第1話 プロローグ
2025/1/24 修正しました。
少年の右腕は、ぐしゃぐしゃにヘシ折れていた。
肩から手首にかけた部分が強く絞った後の雑巾のようにねじ曲がり、皮膚も肉も、中の骨が見えるまでに裂けあがっていた。
「う……ぐぁ……ぁあぅぅ……ッッ!」
うめき声を漏らすその少年は激痛を少しでも紛らわせたいのか、額を地面に押しつけてうずくまっている。苦痛でぐちゃぐちゃに歪む彼の顔からは、涙と鼻水が滝のように流れていた。
少し強めの癖を持つ黒の短髪。170ほどの背丈。年齢は10代後半あたり。
そんな外見的特徴をもつこの少年がやったのは、『右腕で"魔術"を撃った』こと。それだけなのだ。
彼の"魔術"は、身の毛もよだつほどの破壊力を持っていた。
その証として少年が今いるこの敷地の地面に、直径50メートル、深さ10メートルはくだらない巨大な穴が穿たれている。
穴からは黒煙が立ち昇り、沈みかけている太陽の光を遮っていた。これこそ少年の魔術によってもたらされた破壊の爪痕なのである。
しかし、巨大な力にはそれ相応の代償がある、というのが世の常だ。
つまるところこの少年が右腕を潰してしまった理由とは、その魔術を撃った反動のせいなのだ。大きすぎる力に彼の肉体が耐えきれず、自壊してしまったということだ。
これが、異世界転移したこの少年に与えられたモノ。
ただの"ヒト"が扱うというにはあまりにも身の程知らずな、暴虐かつ破滅的な力……"魔力"であった。
「大丈夫ですよユウヤさん! すぐに治しますからね……!」
そんな少年のもとに、1人の女の子が駆け寄ってくる。ルビーのような赤い瞳に、オレンジ色のふわふわした髪をボブカットにした、やはり10代後半あたりの女の子だ。
彼女は、自身が"ユウヤ"と呼んだその少年のそばにしゃがみ込み、両手で彼の右腕に触れた。そして少しの間探るような手つきでその表面を撫でまわしたかと思うと、突然 彼女の両手が淡い光を帯び始めたのである。
光はたちまちユウヤの右腕全面に拡がり、やがて彼ら2人がいる煙の影の中までをも柔らかに照らしだす。
しばらくするとユウヤの右腕に変化が現れた。
出血が和らぎ、裂けていた皮膚が少しずつ塞がっていく。腕のねじれも緩みつつある。……治っているのだ。少女の手から発せられる光に触れた傷が、癒されていっているのだ。
やがて陽が沈み、辺りは真っ暗になる。
少女の手の光はまだ消えてはいないが、それに30分以上も触れ続けたユウヤの右腕は、すでにもとの正常な形を取り戻しつつあった。
「……ぐぁ……痛ってぇ……ッ!! また……失敗かよ、くそォ……ッ!」
そんな中、少年……ユウヤは、うずくまった姿勢のまま悔しそうに呟いた。ぎりり、という歯ぎしりとともに。
「……焦らないでユウヤさん。まだ訓練は始まったばかりでしょう?」
それに対して赤眼の少女は、隠しきれない同情・哀れみを混ぜた表情で、彼を静かに諭す。
「じょ……ジョーダンじゃないぜッ!! ユリン、俺はいつになったらこの力をまともに使えるようになるんだッ!? たった1回ブッ放すだけで腕が潰れるんだぞ!! このままじゃ俺、いつまでも……なんの役にも立たねぇじゃんか……ッ!!」
「まだ魔力のコントロールが未熟なだけです。1つ1つ、やれることを増やしていけばいいんです。悲観的になるのはいけませんよ。あなたの力は使いこなしさえすれば、誰に負けるものでもなくなるんですから……」
悲痛な吐露と、穏やかな叱咤。そこから2人の間に、しばしの沈黙が続く。
周囲も実に静かである。聞こえてくるのは、夜風に吹かれた木や草のカサカサとした音。鈴虫や蟋蟀を思わせる虫の鳴き声。
しばらくすると、ユリン、呼ばれたこの少女が、自身の手に宿っていた光を消した。どうやら治療が終わったようだ。
……ユウヤはようやくのっそりと立ち上がる。右腕を軽く動かしてその調子を確かめつつ、空を見上げる。
澄んだ空だ。たくさんの星がよく見える。一部に星々が集中しており、黒い空の中でそこだけがクリーム色に染まっていた。
綺麗だった。実に、美しかった。
「…………あぁ〜……ちくしょう…………ッ」
彼の口がぽろりと溢す。悔しさゆえか、虚しさゆえか。それは彼自身にも分からない。
しかし彼はきっと、羨ましかったのだ。誰もが美しいと褒めるであろうその夜空が。万人が認め見惚れるであろう、その夜空が。
そしてまた、惨めだったのだ。自分以外の何物をも妬むことしかできないほどに、真っ黒に煤けた自分の心が。
ため息を1つつき、彼は歩き始める。ユリンは黙ってついて行く。
足取りは重く、目つきも暗い。憂鬱であり、気力も湧かず。しかし彼は逃げられない。
現実なのだ。現実でしかヒトは生きられない。
才は限られ、時間は平等。生い立ち、環境、多種多様。癇癪上等、言い訳結構。それでも明日はやって来る。
菜藻瀬 雄弥……彼もまた、そんな明日に備えんと、足を進めていった。
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