第106話 少女への侵蝕
歩き帰り、森の小屋。
軋む戸を引き中に入る。
広すぎる。あまりにも。8畳足らずの空間が。
ーー独り、ひたすら……ただ、寂しい。
「……ッ……う……」
イユはベッドに顔を突っ伏し、暴れる感情を必死に押し殺す。
ほんのひと月の同居生活。それもきっかけは平凡なもの。
だが、彼女にはそれが底抜けの幸福だった。
朝起きるのが楽しみだった。気づけば自然に笑っていた。時間が経つのが早く感じた。ごはんがすごく美味しかった。"心地の良い疲れ"を初めて知った。
……明日が来るのが、待ち遠しかった。
それが終わった。ユウヤ・ナモセは、もうここにはいない。
今すぐにでも彼を追いかけたかった。感情を爆発させ、思いのままに動いてしまいたかった。
しかしそうはしない。できない。してはならない。
ユウヤと一緒にいたい。おじぃちゃんと一緒にいたい。そのどちらも、偽りなき彼女の本心だからだ。2つ同時は満たせない。そしてどちらを選んでも結局、この心を締め付ける苦しみは変わらないのだ。
イユは恨んだ。自分の身体がひとつしかないことを、何よりも恨んだ。
たった2人だけの大切な人たちと、ずっとずっと一緒にいたい。それのみが願いであるはずなのに。
なぜできぬ。なぜ叶わぬ。よもや神も、それを強欲とは言うまいに……。
とん、とん。
それから1時間、いや2時間? とにかくそれくらいが経った時、突然家の戸が軽く鳴った。
風で揺れたのではない。明らかに何かが叩いたような音。
「…………?」
くしゃくしゃにした顔をベッドから上げ、訝しむイユ。
当然の反応だ。普段この家に来客などほぼ全く無い。そもそもまともな交流があるのが診療所のおじいさんのみであり、老体の彼はこんな丑三つ時まで夜更かしはしない。
となれば、残る候補はただ1人。
「!! ゆ……ユウヤ……ッ!?」
彼が戻って来たのでは。
その希望的観測に身を任せたイユは涙を拭い、ベッドから慌ただしく降りて戸を勢いよく開けた。
ーーしかし。そこには誰もいなかった。影も形も、地面に足跡すらもない。
「あ…………」
開け放された扉から吹き込む夜風に晒されるイユは、先程の音は自分の願望が生み出した幻聴なのだと思った。
強く、ハッキリと聞こえたノック音。現実に限りなく近い幻覚。そんなものを感じてしまうほどに……今の彼女は、喪失感に押し潰されそうになっている。
「…………バカね…………私も…………」
彼女は自嘲の笑みを浮かべながら静かに戸を閉める。そして、部屋の中へと振り返った。
すぐに彼女は、反射的な恐怖の声を上げることになる。
「!? ひッ!?」
……彼女の眼に入ったのは狭苦しい家の景色ではない。自分の眼の前に立つ、1人の"ヒト"の姿だった。
その"ヒト"は、身長はイユより10センチ以上上、つまり雄弥とほぼ同じか少し高いくらい。しかし全身を黒地に白縞の縦ボーダー模様のローブで覆っており、顔の大部分もフードで隠れていることから、かろうじて見えるのは口元だけである。
「な、なによあなた……!! どこから入ってきたの……ッ!?」
震える声で聞く少女。だが返事は返ってこない。
イユの本能が発する危険信号。脳が割れそうなほど甲高い警報音。
眼前に立つその"ヒト"が、何者なのかは分からない。それでも……
ーー近づくな。
ーー眼を合わせるな。
ーー逃げろ。
逃げろッ!!
確信だけは得た。イユは、踵を返し背後の戸から外に逃げようとする。
……が。
『!? な、なんで……!? ……動けない……ッ!!』
少女の身体は微動だにしなかった。重いモノにのしかかられているだとか、四肢が痺れるだとか、そんな類ではない。
まるで脳からの信号が、神経伝達の途中で止められているような……。
「ーー寂しいか、小娘よ」
イユが金縛りにあう中、ようやく"ヒト"が口を開いた。その声質からは男性であることがうかがえる。
「悲しむな……ヤツと貴様は運命共同。現世永劫……地獄までな……」
するとローブの男は唯一覗かせている口に邪悪な笑みを浮かばせると、身動きの一切が取れずにいるイユの頭を右手で鷲掴みにし、そこに漆黒の魔力を宿らせた。
その魔力はどんどん濃くなり、やがて……イユの頭の"中"に、頭皮から染み込むようにして侵入していく。
「が……ッ!? あ、あ……!!」
漏れ出るイユの苦痛の呻き。やがて、真っ白だった彼女の髪がどんどん黒く染まってゆく。
続いて顔。
続いて腕。
続いて脚。彼女は身体中を黒魔力漬けにされる。
そして最後に混血の少女の瞳は、採れたての真珠のように白濁しーー
「あ…………あ"ぁあ"あ"あ"あ"あ"あ"ああああああああァァァァァァーーーッ!!」
残った悲鳴だけが、闇夜の森にこだました。
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