺の足元を含めたその範囲の氷結地盤が、粉々に砕かれてしまった。
「ッく! 冷ってぇ……ッ!」
表面の地盤が叩き割られたことで、その下でまだ凍っていなかった海水が地上へと弾き飛ぶ。当然その飛沫は俺の身体にもひっかぶせられ、服はたちまちズブ濡れ。それも凍るギリギリの水温なのだからたまらない。
……いや。待て、おかしい。凍るギリギリ?
……いや!! 違う!! 凍っているッ!!
俺の身体にかかった海水は全て、服を濡らしたのと同時に真っ白に凍りついていた。
それだけじゃない。地盤の下から噴き出た海水液全てが、いつの間にか氷の彫刻と化していたのだ。この氷原のど真ん中に噴出した瞬間に、その形のまま冷凍されていたのだ。
「な、なんだァッ!? どうなってんだ!!」
俺が慌ててカチカチになった上着のパーカーを脱ぎ捨てると、地面に落としたそれはまるでガラス細工のように砕け散った。木綿製のパーカーが、である。
そんな狼狽える俺を、ザナタイトは嘲笑っていた。
「フフ……気ヲツケタ ホウガ イイ。コノ海ハマダ、ゲネザー ノ『雹悔』ニヨッテ凍結ヲ続ケテイル。地上ニ イルブンニハ影響ハ無イガ、海水ニ触レルノハ止スコトダ……」
「!? なに!? ゲネザー!? 海が凍ってんのはヤツの仕業か!! あの野郎も来てんのか!?」
「何処ニ イルカハ知ランガナ。案ズルナ……奴ハ今回ハ裏方ダ。コノ ショー ニ オイテハナ」
「ショーだと……ッ!? ……クソが……ッ!! てめぇらどこまでもどこまでも、フザけやがって……ッ!!」
許せねぇ。許してなるか。他人の人生をメチャクチャにしといて、それを"ショー"だと?
……外道だ……!! 本物の外道!! これ以上こんなヤツに、イユを……イユのカラダを好き勝手させてたまるか……ッ!!
だがまずい。パーカーは脱いだけど、シャツやズボンにひっかぶった海水までしっかり凍っちまった。
寒すぎる。体温がどんどん奪われていく。『褒躯』を発動して肉体を強化していなかったら、とっくに凍えて動けなくなってる。もう時間がねぇ。凍死する前に、さっさと考えをまとめなければ……ッ!
「…………えッ??」
……今、俺。
……なんて?
…………凍…………死…………?
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