第170話 ジェセリの疑念
ーー時刻はほんの少しだけ、第7支部兵士たちによってオーパルが撃破されたくらいまで遡る。
"バルダン海岸"。
穏やかな潮騒が鳴っているここは、ヒニケ地区の海岸である。ガーベラス海峡と隣接する海岸である。
この海岸から海をまっすぐに渡れば"人間"の領域。そして逆もまたしかり。この海岸は"猊人"の領土への入り口にして、憲征軍本土における最重要防衛ラインであった。
そんな重要な場所とあれば当然、大勢の兵士たちが休みなく構えている。今もそうだ。兵器も無尽蔵、巡航船もうじゃうじゃ。どんなマヌケであっても近づこうなどとは思わない、まさに磐石の布陣がここにはある。
……しかしながら、今日はいたのだ。その『マヌケ』を超える無謀者が。
「侵入だーッ!! 領海内に公帝軍の船が侵入だーッ!!」
海岸防衛のための巨大な砦の中を、甲高い警報と、兵士たちの切羽詰まった叫び声が響き渡る。
「状況は!!」
そして、ここは砦の司令室。
おそらく防衛隊のリーダーなのであろう初老の男が、機械とにらめっこをする部下たちに檄を飛ばしていた。
「我が軍の巡航船が、海岸沖38キロ地点にて公帝軍の艦船を発見!! 数は1隻!! 識別、バロニア級戦艦"マルデゥク"!!」
「マルデゥクだと!? 五芒卿の専用艦ではないか!! 人間どもめ……よもや血の気を抑えきれんくなったのではあるまいな……ッ!? とうとう大戦の続きをやろうというのかッ!!」
「!? ま、待ってください!! 敵艦が……マルデゥクが呼びかけてきています!! 音声通信です!! 司令官と話がしたいと……!!」
「なに……ッ!? わかった、通信機を貸せ!!」
司令官はオペレーターからマイクを受け取ると、無意識に緊張をほぐそうとしたのかひとつだけ咳払いをしてから口を開いた。
「こちら、バルダン防衛大隊司令官、エンゲル・ゲイス!! わざわざこのワシをご指名したのだから、話がしたいのなら貴公らの責任者も出していただこう!!」
少しのノイズ音を挟んだのち、無線機から声が返ってくる。
『ーーこちらは公帝軍 特任階級 五芒卿が一、フラム。〈煉卿〉フラム・リフィリアである。ゲイス司令どの、まずは突然の訪問の無礼をお詫びしたい』
「れ、煉卿……ッ!?」
「ほ……ホントに五芒卿が乗ってやがるじゃねーか……ッ!!」
その精悍かつ艶やかな声がスピーカーから届いた途端、その場の兵士たちは皆顔を青ざめて動揺。司令官ゲイスすらも、その額に一雫の汗を滲ませていた。
「き、貴公らは我が軍の領海を侵犯している!! ただちに立ち去らねば侵略的行為とみなし、乗員もろとも船を拿捕するぞ!!」
『早合点はよしていただきたい。我々に攻撃の意志は無い。……今はまだ、ね。世界が再び大戦の業火に包まれるか否かは、今後の貴公らの"誠意"にかかっている……』
「な、なんだと……!?」
ゲイスはその真意を計り難い脅迫じみた言葉に困惑。彼の周囲で、部下の兵士たちもざわざわとする。
『要件を述べる。我々は貴公ら憲征軍と、ある交渉がしたい。キミたちの上官に伝えろ。"ユウヤ・ナモセ"と、"イユ・イデル"について話がしたいと。それだけ言えば、使者の上陸許可もすぐに出るはずだ……』
無線から聞こえてくるフラムの声は、通信機の中身を凍らせてしまうのではないかと思えるほどに冷徹であった。
「ーーっあぁ〜……ッ。くたびれたぁ〜……!」
時刻は戻り、現在。次元の狭間……亜空間にて。
激戦を終えた雄弥は『褒躯』の術を解除し、生肉のような色と感触を持つ地面に仰向けでばったりと倒れた。
「ユウさん大丈夫? お疲れさま。今止血しますからね。もう魔力がほとんど無くなっちゃったので、『命湧』は使ってあげられませんけど……」
「アンタよくこんなところで横になれるわね。気持ち悪いったらないわ」
彼のそばにしゃがみ込んで自分のロングスカートの裾をビリリと破き始めるユリンと、生理的嫌悪感を想起させる地面に躊躇なく寝転んだ彼にドン引きするシフィナ。いくら途中参戦とはいえ、彼女らには疲れている様子がまるで無い。まったく末恐ろしい娘たちである。
そしてもちろんそれは、ジェセリも同様だ。
「おおーみんな無事ね。めでたいめでたい」
彼は自身が相手していたザナタイトの首根っこを掴み、自らが四肢を斬り落としたその身体をズルズルと引きずりながら彼らと合流した。
絵面だけ見ればとんでもなくグロテスク。そこにジェセリの人懐っこい笑顔も加えて、より狂気を感じる光景となっている。
「なによ、そのザナタイト生きてるじゃない」
「あったり前でしょー? 聞きたいこといっぱいあるんだからさ、コイツには。1人だけは生かしておかなきゃね」
そんな軽口会話をシフィナとしながら、ジェセリは引きずっていたザナタイトをドサッ、と地面に落とした。
「ッグ…………ウググ…………」
シフィナの言う通り、ザナタイト"2号"は生きていた。意識があった。さらに不気味なことに、ジェセリに切断された両腕と両脚の切り口からは1滴の血も出てはいなかった。
「やっぱり……"ヒト"、ではないの……?」
雄弥の身体に自身の衣服で代用した包帯を巻きながら、ユリンはそのザナタイトの様子に息を呑んだ。
「フン! こんなゲスをヒト扱いする理由なんかとっくに無いわよ!」
「まぁまぁシフィナ、言い分は分かるけど抑えてちょ。ーーさーて、ザナタイトくんよ? 今から俺は、キミに質問をする。今のキミは喋るのもツライ状態だろう。でもする。いーっぱい質問をする。キミはそれ全てに、誠心誠意、嘘偽り無く、正直に答えるんだ。いいねぇ? ……そんじゃさっそくだけど、キミは何者なのかな? なんの目的で、俺たちを攻撃したのかな?」
ジェセリは仰向けで倒れるザナタイトのそばにしゃがみ込むと、無邪気な笑顔のままで其奴に話しかける。
ザナタイトは質問には答えない。黒き仮面の上で2つの複眼を光らせるだけで、何も話さない。
「ゲネザー・テペトとはどういう知り合いかな? 他にも仲間がいるのかな? どうやって魔狂獣オーパルを従えたのかな?」
やはり答えない。ザナタイトが返すのは沈黙のみ。
ジェセリはため息をつきながら頭をパリパリとかく。
「……あのねぇ〜? キミは負けたの。もう逃げられないの。今さら黙っててもしょーがないでしょ?」
「ちッ……ジェス、どいて。このクソ野郎のクチならあたしが割らせてやるわ」
「ちょ待て待て待って! 多分お前がやるとホントに殺しちゃうからッ! もーちょっと俺にやらせてよ、ね? ねッ?」
手の骨をバキバキ鳴らしながら物騒な手段に訴えようとするシフィナと、そんな彼女を慌てて説得するジェセリ。
「ハイ、とりあえずこれで大丈夫です。でもただの応急処置なので、あとでまたきちんと治療しましょう」
「おう、ありがとよ。わりーなユリン……お前の服ダメにしちまって」
「あら、そしたら新しいスカートはユウさんに買ってもらおっかな〜」
「げ! な、なるべく安いので頼むわ〜……」
2人がわちゃわちゃしてるうちに、雄弥の応急処置が完了。裸の上半身に布をグルグル巻きにされた雄弥と、破いて短くなったスカートから真っ白な素足を覗かせるユリンも、ザナタイトのそばへと歩み寄る。
その時だった。
「…………ク……クックック…………」
ザナタイトが、突然笑い出したのだ。
「……馬鹿ガ……。貴様ラ……自分タチガ勝ッタト、ソウ思ッテイルノカ……?」
そしてようやく口を開いたと思えば、そんな不可解なことを述べる始末。負け惜しみにしてもあまりに安っぽいではないか。
「ああッ!? てめぇには他にどう見えるってのよッ!? いつまでもナメたクチきいてんじゃないわよッ!! マジでブッ殺すわよ!!」
「そーだッ!! てめぇ自分の立場分かってんのか!! もっかいブチのめされなきゃ懲りねぇのかッ!?」
「シーナ、ダメだよ! ユウさんも落ち着きなさいッ!」
あっという間に爆発した低沸点コンビをユリンが諌める中、ザナタイトは笑い続けていた。さっきまで黙りこけていたのがウソのように。
「……『殺ス』ダト? アア、ソウダ……ソノ通リダ……! 貴様ラハコノ私ニ、スグニ トドメ ヲ刺スベキダッタノダ……!」
「ダガ…………モウ、遅イ…………ッ!!」
『!! こいつッ!!』
"気配"に真っ先に勘付いたのはジェセリだった。四肢をもがれて転がっているこのザナタイトが、何かをしようとしている気配、何かの企みを実行に移そうとしている気配である。
阻止のため抹殺を即断した彼は、眼にも止まらぬ速さで左腰の白鞘を抜刀。自身の前に伏すザナタイトの頭部めがけてその刃を突き刺した。
……だが、まったく手応えがない。
「無駄ダ……。スデニ私ノ実体ハ、ココニハ無イ……」
そうやって嘲笑うザナタイトの身体は、うっすらと透けていっていた。透明になっていっていた。
視覚的なハナシだけではなく、存在そのものが、である。ザナタイトの姿は見えている。しかし触れられない。干渉できない。ジェセリの刃は、身体を通り抜けてしまっている。だから刺さらない。だから、手応えが無い。
「お、おいおい……なんだこりゃあ……!?」
ジェセリが驚愕するのも束の間、今度は周囲の景色に異変が起こり始める。
全てがぐにゃぐにゃと歪みだしたのだ。天に鎮座する3つの黒太陽も、赤黒い空も、気色の悪い地面も。
「!? な、なによコレ!?」
シフィナたちも異常に気づく。それと同時に、ザナタイトが宙へと舞い上がった。両脚のブースターを失ったはずのザナタイトが、ふわふわと。
……なお、空に浮かび始めたザナタイト、というのは、ジェセリに四肢を斬られた"2号"のことだけではない。雄弥とユリンの連携によって仕留められた"3号"と"4号"の死体までもが、その2号を追うように浮遊し始めたのだ。
3号と4号の死体は、雄弥の攻撃によって上半身と下半身で真っ二つにされている。
その計4つの身体のパーツの全ては、なにやら空中で形を変えていく。
3号の上半身が、"右腕"の形に。
4号の上半身が、"左腕"の形に。
残った2体の下半身はそれぞれ、"右脚"と"左脚"に変化した。
そして出来上がったそれらのパーツは、2号のもとへと集約。ジェセリに切断された部分に該当するパーツが合体し、2号を五体満足の状態へと復活させてしまった。
「な、なにィ!? あんなのアリかよ!?」
雄弥が驚き叫ぶ間にも、空間はどんどんねじ曲がっていく。何もかもが渦を巻き、身体を取り戻したザナタイトの姿も見えなくなってしまう。
そのうち、一瞬だけ視界が完全な暗黒に包まれたと思うとーー
「ーーあれ!? ジェス! シフィナ、ユリン、ユウも! みんなどこ行ってたの!?」
「うっわ! ユウヤくん、どーしたのそのケガ!?」
彼らの前には、第7支部の仲間たちがいた。皆口々に彼らを質問攻めにしていた。
……雄弥たち4人はいつの間にか、もとの世界へと帰ってきていたのだ。
「も……戻ってきたの……? あたしたち……」
「ザナタイトは!? どこに行ったんですか……!?」
「クソ……また逃げたんだ、あの野郎……ッ!!」
他の3人がざわざわと騒ぐ中、ジェセリは1人静かに、刀を鞘に納めた。
「あ、ユウヤくん! イユちゃんが見つかったよ! 怪我はしてるけど、命に別状は無いよ!」
「えッ!? ほ、ホントすかッ!?」
「うん! あ、ホラ! あの担架だよ!」
そう言った兵士が指差した先には、担架を抱えた2人の救助隊がいた。雄弥は慌ててそこに走り出し、他の3人も流れでついていく。
担架に乗せられていたのは、間違いなくイユだった。気を失い、全身に細かい擦り傷はあるが、確かに致命となりそうなダメージも見受けられない。呼吸もしっかりとしていた。
「よ……よ……よかった……!! よかったぁ……ッ!!」
雄弥は彼女の無事な姿を眼に焼き付けたのち、安心のあまり担架の前でへなへなと座り込んだ。
ユリンとシフィナは、2人揃ってそんな彼の肩をぽん、と優しく叩く。言葉にはしないが、『よかったね』と。
……ジェセリだけは違った。
彼はイユの身体から眼を離せないでいた。
イユの身体は、どこもかしこも傷だらけ。もともと肌が白い分、それは非常によく目立つ。
そしてジェセリが注目していたのは、彼女の両手脚……左右の、肘と膝である。
傷があった。他よりも一際大きな傷が。
まるで、そこからばっさりと切断されたかのような傷が。それを無理矢理繋ぎ合わせたような傷痕が……。
「……なぁ。このコ……どこにいたんだ?」
「え? 寮務員棟の瓦礫の下だよ。運良く空洞になってた場所にいたから助かったみたい。それがどうかした?」
「いや……そっか、うん……分かった……」
ジェセリは担架を抱えている救助隊の片方からの答えに、煮えきらない態度を示していた。
「ジェセリぃーッ!! 大変だッ!! 領海内に公帝軍の船がーッ!!」
しかし、彼に考えるヒマは与えられなかった。
血相を変えた部下が、向こうから叫びながら駆け寄ってくる。彼は仕事をしなければならない。支部長としての仕事を……。
「……あァ〜あ。休まらないねぇ、ホント……」
今日もジェセリ・トレーソンは、己の職務を全うするのだった。
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