第16話 ハプニング、からの不吉事
快晴。空には雲のひとつも無い。そんなある日の昼下がり。
雄弥はいつものごとく、ユリンと共に山頂の広場にいた。
「つぁあッ!!」
彼は目の前に立つユリンに対して拳による突きを何発と見舞う。しかし、彼女はその悉くをひらりひらりと躱していく。
綿と見紛うほどの、軽く柔らかな身のこなし。彼女の可憐ないで立ちも相まって、その様はまさに妖精の戯れそのものだ。
しかし、彼女は兵士である。無論逃げるばかりが能ではない。
「やあッ!」
「うおお!?」
ユリンは打ち出された雄弥の右腕を避けざまに掴むと、一本背負いの要領で彼を持ち上げ、地面に叩きつけた。
雄弥は背中の中心からじんわりと広がっていく痛みに身体を震わせる。ユリンは両手を腰に当てながら、仰向けに倒れる彼の顔を覗き込んだ。
「ダメダメ! 相手の眼の前からばっかりじゃ、いつまで経っても攻撃が通りません! それに身体の方はガラ空きですよ!」
「ええいくそォ!! もー1回だーッ!!」
俺はすぐさま起き上がり、彼女から5メートルほど距離をとる。
朝から稽古を続けており、ブッ倒されたのはこれで9回目。俺の拳や蹴りは全て彼女に躱されるか受け流され、カウンターをくらっての繰り返し。
すでに俺は息も絶え絶え、加えて泥まみれの汗まみれであるが、ずっと俺の相手をしているはずのユリンは涼しい顔をして立っている。いったいどうなってんだ。あの細い身体のどこにそんな体力があるのか皆目見当もつかない。
しかし。どうにかして彼女から1本を取らなければ、俺は昼メシにありつけない。そういう約束なのだ。泣き言をほざく暇は無い。胃袋はさっきから号泣しているが。
近接のみで真っ向からやり合ってたら永遠に勝てない。……よぉしーー
「はぁあ……ッ」
俺の胸の中心に輝きが生まれる。その光は、肩、上腕、二の腕を伝い、右掌に集約。すると一層強烈な閃光を発するようになる。
光だけではない。掌に渦巻くエネルギー、もとい俺の魔力が周囲の空気を振動させ、こうこうと音を立てている。
ーーユリンはさっきからずっと受身だ。俺が攻撃しようと向かって行ったところにカウンターを合わせるだけで、自分からは攻撃を仕掛けてきていない。……こいつを利用してやる。
右手を前に掲げ、掌の前に魔力の塊を生み出す。バスケットボールほどの大きさの丸い塊を。そしてーー
「だあッ!!」
それをそのまま彼女に向けて放った。
掌から跳ねたように放たれた光弾が、猛スピードでユリンに迫る。空気を切り裂く甲高い音を響かせながら。
しかし、彼女は少しも怯まない。
「"慈䜌盾"……!」
ブッ放した光弾は、命中寸前に彼女の目の前に現れた透明な壁によって阻まれ、爆音と衝撃波を撒き散らしながら消滅する。
「ずりゃりゃりゃりゃあッ!!」
それでも俺は手を緩めない。
再度光弾を生み出し続け、連続で撃ち込んでいく。1撃1撃がダイナマイト数十発に匹敵する威力である。ユリンの盾に直撃するたびに、広場はおろか山全体が大きく揺れていた。
が、そんな馬鹿げたパワーをそう乱発できるはずもなくーー
「ぐぎ……ッ!!」
4、5発のあたりから、俺の腕に激痛が奔り始める。
でも不安は無い。俺はこれまでの地道な訓練のおかげで、自分の身体にかかる負担の管理はほぼ正確にこなせるようになってたからだ。
腕はまだ大丈夫。痛みはあるが、骨折はしない。せいぜいやっても肉離れ程度。……あと2発はイケる!
ーーそして、雄弥は合計7発を撃ちつくした。
それらが凄まじい威力であったことは間違いないのだが、ユリンの盾は砕けるどころかヒビのひとつすらも入っていなかった。魔力量では圧倒的に劣っているが、彼女と雄弥では魔術の熟練度の差があまりにも大きすぎるのだ。
ユリンは手をサッと払って防壁の魔術を消し、ひと息をつく。
「……」
彼女の周りには衝撃波によって打ち上げられた粉塵によって濃い壁が出来上がっており、1メートル先からが全く見渡せない。またあまりの爆音に鼓膜が驚いているためか、耳がキンキンして音もよく聞こえない。
彼女は軽く身構え、警戒の姿勢をとる。と、その時ーー
「ぬがぁありゃーーーッ!!」
「!! くッ!!」
背後より、土煙の壁の中から溶け出るようにして雄弥が突如の接近。流石の彼女も驚きを口から溢す。
ユリンは現在1メートル先の視界、さらに聴覚までも機能不全となっている。その上背後からの奇襲である。当然、彼に対する反応が1歩遅れてしまった。
それでも彼女はなんとか突き出された拳を回避し、彼の腕を掴んでこれまでと同じように技をかけようとする。しかし焦りによって身体のバランスを崩したのだろう。先程と比較すると、技の型が大きくぶれていた。
「させるかァッ!! いー加減メシを食わせろォォォ!!」
すぐさまユリンの腕を振りほどく。そして彼女の足元を蹴りはらうのと同時にその上半身に手をかけ、そのまま地面に押し倒した。
どさり、という音とともに、ユリンの背中が地面についた。
雄弥は彼女に覆いかぶさる形となり、ぜいぜいと息を切らす。対してユリンはそのルビーのように真っ赤な瞳をぱちくりとさせ、仰向けままきょとんとしている。
いつのまにか、彼らの周囲を囲っていた土煙は消えていた。
「……やった」
ようやく状況を飲み込めたのか、雄弥が歓喜の声を漏らす。そして自身の下にいるユリンに目を向ける。
「や、やった!! 1本だ!! 俺の勝ちだ!! そうだよなユリーー」
と、そこで。彼はとんでもないことに気がついた。
「……あ」
掌から伝わってくる、ふにふにとした柔らかな感触。
彼の左手はユリンの顔のすぐ横に。そして右手はーージャージ越しに、彼女の胸へと置かれていた。
雄弥の顔から血の気が引き、一気に青ざめていく。本来ならばすぐに手を離すべきなのだろうが、彼は全身を硬直させて動けずにいた。すると……。
「……えっち」
ユリンは彼に対し、揶揄うように微笑んだ。
「あ、いや、ご、ごめ……」
それを見た雄弥ははっと我に帰り、慌てて右手をどけようとした、のだがーー
「ごッ!?」
その瞬間。ユリンは自身の胸の上に置かれたその腕をがしりと掴んで彼の腹に1発の膝蹴りを見舞ったのち、巴投げの要領で雄弥を自身の後方に投げ飛ばした。
「どわーッ!!」
あまりに突然の出来事に、彼は仰天。そのまま3メートルほど先の地面にうつ伏せで激突し、あえなくノックダウン。眼を回してしまった。
「ぶぐゥ……ッ!! て、てめぇ……!!」
「ふっふ〜。まだまだ甘いですねぇ、"ユウさん"」
立ち上がったユリンは倒れている彼の頭の前に回り込み、無邪気な笑顔を見せる。
「こんなのでいちいち隙を晒していたら、現場じゃやっていけませんよ? 煩悩を祓えないうちはいつまで経っても半人前です」
「……ぎぎ……ち、ちくしょう……!! 言うトコそこじゃねーだろーよ……ッ!!」
「でも、1本取られたのには違いありませんね。私の負けです。少々荒っぽいやり方ですが、さっきのは良い作戦でしたよ」
「い、イヤミにしか聞こえねーんだよ……!!」
そう言うと、ユリンは倒れる彼に向けて自身の手を差し出した。
雄弥は悪態をつきながらもそれを取って立ち上がり、手で服についた泥を払う。ユリンも身体を縦にぎゅ〜ッと伸ばす。
「……さて! 戻ってお昼にしましょうか」
「やぁっとか……! もー少しで立てなくなるところだったぜ……!」
そして2人は、並んで山を降りて行った。
* * *
「あいででで……!」
汗と泥汚れを落とさんとシャワーを浴びたのはいいが、擦り傷にお湯がじわじわと滲みてくる。数えればキリがない。肩に肘に膝と尻、そして最後にユリンに投げ飛ばされた時に顎も擦り剥いちまった。
ユリンの治癒の魔術で治してもらおうと思ったが、こんな小さな傷でいちいち彼女の手を煩わせるのもなんだか申し訳ない。
「ちっくしょう、結構でけぇなぁ。顎の傷……」
俺は傷口を見るために鏡を覗いた。しかし。目に入ったのは全く関係の無いものだった。
「……oh……」
訓練を始めてもう1年以上が経つ。筋トレだのランニングだのといった基礎トレーニングを毎日こなしてきた俺の身体は、以前とは見違えるものになっていた。
腕や足は一回り太くなり、所々に血管が浮き出ている。腹筋は6つに割れ、肩幅も別人のように広くなっていた。
なんとなく、鏡の前でポーズを取ってみる。全裸のまま、鏡の中の自分に酔いしれる。
……フツーに考えてキモチ悪い。
「ユウさーん、怪我は大丈夫ですかー?」
だから、浴室の扉の向こうからユリンに突然声をかけられた時は死ぬほど驚いた。
「だだだだ、大丈夫大丈夫ッ! 全然ヘーキだってばよ!」
「ここに着替え置いときますねー!」
「おう、おう、おうッ!」
彼女が外に出る音を聞き、ふぅ、と息を吐く。
1人で勝手に気まずくなった俺は身体に付いた泡わ洗い流し、さっさと浴室を出た。
ユリンが置いていってくれた白いジャージを着て、濡れた頭をタオルで拭きながら廊下を歩いていく。
「おーいユリン。風呂場の石鹸もう無くなりそうなんだけど、新しいのってまだあったっけ?」
そしてキッチンの扉を開けて、そこにいるであろう彼女に声をかける。
……が、そこにいたのはーー
「やあ、ユウ。お邪魔してるよ」
テーブルに、1人の人物がかけている。
磨き上げられた黒曜石のように艶やかな黒のポニーテール。少々つり上がった白色の瞳に、浅黒い肌。そして女性とは思えないほどのその長身……。
「げ! サザデーさん!?」
タイトなデニムに灰色のタンクトップを身につけた、サザデーだった。
「ひどい反応だ。私も随分と嫌われたものだな」
彼女はそう言うと、煙管から口に含んでいた煙をぷかぷかと吐いていく。
……このヒトは苦手だ。いまだに慣れない。俺と話すときはいっつも無表情だから何考えてんのか分かんないし、掴みどころが全く見えないし……。
「あ、ユウさん。お上がり」
そんなことをぶつぶつと考えていると、俺の背後にある扉からユリンが入ってきた。
「な、なあ。なんでまたサザデーさんが?」
「お話があるみたいです。ユウさんと私に」
「あ? 俺にも?」
「そういうことだ。とりあえず2人とも座ってくれ」
サザデーさんに促される形で、俺とユリンは4人がけのテーブルに並んで腰を下ろす。……あの、昼メシは?
俺の腹の都合を無視して、サザデーさんは話を始めた。
「実は今、宮都で奇妙な連続失踪事件が起きていてな」
「へ? 失踪事件? なんだい、藪から棒に」
「はい、噂は聞いています。先月下旬から被害が急激に増加しているという……」
ユリンは知っているらしい。
「ああ。その件数は今月だけですでに11、全て合わせると24件にものぼる」
「は? ……11!? 今月始まってからまだ2週間も経ってねーぞ!? ほぼ1日に1回起きてるってことじゃんか……」
「そういうことだ。被害にあったのは全て、幼い子供を持った3人家族。そのうちの両親が行方をくらまし、子供だけが無事だった。消えた親たちはまだ誰も見つかっていない。痕跡も何ひとつ残っちゃいない。彼らが生きているのか、死んでいるのかすらも不明なままだ」
サザデーさんは忌々しそうに眉を寄せるが、俺はここでひとつ疑問を浮かべる。
「え? 痕跡が何も無いって……子供たちは? その無事だった子供たちが、何か見ていたりとかは……」
「そこが奇妙な部分なのさ。無事だった子供らはほぼ全員、事件当時のことはおろか、自分の親のことすら全く覚えていないんだよ」
……俺も、ユリンも、最初はその言葉の意味をよく飲み込めなかった。
「それも、両親の容姿や人柄を思い出せないとか、そんなレベルじゃない。自分に親という存在がいたということ、親という概念そのものを完全に忘れてしまっている。つまり子供らは、親がいなくなったということを全く認知していないんだ」
……そんなアホな。その話が本当なら馬鹿げているなんてレベルじゃないぞ。
その子たちが示し合わせて忘れたフリをしている、なんてことは無いだろうし、普通に考えたら犯人の仕業ってことになる。洗脳、ってやつか? でもどうやってーー
……あ。
「魔術……」
俺が考えたのと同じことを、隣に座るユリンが口にした。
「そうだ。まだ推測の域ではあるが、犯人はかなり高度な魔術を修めた者であると考えられている。20人以上もの子共たちに催眠や暗示の類をかけ、その全てをずっと維持し続けることができるほどのな」
「催眠、だって……!?」
俺は1年前、ユリンに連れられて初めて街に行った時のことを思い出した。
あの時は自分の身体を透明化したひったくりと遭遇したのだ。あの一件で魔術を犯罪行為に用いる例もあることを知ったが、催眠だの暗示だの、口で言われても想像がつかない。
……やはりこの世界は、俺の理解を遥かに超えているのだ。
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