なんで叶えてくれる願いがそこなんですか!婚約破棄を突き付けられるはずの空気がブチ壊されて、私は助かりましたけどね!
私は神に祈った。
どうか、未来に希望をと。
どうか、あの人が間違いに気付いてくれますようにと。
強く強く祈りを捧げたが、それはついに叶う事はないと、今になって思った。
浮気を許せる心の広さもなければ、上手く窘める事もできない無能な婚約者。きっと周りにはそう見えているのだろう。実際そうだ。
婚約者の居る人間が、他の者に現を抜かす。普通に考えたら有り得ないし、きつく責めたとしてそれを聞くような人間であったら、そもそも浮気などしない。そこに身分など関係はないのだ。平民だろうが王様だろうが。
幼い頃から、婚約者として決められ、そのように育ってきた。私だけではなく、あちらだってそのように教えられてきたはずだ。甘やかされて育ったわけではないのだ、お互いに。それなのに、なぜああも堕落してしまったのか?
あと1年もすれば、長かった婚約期間は終わり、結婚式が挙げられるところまできていたのに、それを覆すほどの者なのか。
話も聞いて貰えない、会おうとすると避けられる。そんな状態だから、私は神に祈るしかなかった。願いはやがて、呪いにも近い様なものに変貌していく。
私の未来が絶たれ、全てが奪われるまでのカウントダウンが迫っていた。
あの女の・・・ニヤニヤした厭らしい笑みが脳裏を過る。癪に障る・・・心の底から嫌悪する。人の大切な物を、横からかすめ取って、見下した笑みを浮かべる人間。どうしてそんな女を好きになったのか。
立場のある身分だというのに、なぜ状況判断が出来ないのか。
あんなクソ王子、常に鼻毛が一本出る呪いにでもかかればいいのよ!!!!
あのクソアマ、逆マツゲで一生苦しめばいいのよ!!!!
勿論声に出したりはしないし、神様にそれを祈ったわけでもない。
「よく来たね、待っていたよ」
すまし顔で夜会の会場で待つその男の隣には、嫌で嫌で仕方ないあの女が侍っている。時折どこかが痛むのか、目を押さえたりしている。
「そうですか、エスコートにも現れずに、待っていたとはどういう事でしょうかね、殿下」
ゆっくりと、二人に近づいていく。どうせ今から婚約が破棄される文言が放たれるのだろう。そんな言葉聞きたくない、でも逃げるのも腹が立つ。全てをかなぐり捨てて、ぶん殴りたいが、そんな事をすれば衛兵に捕まって、牢屋にポイされるだけだ。
せめて、えん罪を掛けられることもなく、私の事を棄てたら放っておいて欲しい。もう関わらないで欲しい。傷のついた令嬢になるだけで満足して欲しい。
残りの人生は、心穏やかに過ごしたいから。
目を合わせるのも、私を見る目がゴミを見る様な目だろうから、嫌だ。視線を落としながら、それでも姿勢は崩さずに、静かに歩みを進めて行く。
やがて、お互いの顔がはっきりと見える距離までやってきたとき、私は顔を上げた。
そして盛大に吹いた。
「ブフォッ!」
あまりにも盛大に吹きすぎて、むせた。きっと目の前の殿下は、いきなり吹いた私に怒り心頭だろう。チラリと私の後ろに位置する人達を見ると、いきなり吹いて咽た私を見ている人はそんなに居なくて、殿下の方を見ながら震えている。しかし怯えた表情ではなく、無を全面に押し出そうとしながら震えている。涙目になっている人もいる。
「なんだ? 気でも触れたかい? 今から自分に突き付けられる現実に耐え切れない?」
やめて、今やっと落ち着いてきたのに、追い打ちをかけないで。後ろの人も耐え切れずに背を向けて震えてるじゃない。至近距離な私もまた耐え切れなくなりそう。
やばい、今から私の人生が転落するというのに、もうそれどころではない。
「そ、そうですわね・・・ちょっと耐えられそうにありませんわ」
腹筋が。あと我慢し過ぎて涙も出そう。
「へえ、えらく殊勝な事言うようになったね? でももう手遅れだよ?」
ほんとにね。ガチのマジで手遅れだと思います。神様って本当に意地悪ね。
この殿下、顔はすこぶる良くて、金髪にアイスブルーの瞳、いかにも王子様。だからこそ余計に・・・。
「分かっています」
分かってるから早くして、逃げるように立ち去ってから、家に帰って思う存分転げ回りたい。ここから解放されたいのよ。
「痛っ」
その空気を両断するように、殿下の隣にいた女、浮気相手のシーナ・ハーヴィ男爵令嬢が声を上げた。
何かと思い、殿下を極力見ないようにシーナ嬢の方へ視線をやると、しきりに目を触っていた。
まさか。
「どうしたんだい? シーナ、目が痛いのかい?」
「先程からマツゲが目に入って、痛いのです・・・」
やっぱりぃいいいいいいいい!!!!!
ほんと、もう帰らせて! 笑うの我慢し過ぎて腹筋が、若干痙攣起こしてるの! ほんと帰らせて!
そんな内心の嵐も、表には出さずに、耐え切れなくなった涙が頬を伝う。殿下の後ろにいる方には、きっと仲睦まじい様子を見せられて、涙を流す婚約者(もうすぐ破棄される)に見えている事だろう。
耐え切れなくなったのは笑い涙なんですけれども。
「殿下、ハーヴィ男爵令嬢と今ここに居られるという事は、私達の婚約は破棄される、そうですね?」
もう、自分から言っちゃえ! 帰りたいから!
「あ、ああ・・・先に言われてしまったね、その通りだよ」
涼しい顔で、何が先に言われてしまったね、だ!
鼻毛一本はみ出しながら言うセリフじゃないわよ!
「神様は残酷だわ・・・」
なんで、叶えてくれる願いが・・・そこなんですか?
私はそれだけ言い残し、縋る事もせずに(無理)シーナ嬢に恨みの目線を向ける事もせずに(直視できない)すっと踵を返し、この場を去ろうとした。
「手続きはこちらで全て済ませておく」
「そうですか、面倒が無くていいですわ」
精一杯の強がりを見せる風に答える。これでまた別の日に手続きに向かって会った時に、一本アレが出ていたら、割とマジに耐え切れないと思う。殿下の顔を見るたびに吹き出す侯爵令嬢として、名を馳せてしまうわ。それより不敬罪で牢屋にポイされるかもしれない。
笑いを堪えすぎで出た涙をぬぐう事もせずに、私はそのまま夜会の会場を後にした。
自宅に向かう馬車の中で、声を殺しながらハチャメチャに笑った。
「普通に無理でしょあんなの・・・鼻毛が一本常に出ている王子殿下とか」
まだ立太子はしていないので、未来は分からないが、常に鼻毛が一本出ている国王陛下と、それを支える常にマツゲが目に刺さっている皇后陛下。考えただけで鼻水が出そう。笑いすぎて。
ああ、傷心旅行と銘うって、遠くへ行きたいわ。このまま領地へ引っ込んで、一生この周辺と関わらずに生きていきたい。心の平穏の為に。腹筋が痙攣を起こさないように。
私は自宅に帰り、誰も部屋に入らないようにと家の者に言い、心ゆくまで爆笑した。
翌朝目が覚めると、物凄くスッキリした。今までの心労は何だったのか、そう思えるほどにスッキリ爽快だ。あんな鼻毛と逆マツゲの為に、私の心を傷つけるのが馬鹿らしい。
自然とそう思えた。
「神様、ちょっと私の想像していたのと違う結末になりましたが、ありがとうございました」
私と一部の人の腹筋と涙腺を多少犠牲にしただけで、血を見る事もなく穏やかに婚約破棄が成されましたと。見ているかどうかはわからないが、一応は願いを叶えてもらったので、神様にお礼の祈りをしておく。
父には、婚約破棄の事を伝え、このまま王都に居れば、私は衆目の前で婚約を破棄された令嬢として、嘲笑の的になる、それは耐え切れないと訴えた。王都からなるべく遠くの領地の一部を貰い、そこで慎ましく生きていきたいと願うと、父は申し訳なさそうに了承してくれた。
王子殿下の暴走を知ってはいたものの、何の手も出せずにすまなかったと、気の済むようにしなさいと。優しい父には、感謝しているが、同時に申し訳なくもある。
父は役職柄、登城しなければならない身分。王子殿下と顔を合わす事もあるだろう。
あの鼻毛を毎日のように見ながら、笑いを堪え続けなければならないのだ。ほんとごめん。
私が領地に引き籠って、暫く経った頃、私宛に手紙が届いた。見た事もない名前だった。誰だろう? と思いながらも、中身を見てみると
あの夜会で、貴方の後ろに居た者の一人です。突然の手紙にさぞかし驚かれた事でしょう。
あれから、夜会や茶会で王子殿下がお越しになる度に、自然と鼻に目が行ってしまうようになってしまいました。そのたびに、貴方の事も思い出してしまうのです。
人伝ではありますが、現在貴方の居る場所を耳にしましたので、つい手紙を書いてしまいました。
宜しければ、今度そちらに伺っても宜しいでしょうか?
なんと、あの笑いを堪えて震えていた中の一人だったようだ。そして、鼻毛が出ているのか確認してしまう呪いにかかってしまったようだ。ププッ
なんだかんだあって、その人とは仲良くなり、偶然私の恨み節が願い事として叶えられてしまった事や、あの時の涙は笑いを堪えすぎて出てしまった事も、洗いざらいゲロってしまった。
秘密を共有した仲というのは、思いのほか愛情に発展するらしい。あれよあれよと言う間に、お互い惹かれ合って、結婚することになってしまった。
鼻毛が取り持つ仲というのは、多分私達だけなんだろう。
ちなみに抜いても、秒で生えてきます。
ブチッ
スッ