第139話 ハペネの奇跡、迫るフラム
「ーーなるほどぉ。それで私に、スーフェンの毒の血清を作ってほしい、ってコトね」
「な、なんだよ……! 俺がいねぇ間にそんな大変なことになってたのか……!」
ユリンとシフィナからナガカ訪問の理由をひと通り聞いたハペネが、おせんべいをバリバリかじりながら頷く。初耳の雄弥もびっくりである。
「こちらが毒素のサンプルと、支部長ジェセリ・トレーソンからの親書になります。多大なご迷惑をおかけした身の上で恐縮ですが、どうかお力添え願えませんでしょうか……」
謙るユリンが持参したカバンの中から1通の手紙と数本の試験管を取り出し、ハペネの前に差し出す。
おまんじゅうをもごもごと頬張るハペネは手紙に眼を通し、読み終わると試験管の1本を手に取る。ドス黒い紫色の液体が入ったそれを振ったりひっくり返したりしながらしばらく眺めていた。
やがておまんじゅうをゴクリと飲み込んだ彼女は急に神妙な面立ちになり、交渉役のユリンに対して口を開く。
「……いいわ。協力しましょう」
「! ほ、本当ですか!?」
「ええ。ただし……条件があるわ」
「もちろんです。支部長からは、第7支部単身で叶えられることならばどんな交換条件でも呑めとの指示を得ております。なんなりとおっしゃってください」
「ーーいい心がけね。では、あなたたちの"寿命"をいただこうかしら」
「…………はッ?」
斜め上すぎる要求にさすがのユリンもフリーズ。彼女の両隣に座る雄弥とシフィナも同じ反応だ。
「あなたたち3人の、残りの寿命全てを貰うわ。それが条件よ」
「じゅ、じゅ……寿命……ですか……!?」
「そうよ。それが私が誰かの願いを聞く時の対価。そうして私は永遠の若さを保ちながら、無限の生を得続けてきたの。さぁ、どうする? あなたたちは市民のために、自分の命を差し出す覚悟があるかしら……? ウフフフフフフ……」
ハペネは笑っている。先ほどまでの朗らかな笑顔ではなく、眼と口端を吊り上げた邪悪な笑み。その変わり様にユリンたちは狼狽し、答えを出しあぐねていた。
……が。
「あいたッ!」
ハペネが、突然アタマをぺしーんと叩かれた。
「んもぅブロシェ、何するのよぉ!」
やったのは、雄弥たちをここまで案内した笠の男。ブロシェ……と呼ばれた彼は悪びれもせず、げんなりとしたため息を主人に向かって吐きつけた。
「いー加減にしてください。こんどはいったいなんのコミックを読んだんですか。彼らには、毒に侵された民を一刻も早く救う使命がある。しょうもないムダ話をしてるヒマはないんです」
「い、いいじゃなーい! ここに外からのお客さんが来てくれるなんて久しぶりなんだもの〜! ちょっとくらい楽しくおしゃべりしたいの〜!」
「楽しいのはあなただけです。せめてもう少しマシなネタになさってください」
「ぶー! ブロシェの堅物〜!」
彼らのやり取りの意味がまったく理解できないユリンたちはポカーンとするばかり。
「ご、ごめんねぇ! 冗談よ冗談! 今のハナシはぜーんぶウソだからね! 私寿命なんて獲らないからね! 安心してねー!」
ハペネは、小さい子供をちょっと驚かそうとしたら泣かせてしまった、……かのようにあたふたしながらユリンたちに笑いかける。
来客に出したお菓子を誰よりもムシャムシャと食べ、真剣な交渉の場で謎のテンションをキープし、挙句側近に叱られる。もはや彼女に、最初の威厳なんてどこにもない。
ナガカ領主、ハペネ。雄弥、ユリン、シフィナがこの時点で彼女に感じたことは、共通してひとつ。
…………読めんッ!!
「交換条件なんて何も無いわ。喜んで協力させてちょうだい」
やっとおふざけモードから脱したハペネは交渉を再開する。
「は……はいッ? よ、よろしいのですか……!? せめて見合った金品だけでも……!」
「あらあら、あなたたちは市民の命に値段を付けるつもりかしら?」
「! い、いえ……! そんなつもりじゃ……!」
「うふふ、これも冗談よ。でも私はお金なんかいらないわ。あっても使い道が無いもの〜。ーーさ、そしたら早速やっちゃいましょうか!」
「え? 早速……って……?」
ユリンが不思議がる中、ハペネは彼女から渡された試験管を再び手に取った。
「毒の組成はもう分かったから、すぐできるわ。ちょ〜っと待っててね」
ハペネはそう言うと、鼻歌を鳴らしながら試験管を右手で持ち、左手の人差し指でそれに触れる。
ーーするとその指先が、続いて試験管の中身の毒液が、淡い輝きを帯び始めた。
部屋の中がその柔らかい光で満たされ、間接照明で照らされたような暖色の空間が形成される。やがて、試験管の液体の色が紫から水色に変化すると、その光は消えた。
「はい1本。予備用に、あと何本か作っておくわね」
……3人は唖然としていた。そんな中でハペネは同じことを繰り返し、2本目、3本目とあっという間にこしらえていく。
「一応効果を確認しておこうかしら」
そしてハペネはまだ変化させていない紫の毒液を、試験管からグイッ、と飲み干した。
「!! ちょ、あなた……何してるのッ!!」
「大丈夫大丈夫。心配しないで」
シフィナが驚愕のあまり怒鳴り声をあげるが、当の本人はへらへらと落ち着いたままだ。
すぐにハペネの顔や手に、毒の症状である真っ赤な斑点がぶわぶわと現れる。即座にハペネは自ら作った水色の血清を注射器に入れると、腕の血管から体内に注入した。
そしておよそ1分後。彼女の身体の斑点は全て、水に溶けるように消えてしまった。
「よーし成功! これで大丈夫ね。単純なつくりにしておいたから、すぐに量産もできるはずよ。念のため、あとで製法をまとめた紙を渡しておくわ」
あっ……さり。ここまでわずか、15分足らずの出来事であった。
「ど……どうなってんだ……。いったい何をしたんだ……!?」
眼の前で神の奇跡に等しい芸当を見せつけられた雄弥は感心を通り越して動揺していた。
だがユリンとシフィナは違う。無論ひどく驚いてはいるが、同時に妙に納得したかのような表情である。
「……これが……世界にただ1人、ナガカのハペネだけが持つ……『命湧』の"極性"の力……」
「たまげた……わね。ウワサ以上の能力だわ。こんなの神とどう違うっていうのよ……」
「むっふっふ。ど〜んなもんだい♪」
彼女らにここまでの反応をされてもなお、ハペネはまるで友達にそうするかのように笑うだけだった。
「あ……ありがとうございます! 本当にありがとうございます!」
「これでみんなを助けられる……! ユリン、ユウ! 帰りましょう!」
「お、おうよ! なにがなんだかワケ分かんねーけど、もういいや!」
使命は達せられた。3人はいそいそと身支度を済ませ、いざ帰国せんとスクッと立ち上がる。
「あ! ちょっと待ったぁ!」
しかし、それをハペネが制止した。
「ごめんね、最後にひとつだけ。あなた……ユウヤくんに相談があるのだけれど」
「へ? 俺……っすか??」
突然のご指名。雄弥はキョトンとする。
「失礼だけど、あなたのその右腕……麻痺してるわね」
「? はい」
「外傷による神経損傷。怪我したのは……2〜3ヶ月前ってとこかしら?」
「す、すげぇ……合ってます……! ……それが?」
「それ、治せるよ」
「ーーえ……!?」
また彼女は、突拍子もなくとんでもないことを言い出した。
「ただ麻痺して少し時間が経っちゃってるから、今この場ですぐに、とはできない。そうね……大体5日くらいね。それくらいあれば、あなたの右腕を元通り動かせるようにしてあげられるわ」
「う、動くのか!? この腕!!」
「ええ。ドーンと任せなさい。完全欠損じゃない限り、私に治せない怪我は無いのよ〜」
ハペネは豊満な胸を自信たっぷりに叩く。
「ただ繰り返すけど、治すのには5日かかるわ。当然その間あなたにはここにいてもらわなくちゃいけない。今すぐに2人と一緒に帰ることはできなくなるけど……どうする?」
「あ……そっか。ど、どうしよーー」
「はあッ!?」
一瞬悩みかけた雄弥の思考をブチ破ったのは、シフィナの怒声だった。
「相変わらず底無しのどマヌケね、アンタ! どーこに考える必要があるのよ! 残れ! せっかく元の身体に戻れるチャンスでしょーが!」
「い、いやでもよ。ただでさえ数ヶ月も行方くらましてみんなに迷惑かけてんのに、これ以上引っ張るワケには……」
「おばか。迷惑なんかじゃないですよ」
そう言ったのはユリンである。
「いいんです。あなたが無事に生きていてくれただけで、もう十分なんです。大変だったのはあなただって同じでしょう?」
「ユリン……」
「私とシーナは、先に帰って待っています。ユウさんはしっかり身体を治して、元気な姿をみんなに見せてあげてください。その方が、みんな安心します」
……ああ。そっか。
コイツらは……こういうヤツらだったよなぁ……。
久しく忘れていた仲間のぬくもりに、雄弥は人目も憚らず涙を漏らす。
「俺……マジでお前らのこと大好きだ。……グスッ」
「は? なに急に。キッショ」
「やだ〜照れますねぇ〜」
真顔で辛辣に吐き捨てるシフィナと、わざとらしく腰をクネクネするユリン。
雄弥は涙をゴシゴシと拭うと、ハペネに向き直った。
「じゃあお言葉に甘えさせてもらうぜ、ハペネさん! 5日間世話になります!」
「はいは〜い♪ ……若いって、いいわねぇ……」
ハペネはそんな彼ら3人を、瞳を細めて眺めていた。
* * *
「なに? グドナル殿が?」
一方、同時刻。公帝領某所、公帝軍駐屯基地内。
〈煉卿〉フラム・リフィリアは、連絡紙を片手にやってきた部下からの奇妙な報告に怪訝な表情を示す。
「はい、つい先ほど伝達がありました。ナガカ国境付近にて何者かと交戦したようです」
「はは。あの人と闘り合うなんて、命知らずな者もいるんだな。今回は何秒で決着がついたんだ?」
「それが……どうやら〈剛卿〉殿はトドメを刺し損じたようで。途中ナガカからの制止を受け、やむなく手を引いたそうです」
「それはまた……相手にとってはこの上ない幸運だったな。それで? そのラッキーな命知らずとはいったいどんな人物なんだい?」
「えーと……」
部下の男は右手の連絡紙をパラリとめくる。
「男1人、女2人の3人で、年齢は全員18〜20ほど。男は人間で、女の方は2人とも猊人です。取り立てて目立ったのが男の方で、グドナル殿本人が自分以上の魔力の持ち主であった、とまで評価していたそうで。なぜ人間と猊人が行動を共にしていたのか等も含めて素性は不明ですが、かなりの実力者と見受けられます」
「!! なにッ!?」
その、"男"の話が出た途端、フラムの眼の色がギラリと変わった。
「人間の男と言ったな!?」
「へッ!? は、はい!? はい!」
「まさかそいつは左眼に眼帯をした、右腕不随・全身傷だらけの男か!?」
「え、ええはい! 確かに眼帯もして、右腕は機能していなかったようだ、というように聞いております……! し、しかしなぜご存知でーー」
突然食い気味になったフラムにタジタジになる部下。そして彼が次に気がついた時には、フラムは廊下の向こうに猛ダッシュで走り去ってしまっていた。
「あれ!? ふ……フラム様!? どちらへ!?」
「ナガカに向かう!!」
振り返りもせずただ一言だけ返したフラムは基地の外に出ると、両足裏から炎を噴射。上空に勢いよく飛び立ち、戦闘機のような推進力でナガカの方向へと飛翔を開始した。
『ようやく見つけた……!! もう逃がさんぞ、ユウヤ・ナモセ……ッ!!』
その端正に整った顔は、烈火の如き怒りに包まれていた。
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