元素
木々が、穏やかな日差しに照らされ始め、朝露に草木がまだ濡れている頃。
バテルは朝一番に起きて食事もとらずに素早く支度済ませ、いの一番にシンセン師匠のいる森に駆け込んできた。
「おはようございます。シンセン師匠」
「朝から騒がしいぞ」
まだ眠たそうな顔をした銀髪の少女、シンセンが、大あくびをしながら、どこからともなく現れる。
「おぬし。こんなに早く出てきてよかったのか。まだ夜が明けたばかりではないか。家の者が心配するじゃろう」
「うちは軍人一家、稽古に出かけるといえば文句は言われません。みんな戦場に出ずっぱりで屋敷には姉上だけしかいませんが」
バテルの家系はみな軍人だ。
クラディウス家は古い家柄でまだエルトリア帝国が小さな国だったころから戦場で名を馳せてきたらしい。常に辺境に配属されては蛮族や魔物との戦いに明け暮れていた。かくいう両親も一番上の兄も最前線に出ずっぱりで一年のほとんどを戦場で過ごしている。
「体のほうはもう大丈夫なのか?」
「はい。師匠のおかげで、この通り」
バテルは、勢いよく手を振り回して見せる。本当は昨日から片頭痛が取れないのだが、嘘をついた。
どうしても、訓練がしたい。
男子たるもの大きな力を手に入れれば、それを使ってみたくなるというもの。
バテルもまた、うずうずしていた。
「そんなに体力を持て余しているならばわしの稽古にもついていけそうじゃな」
シンセンの笑みに、またもバテルの背筋にぞくりと悪寒が走る。もしかすると、とんでもない人に稽古をお願いしてしまったのかもしれない。
しかし、バテルとてクラディウス家の男、ちょっとやそっと鍛錬で音を上げるようなことはしない。
結果にこそ結びつかなかったが、努力と忍耐だけは、だれにも負けないという自負がある。
「どんな稽古をするんですか?」
「ふむ。そうじゃな。まずは錬金術の基礎からじゃ」
「え。魔法や剣術は……」
バテルは、きょとんとして目を丸くする。
てっきり魔法や剣術の類を教えてもらえると思っていた。
人体錬成とかいう錬金術のせいで自らの体が作り替えられてしまったとシンセンに昨日、説明を受けた。魔力回路が最適化され、扱える魔力の量がけた違いになり、さらにスムーズに運用できるようになったことは実感していた。
魔力を大量に扱えるようになったということは強力な魔法を使用したり、身体能力を強化したりすることだってできるはずだ。だから魔法や剣術の訓練を期待していた。
「残念じゃが、おぬしには魔法や剣術の才能はない」
「え! そんな……だって俺は……」
バテルは、あまりの絶望に声も出ない。
自分の出自から両親や兄に及ばずとも魔法や剣術に対してある程度の才能があると思っていた。
武門の家系で、父は優れた戦士。剣術や槍術、馬術にも長ける。戦場では恐れられた存在だという。母も、平民上がりの高名な魔導士だ。戦場ではいまでも恐れられているらしい。
その息子が何の才能も有していないと見ただけで判断されるレベルのぼんくらであることは受け入れがたい事実だ。
「いや、正確にはあったかもしれないが、今はない」
「ひとかけらも?」
「ああ、木っ端みじんに粉砕されたであろうな」
「どうして……そんな」
シンセンの清々しい全面否定にバテルは視界が定まらなくなる。
「言ったじゃろう。おぬしは人体錬成で体を作り替えられた。それも錬金術に特化した体にじゃ」
シンセンが小さくため息をつく。バテルは自分が莫大な魔力を扱えるという一点のみに満足していてシンセンの言うことをしっかりと聞いていなかった。
「魔力を用いるという点では現象を引き起こす魔法も錬金術も同じじゃ。しかし、おぬしの魔力回路は常人離れしたものではあるが、できることが限られておる。古代錬金術の秘技ゆえに未知数の部分も多いが、わしの見立てでは錬金術しか使えんじゃろう」
つまりは魔法も、身体能力強化の術も使うことができない。バテルの体は、とんでもなく高性能だが、得体のしれない錬金術しか使うことのできないピーキーな体になってしまったということだ。
もはや、魔導士にも戦士にもなることは叶わない。
「錬金術しか使えないなんて。それじゃあ、なんで俺はあんな痛い思いをしたんだ。あの石板を作った奴は一体俺にどうしろって言うんだ」
「そう気を落とすな。錬金術を侮るでないぞ。今は使われておらぬだけじゃ。魔法よりも不便なところもあるが、錬金術にしかできないことも多い」
バテルは、錬金術に詳しくはないが世間で胡散臭いものだという扱いを受けているのは知っている。
父親の仕事柄、魔導士や戦士は多く見てきたが、錬金術も錬金術師も見たことも聞いたこともない。それほどまでに錬金術は世間ではマイナーで異端視されている。
錬金術だ。などと声高に叫べば、近づかないほうがいい人という扱いを世間からは受けるだろう。もし父親にしれれば、血迷うたか、クラディウス家の恥め、とバテルは首をはねられるに違いない。
「おぬしは実際に人体錬成を体験したじゃろう。あんな芸当は錬金術にしかできん」
シンセンの言う通り、バテルの体は眩い輝きとともに一瞬のうちに作り替えられてしまった。折れた骨をすぐに直してしまう神聖魔法でもそれはできない。神聖魔法はあくまでもとあった状態に体を復元するものであって、人体改造には使えない。
「なら俺でもあんなことができるのか?」
もし人体錬成がもう一度使えるのならば、魔法や剣術に特化した体に作り替えることだってできるかもしれない。
ならば、手っ取り早く錬金術を習得して、もう一度自分の体を作り替えてしまえばいい。そうすれば、最高の戦士や魔導士になることも夢ではない。バテルはそう考えた。
「たわけ。あれは錬金術でも最高峰の技じゃ。ひよっこが、おいそれと使えるものか」
「なら俺に錬金術を教えてください。早く錬金術を極めて人体錬成もできるようになりたい」
「……まあ、もともとそういう約束じゃったからな。まずは基礎から教えてやろう」
そういうとシンセンは足元に転がっている石ころを一つ、手に取った。
「この世界の神羅万象は元素というもので構成されておる」
「元素?」
この世界の人々は古くから積み重ねられてきた経験則やあいまいな魔法、神話をベースにして物事を理解している。
元素は、この世界に生まれてきてから、屋敷にある神話や魔法についての書物を相当量読んでいたバテルでも聞いたことがない概念だ。
「元素は基本的に四つ、火、水、土、風の四つからなる。四つの元素は表裏一体。本質的には同じものじゃ。少し魔力を加えてやればこの通り」
シンセンは石ころを持つ方の手に幾何学模様の錬成陣を展開した。錬成陣から放出された魔力が石ころを覆う。すると石ころは一瞬のうちに水へと変わり、シンセンのか細い指の間から流れ落ちた。
「なっ。石が水になった……」
「驚いたか。石は主に火と土の元素で構成されておる。錬成陣でその火と土の元素を、魔力を使ってちょちょいと水の元素に変えてやれば石は水になる」
バテルは思わず、目が点になる。魔法は火の玉を出せても、小石を水には変えられない。
シンセンによれば、この世界は元素というものでできていて、そのうち四つの元素は相互に転換可能。その転換にはこの世界に満ちた魔力と呼ばれるようなエネルギーを消費する。
「錬成陣を自由に使えるようになれば、俺の体も作り替えることができる」
わずかな光明が一筋見えた。