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刻まれし知識

「錬金術を極めればできるかもしれぬ。だが、こと魂の宿ったものとなると錬金術でも扱いは難しくなるぞ」

「どういうことですか?」

「さっきのようにある元素をほかの元素に変える技、変成は火、水、土、風の四つの元素にしか使えぬ。しかし、人間や植物など生命には天や邪の元素も含まれておる。これが厄介ものじゃ」

「天や邪の元素……」

「天の元素はエーテル、邪の元素はエレボスとそれぞれ呼ばれておる。まだはっきりとは解明されていない神の領域じゃ。人の手には負えぬ。エーテルとエレボスは表裏一体と考えられているが、転化させることはできぬ。それができるのは伝説にのみ名を遺す、錬金術の神ヘルメスか東方の天帝くらいのもんじゃろう」


 そういうとシンセンは人差し指を近くの巨木に向けた。指の先端がわずかに光ったかと思うと風が吹き抜けて、一枚の大きな葉が宙を舞った。

 ひらひらと落ちてくるその葉をシンセンは手に取った。錬成陣が展開され光ると大きな葉は砂となって風に流されてしまった。


「このように魂から切り離しさえすれば、錬金術も通用する。魂がない状態つまり、死にさえすれば、おぬしを土くれに変えることも水に変えることも容易いんじゃがの」


 シンセンは高らかに笑った。

 火、水、土、風、この四つの元素は、優れた錬金術師であれば、分離、統合、転換と容易く操ることが可能であるが、命宿るもの、すなわち、エーテルやエレボスが少しでも含まれていれば、途端に難易度は急上昇し、最高峰の錬金術師であるシンセンですら扱えなくなってしまう。


「そんな。じゃあ、俺の体は一生のこのまま……」

「だが、そう悲観することもないぞ。まだ道はある。あれじゃ」


 シンセンが指さした先には一本の白金の剣が突き刺さっている。

 緑色の水晶でできた石板タブラ・スラマグティナに埋め込まれていた剣だ。

 

「本来ならば不可能とされている生命を含んだものの錬成。それが昨日、実現した。その何よりの証拠がバテル、おぬしじゃ」

「確かに、俺の体は書き換えられている。一度できたってことはもう一度できるはず。あれを再現すればうまくいくかも」

 

 バテルは、そう思ったが、透明な輝きを持っていたエメラルドの石板は、その力を使い果たしたのか、白くくすんでしまっている。

 刻まれていた錬成陣も破損しており、もう一度、この石板を使って同じことを再現できそうにはない。

 

「賢者の石。錬金術師の夢。わしも千年以上生きていて本物を見たのは初めてじゃ。空想の産物かと思うたが、そこにあるのはまごうことなき本物。その賢者の石の力でおぬしの体は書き換わった」

「残りの賢者の石の数は四つ。これさえあれば、自分の体をあと四回は自由に作り直せる」


 バテルは賢者の石をなでる。つるつるとした見た目だが、肌触りは、人の肌にも似ている。そのギャップに混乱する気持ち悪い感触だ。

 賢者の石は、不可能を可能にする奇跡の結晶。しかし、その製法はなぞに包まれ、伝説上の存在とされてきた。だが、この真紅の宝石はまごうことなき、賢者の石だ。

 長年放浪の旅をしてきたシンセンでも初めて見たのは初めてだ。もしかするとこの世界にある賢者の石は、ここにある四つだけかもしれない貴重なものだと思うとバテルは手が震える。


「それだけではないぞ。わしの知る錬金術の理論が正しければ、不老不死を得ることも新しい生命を作り出すことさえできるかもしれん」

「……できる気がする」


 バテルは、白金の剣を握りしめてそう確信した。この白金の剣は初めて握ったはずなのに手になじんでいる。何十年と使い込んだ剣は手になじむというが、その比ではない。

 もとから自分の手に収まっていたかのような、自分の体の一部であるような、そんな感覚だ。

 そしておのずからその剣の名前も分かった。


「アゾット。真理の剣、アゾットだ」


 剣の名が口から滑り出すと、頭をきつく縛っていた鎖が引きちぎれたかのように片頭痛が取れた。それと同時に頭の中から錬金術に関する知識があふれ出てきた。

 シンセンが話していた元素のことも錬成陣のことも今なら事細かにわかる。

 バテルの体は、タブラ・スラマグティナに刻み込まれていた錬成陣とこのアゾットにはめ込まれていた賢者の石の力で書き換えられた。その時に錬金術の知識も一緒に刻み込まれていた。


「おい。バテル。なにをぼーっとしておる。早くタブラ・スラマグティナをわしに読んで聞かせておくれ」


 シンセンはまだ見ぬ知識に浮足立っている。

 バテルの体をおもんぱかって、昨日は素直に家に帰したが、本当は石板の内容が読みたくて夜も眠れず、叫びながら夜の森を駆け回っていた。

 百年越しの未知の解読はそれほどの喜びだ。

 しかし、バテルは、その石板に書かれた内容を理解できたからこそ、シンセンには申し訳ない気持ちでいっぱいだ。


「……シンセン師匠。あそこには師匠の知りたいようなことは書かれていません」

「どういうことじゃ……」


 シンセンはいぶかしげな表情でバテルの顔を覗き込んだ。

 知りたいことは三つ。錬金術最大の目標である黄金錬成、不老不死、生命創造だ。

 そのすべてに必要とされている賢者の石は確かにこのアゾットの柄にはまっている。

 しかし、バテルの頭に刻み込まれた錬金術の知識には賢者の石の製法も黄金錬成や不老不死についても、シンセンからさっき聞いた話以上のことは、ほとんど記述されていない。というよりは記憶には刻み込まれてはいるが意図的に封印されている。

 生命創造についても、この石板に刻まれている錬成陣を使って人体を作り替える手順はわかる。しかし、それに不可欠な賢者の石の製法も、新たな生命を作り出す方法もわからない。

 

 バテルは、ありのままに自分に今起きたことと自分が得た知識についてシンセンに話した。一通り説明し終えると、シンセンの顔は絶望にゆがみ、燃え尽きた灰のように消えてしまいそうなほどに落ち込んだ。


「百年じゃぞ。わしは百年もこのなにもない森でタブラ・スラマグティナの解読に勤しんでおった。そして百年目の今年、あれが読めるというおぬしと出会った、わしとてこれを運命だと歓喜したものよ。ゆうべは興奮して眠れなかったほどじゃ。それがこのような仕打ちとは……」


 生気をすべて吸い尽くされ干からびたように力の抜けたシンセンは、ふらふらと切り株に腰を下ろし、虚空に視線を散らし、ぶつぶつとうわ言のようにつぶやいた。


「ちょっとは知らないこともあったんじゃ……」


 シンセンのあまりの憔悴ぶりに、バテルはいたたまれなくなる。 

 百年の歳月が徒労に終わってしまったことのつらさは到底理解できるものではないが、なんとか励ましの言葉をひねり出す。


「ない」

「すこしも?」

「すこしもじゃ」

「ひとつも?」

「ないったらないんじゃ!」


 涙目でシンセンはバテルをにらみつけてくる。その罪悪感が胸に突き刺さり、バテルはたじろぐ。


「おぬしは錬金術の知識をすべて得たのじゃろう。なら、わしに習うこともなかろう。少し放っておいてくれぬか」

「それがその……。大変、言いにくいんですが、知っていることとできることは違うといいますか。その……」


 バテルは、膨大な錬金術に関する知識を手に入れたが、それをうまくつかうことはできそうにない。知識と実践ではわけが違う。錬金術に適した体を得ることができたが、それは元がいいというだけで、鍛えなければ使い物にならない。


「はあ……仕方ないのう。約束は約束じゃ。おぬしはわしがみっちり鍛え上げてやる」


 しどろもどろしているバテルの言いたいことを悟ったシンセンは、大きくため息をついた後でそういった。


「それに鍛えていけば、いずれ、おぬしの記憶の奥に隠された古代錬金術の知識を解き明かせるかもしれん」


 かろうじて精神を持ち直したシンセン師匠は嫌な思いを忘れようとするように、バテルとのトレーニングに打ち込みはじめる。一安心したバテルはここから地獄の十日間を過ごすことをまだ知らない。

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