第10話 制裁
朝。ベッドからのそりと起き上がる。
部屋から出て洗面所に向かう。家の中がやたらと静かだ。
あ……そうか。今日は夕方までユリンがいないんだ。5日前のエドメラル出現に関する報告書をまとめるとか言ってたな。
……まぁ最近アイツとはあまり口をきいていないから、いてもいなくても大して変わらないんだけども。
「いったい何を考えているんですかあなたは!!」
救援に来たサザデーさんによってエドメラルが駆除された後、ユリンは地面に座り込む俺に向かって怒鳴りつけた。
「車から動くなと言ったでしょう!? あなたの魔術は全くの未完!! 私の治癒を前提にしないと成立しない状態なんです!! でも私だって現場では、あなたにだけかまけるわけにはいかない!! 守らなきゃならない仲間は大勢いるんですから!! それに、周りを見てください!!」
そう言われて、俺は首はそのままで眼だけを動かす。
俺たちがいる位置を中心に半径30メートルほどにわたって、そこに生えている木々の半分から上が消滅していた。薄暗い森の中でここにのみ、まばゆい日光が差し込んでいる。
……俺が暴発した魔術の、爪痕だ。
「あなたの魔術が出鱈目に放たれた結果です!! 今回はたまたま空に向かって逸れてくれたからよかったものを、もし地面にでも撃たれてあの場にいた兵士たちが巻き添えになっていたらどう責任を取るつもりだったんですか!!」
俺は終始俯くばかり。
「……お、俺は……役に立とうと……」
「今のあなたじゃそれが無理だと言っているんです!! いいですか、もう2度とこういうことはしないで!! あなたは自分がまだ訓練兵であることを自覚してください!!」
以来どーにも気が悪くなり、ユリンとは最低限の会話しかしていなかったのである。
「……くそッ」
洗面所で顔を洗い、鏡に写った自分を見る。すると自然に左腕に目が行く。
エドメラルに酸を浴びせられたそこには、まだら模様の大きな火傷跡が残っていた。一部血管が剥き出しになっているところもある。
砕けた肩が治ったのはつい昨日。表皮を切って肩肉を開き、バラバラになった肩骨を肉の中で寄せ集めてくっつけたのだ。あまりの痛みに、いっそ腕ごと千切ってしまいたいとすら思った。
天気はいい。だが最悪の気分だ。たった1度の失敗であれもこれもめちゃくちゃだ。
だが、あの時は運が悪かった。ただそれだけだ。当たってさえいれば間違いなく俺が、俺の魔術がエドメラルを倒していたんだ。次だ。次こそは俺の力を……。
顔を拭って服を着替える。そして軽く腹を膨らませるために、台所の扉を開けた。
やはりユリンはいない。……が。
「やあ、おはよう」
代わりに見知らぬ男が1人、テーブルに座っていた。
「……は?」
誰?
「こんな時間まで眠りかけるとは大したご身分だ。おまけにこの僕を1時間も待たせるなんて、随分と図々しい度胸をしている」
出会い頭に文句を言われて困惑する俺に対し、その男がテーブルから立ち上がって歩み寄ってくる。
……デカい。身長は190以上ありそうだ。
ソイツは俺の前まで来るとそのまま顔を近づけ、俺の瞳をじぃーッと覗き込んだ。
「……へぇ、本当に人間なんだな」
「は? なんて? あの、どなたすか」
「これは失礼」
男は俺から離れ、雑な会釈をした。
「僕はアルバノという。君にも分かるように言うと、サザデーさんの同僚ってところかな」
アルバノ、と名乗ったその男は爽やかな笑顔を見せる。しかし俺は何かただならぬものを感じていた。
この男、大柄ではあるが逞しいというわけではなく、むしろ細身。そして長いまつ毛、潤った唇、線の細い輪郭などを併せ見ても、その出で立ちはやたらと中性的だ。薄紅色の長髪を後頭部で結い、瑞々しささえ感じさせるほどに透き通った緑色の瞳をしていた。
……そう、その眼だ。さっきから妙に気になるのは。
この男はずっと口角を上げてにこやかに振る舞ってはいるが、眼だけは全く笑っていないのだ。なんなら敵意さえ感じさせる。不気味だ。実に得体の知れない男だ。
「君はユウヤ・ナモセだね?」
「そう……ですけど」
「ああそう。やっぱりそうだよね。そうだよねぇ……」
男はどこか含みのある言い方で返し、再び俺の顔をじろじろと見つめる。
嫌な視線だ。顔中を舐め回されているような、粘っこい視線だ。向けられるだけで気分が悪くなってくる。
「あの、何しに来たんですか。ユリンならいませんけど」
「違う違う。僕は君に会いに来たのさ」
「じゃあ何の用です」
そう聞くと、男は顔をぱっとした満面の笑みで染めた。
「なに、直接見たいと思ってね。エドメラル討伐時に現場に突然現れ、勝手に暴れた末に勝手に自滅した史上最低にカッコ悪い男の姿をさ」
「……は?」
返ってきたのは、その表情には全く似合わない答え。俺は一瞬言葉の意味が理解できなかった。
「いやしかしびっくりだ。今こうやって対面して分かったが、予想以上に腑抜けた面構えだ。そばにいるだけでイライラしてくるほどだよ」
「……なんだと……!」
突然理不尽な非難を浴びせられた雄弥は怒りに火をつける。
「なんで初対面のあんたにそんなこと言われなきゃならないんだ……!?」
「僕は一応、軍の中でのいわゆる上級職に付いている。つまり君が魔術を誤射したあの場にいた兵士は全員僕の部下ということだ。もちろんユリンちゃんも含めてね。部下の命を危険に晒した者に上司が文句を言うのは当然のことじゃあないか」
「……それは」
「おおっと、謝罪なんか結構だ。謝るだけなら誰でもできる」
雄弥はぎりりと歯を食いしばる。彼の苛立ちは募るばかりだった。アルバノの言うことに関しては自分が悪いことは分かってはいるのだが、この人を小馬鹿にするような態度がどうしても気に入らないのだ。
「……じゃあどうしろってんですか」
機嫌の悪さを声に漏らしつつ尋ねる。
「言った通りさ。言葉に意味は無い。気持ちを示すなら、成果を伴った行動が必要だ。少なくともそれが現実に生きる大人のやり方ってもんじゃあないのかな」
成果だと? そんなもの機会さえあればいくらだって出せるのに……!
雄弥が悔しさから拳を震わせる中、アルバノはさらに言葉を続ける。
「ま、いいさ。どうせ君のような役立たずは現場に出ればすぐ死ぬからな。成果なんて期待するだけ無駄だというものだ」
「……なに!?」
そしてそれは、雄弥の逆鱗を鷲掴みにした。
「役立たず、だと……!? 誰のことだ……!!」
「おいおい、自覚無しかい? 本当に困ったボウヤだ。君だよ君。今こうして僕と話をしている君だよ。自分はできる奴だと勘違いして勝手な行動をとり、周りに大きな迷惑をかけた君のことだよ」
わざとらしいため息をついて嘲笑う目の前の男に対し、雄弥はたまらず激昂する。
「あの時はたまたま負担が一気に肩に集中しただけだ!! そのせいで腕がぶれた!! そうならなければ、俺はあの化け物を倒せていたんだ!!」
「違うね、たまたまなんかじゃない。あれは君の思い上がりが招いた必然の結果だ」
「サザデーさんに聞いてないのか!? 俺はガネントだって倒したんだ!!」
「それこそ本当のたまたまだ。いや、奇跡と言ってもいいね。だいたいガネント1体程度で満足して現場に出ようなんざ、地元でちょっとケンカが強いってだけで自分は世界最強だと勘違いしている奴と同じだ。極端な例えだと思うか? 残念ながら言葉通りだ。それほどに君は粋がり、自惚れている。だからユリンちゃんだって君が来るのを止めたのさ」
「て……めぇええッ!!」
耐えかねた彼はとうとうアルバノの左頬目掛けて殴りかかる。
しかしアルバノはそれを難無く避け、雄弥の鳩尾に膝蹴りを入れた。
「がはッ!?」
雄弥は腹を圧迫されたことで肺の空気を一気に排出し、床に倒れ込む。
「う……ぐぁ……ッ」
「言葉よりも先に手が出るどストレートな直情型。人としてはなおサイテーだな。まぁ……こういう分かりやすいやり方自体は嫌いじゃないが」
アルバノは床にうずくまる彼を笑みを浮かべながら見下ろす。そして部屋の入口を開けた。
「来いよボウヤ。ケンカなら広い場所のほうがいい」
ーー山頂、魔術の特訓広場。2人はそこで対峙した。
雄弥はこれまで喧嘩などほとんどしたことはない。だがあれほどの罵倒を浴びせられたとあっては黙っていられるわけもなく、半ば投げやりに殴りかかっていた。
しかしそれらの拳も蹴りも1発もアルバノには当たらない。全て最小限の動きで避けられ、軽やかかつ緩やかにいなされる。そしてその度に痛烈なカウンターを受けてしまう。
ひたすらに殴り返され続けた雄弥の顔面は紫色に腫れ上がり、身体中に無数の内出血が出来ていた。
「あがッ!!」
顔の中央に向かって真っ直ぐに打ち込まれた拳骨により、俺は仰向けに倒される。アルバノは俺の周りをだらりとした様子で歩いている。
「ひどい身のこなしだ。3歳児の方がまだ動ける」
「こんの……ッ!!」
俺は倒れた状態のままアルバノの脚を蹴って転ばせようとしたが彼は飛び上がってひらりと躱し、5メートルほど離れた位置に着地した。
「くっそォッ!!」
息切れがどんどん早くなり、酸素不足で視界が霞む。対して奴は両手をズボンのポケットに突っ込んだ状態で、たまに欠伸までする始末。今だに逃げ場を見出せない俺の怒りははち切れる寸前だった。
「いい加減、術を使いなよ。こんなんじゃ疲れるだけだ」
「ぐ……」
さっきからこの男は俺に対し、しきりに魔術を使うように誘ってくる。
本当なら今すぐ使ってブッ飛ばしてやりたい。しかし俺の中にかすかな不安がちらつく。もしまた失敗したらどうする。そうなれば奴の言うように、俺は本当の役立たずということになる。
あの時が不運だっただけ。練習の時は毎回できているんだから何の問題も無い。でも……もしーー
アルバノはその不安を読み取ったかのように、俺の思考に割り込んできた。
「あぁでも……また肩がイって明後日の方向に飛んでっちゃうかもねぇ」
あくまでも爽やかな笑みを浮かべたまま、俺をなじり続ける。とうとう怒りが不安を追い越す。理性は引っ込み、感情が身体を支配した。
「こんの……ッ!! ナメんなあぁぁッ!!」
俺は魔力を開放し、右手をアルバノに向けて術を放った。巨大な光線は5メートル先にいるアルバノ目掛けて直進し彼が立っている地点に命中。雷が落ちたような音とともにそこの地面を深く抉り取り、黒々とした粉塵を撒き散らした。
術の威力と至近距離での着弾による反動が合わさった凄まじい衝撃波に襲われ、俺は真後ろに20メートルほど吹き飛ばされた。
「ぐあぁ……ッ」
右腕を押さえ、地に伏せる。
雷に撃たれたような痛み。神経という神経が悲鳴を上げている。
もうこんな痛みは何度も経験している。だから分かる。折れた。前腕の内側の骨、橈骨がやられた。二の腕の肉も一部裂け、そこから血が流れ出していた。
しかし俺は笑みを浮かべる。今度は撃てた。間違いなく標的に命中した。
「見ろ……! やっぱりたまたまなのはあの時のほうだ……! 俺は粋がってなんかいねぇぞ……!」
アルバノが立っていた場所から黒煙が空高く立ち昇る。
あれをまともに食らっていては、人など細胞の一片も残さず消滅するだろう。しかし今の俺はアルバノが生きているのかという心配よりも、ざまぁみろ、という思いを噛み締めていた。
「ざまぁみろってんだ……! 人を散々コケにしやがって……いい気味だぜ……!」
が、振り返って部屋に戻ろうとした、その時ーー
「ほへぇ〜、す〜ごいすごい。とんでもない威力だ。確かに魔力量だけなら、この僕をも遥かに凌いでいる」
俺は硬直し、血の気が急激に引いていくのを感じた。
声の主はアルバノだ、間違いない。あの魔術を喰らって無事なのかということにも当然驚いた。だが1番の問題は、奴の声が俺のすぐ右横から聞こえてくるということだ。
右側を恐る恐る横目で見るとーーいた。奴がいた。本当にすぐ隣、手を伸ばしたら届く距離。俺と並んで立っていたのだ。
「んな!?」
馬鹿な、いつからだ! いつからここにいた!?
俺は反射的に飛び退き、10メートルほど距離をとる。
「と言っても、やはりそれだけだな。いくら魔力が凄くたって使い手がこのザマじゃね」
奴は身体に傷を負うどころか、服に汚れのひとつすらも付けていない。避けたのだ、俺の一撃を。俺が気がつかない一瞬のうちに移動して。俺が魔術を撃ったときにはすでに、こいつは俺の隣にいたんだ……!
「それにしても……ナメるな、か。実に愉快なセリフだ。現実を舐め腐った糞餓鬼の口から出たものとは思えないよ」
「てめッ……! どういう意ーー」
反論しようとしたその時。俺の下半身から力が抜けた。がくりと膝をつき、地面にへたり込んでしまう。
最初、脚にも怪我をしたのかと思った。しかし履いているズボンには少しの裂け目も血の跡も無い。この脱力は肉体ではなく、精神的なものだと理解する。
「う……!?」
その原因はアルバノだとすぐに分かった。
と言っても奴はなにもしていない。立っているだけ、位置も変わっていない。
ただひとつだけ、明らかに眼の色が違う。ついさっきまでのは呆れ混じりの敵愾心。だが今、瞳にはっきりとした侮蔑、そして殺意までもが宿っている。俺を見ているのではなく、視線で圧し潰している。
「……舐めているのはてめぇのほうだって言っているんだよ。この甘ったれが……」
汗が止まらない。全身の毛穴が泣いている。歯もかちかちと音を立てる。
「ちょっとお灸を据えてやるだけのつもりだったけどやめだ。徹底的に叩きのめしてやる」
そう言うとアルバノは、両手をズボンのポケットから出した。
産毛が逆立ち、肌がピリつく。奴は先程までの爽やかな振る舞いから一転、抜身のナイフのように鋭い殺気を発している。そのままこちらに向かってゆっくりと歩き始めたので、俺は慌てて地面を這って後ずさった。
「君ももう知っているだろうが、魔術には様々な種類、特性が存在する。そしてその特性には、それぞれ名前がある」
歩を進めながら、奴は話す。
「君が使う魔術。その特性は『波動』と呼ばれている。能力は至ってシンプルで、体内の魔力をそのまま力の塊として放つというもの。魔術の中では最も基本的な特性だ」
その時奇妙なことが起こり始めた。
今いるここは、俺の魔術の特訓場所。本来地表の全てが芝生でびっしりと埋め尽くされていたのだが、俺が毎日何度も放った魔術とその度に発生した衝撃波によってすっかりそれらは剥ぎ飛ばされ、地表は丸裸になっていた。
ところが今、アルバノが1歩を踏み出すたびに彼の足元から次々と芝が生えてくるのだ。それだけではない。抉れてでこぼこになった地面もどんどん平らに馴らされていく。土地が急速に再生し、精気を取り戻していた。
そして突如アルバノの身体が淡い光を纏い始め、それが彼の右手に徐々に集約していく。やがて掌の上に野球ボールほどの大きさの青い光球が現れた。
「無論、僕のにも名前がある。見せてあげるよ。僕の「如樹」の魔術を……」
なんだあれは。魔力……!? あんな小さなものでなにをするつもりだ……!?
俺は立ち上がり、引き気味に身構える。力み過ぎてこめかみに血管が浮かび上がるのが分かる。
アルバノは両眼を閉じ、右手を空に向けて掲げた。
周囲が異様に騒がしい。鳥が叫び、虫が鳴き、木々草花がざわめいている。いやそれだけじゃない。なにか、ここの土地全体の存在感が急速に大きくなっていく気がする。
変だ。明らかに何かおかしい。視線を感じる。木から、草から、泥粒のひとつひとつから。この場にあるあらゆるものが、俺のことをじっと見ているような……。
何が来る。何をしようとしている。魔術、どんな魔術だ。分からない。やられる前にこっちから仕掛けるか。でももう左腕しか残されてない。もしこれをまた避けられたら、文字通り打つ手が無くなっちまう。
アルバノは瞼を開いた。
「"展翅開帳"ーー『尽々蝱子』」
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