鬼の少女
「ほう。おぬし。それが読めるのか」
誰もいないはずの静かな森で、どこからともなく声が聞こえてくる。
きれいな声だ。
「誰だ?」
森に響いた美しい声の主を探してバテルは振り返る。
「ここじゃよ。ここ」
背中をつつかれ、再び向き直るとそこには少女がいた。
「うわぁ」
バテルは、音も無く現れた少女に驚いて、腰を抜かし、無様にしりもちをつく。
全くと言っていいほど気配を感じなかった。
(女の子? こんな小さい子がなんでこんなところに?)
小麦色の肌に尖った耳、鮮やかな光沢を放つ銀色の長髪は金色の髪飾りでまとめられている。横に深いスリットの入ったチャイナドレスのような白銀の服を着ている。
バテルよりも幼い見た目ながらも人間離れした艶やかな美しさだ。いや、おでこにある角のようなでっぱりを見るに人間ではないのだろう。この世界には人間以外にも多種多様な種族が住んでいる。
しかし、ここら辺では見たことのない種族だ。獣人とも違う。
それに見た目は幼くとも、バテルには年下には思えなかった。
妖精のような美しさと余裕のあるどっしりとした威厳がそう感じさせるのだろう。
実際、年上なのだろう。長命の種族であれば、少しも不思議はない。
前世の記憶のせいで、こんがらがっているが、この世界では、地球では考えられないようなことが常識として横たわっている。
「情けない声を出すな。ほら。立てるか」
「あ、ありがとう」
バテルは、差し出された少女の手を掴み起き上がる。
「うおっ」
予想だにしない力で引っ張り上げられて、思わず声が出る。
とんでもない怪力だ。少女は軽々と片手でバテルを持ちあげた。
「君は一体?」
「わしか? わしはこの森の守り神といったところかの」
「神様!」
やはり居た神様だ。
さては十二年遅れで事情を説明しに来たに違いない。バテルはそう確信する。
「くははは。おぬしは騙されやすいのう」
少女は、バテルの間抜けな顔を見て、はじけた様に笑う。
(少年の心をもてあそぶとは、悪魔に違いない)
が、彼女を一目見れば、女神を見間違えても、仕方がないとわかるだろう。
「そう落ち込むでないぞ。わしが悪いようではないか。それに守り神というのはあながち嘘ではないぞ。この森に魔物がいないのはわしのおかげじゃからな」
少女は自慢げに胸を張る。
「へえ、すごいな。じゃあ、神様じゃなきゃエルフとか?」
バテルは、北の森の奥に住んでいるといわれる耳長の種族を思い出す。しかし、北の森のエルフたちの肌は白いはず、とすると目の前の褐色肌の少女は南方に住むといわれるダークエルフなのかもしれない。
だが、少女は否定する。
「あんな高慢ちきな奴らと一緒にするな。この辺りでは何と呼ぶのか知らんが、故郷の人間たちからは鬼と呼ばれておった」
「鬼……鬼か」
なるほど、角ぐらいしか今のところ共通点が見つからないが、鬼といえば、日本の妖怪を思い出す。
さしずめ彼女は鬼娘といったところか。
「なに、同胞を知っているのか」
「いや、この世界では、初めて聞いたよ」
バテルの住むエルトリア帝国には人間、エルフ、ドワーフ、獣人など多様な種族が暮らしているが、鬼という種族は聞いたことがない。もっともバテルも実際に見た種族は一部の獣人程度で、ほとんどは知らない。
遥か東方には、中華風の国や和風の国っぽい国があると書物で読んだことがある。彼女はそこから来たのかもしれない。
「ん? この世界では、だと?」
「あ、それはそのう……」
しまったとバテルは口をつぐむ。ついうっかりと口が滑ってしまった。
この世界に生まれてこの方、一度もこの秘密を漏らしたことがないというのに。
別段、隠しているわけでもなかったが、ここまで誰にも言っていなかった以上、突き通すつもりだった。
驚いたせいか、注意力散漫になっていたらしい。
バテルは好奇心旺盛な少女に問い詰められて、すべて白状してしまった。
「なるほどのう。おぬしは転生者か。だから、あの石板の文字も読めたということか。これで委細、合点がいったわい」
少女はどうやらバテルよりも転生者に詳しいらしい。
「なに、簡単なことじゃ。わしはもともとあの石板に刻まれた文字は、異世界の言語だと思っておった。じゃが、異世界に関する記録は少なくてな。解読には難渋しておった。それをこの森で初めて見かけたしかもまだ、幼い人の子が、すんなりと呼んで見せたとなれば、それはもう転生者しかあるまいて」
「……」
「どうやら当たりのようじゃな。それにしても転生者か。くひひ。長いこと生きてきたが、見るのは初めてじゃなあ」
少女は、口元を緩ませて、バテルの周りをぐるぐると回り、品定めするように見る。
「一体どんな知識を持っているのか気になるのう。気になるのう」
おびえるバテルの目を、少女がのぞき込んできた時、一瞬、バテルは、ぞわっと背筋に悪寒が走ったのを感じた。
「解剖だけはご勘弁を!」
自然、バテルは地面に正座し、知る限り最も、へりくだった謝罪をすべく、地に足を折り曲げ、手をついて、頭を垂れていた。
「誰が解剖なぞするものか! まったく人を何だと思おておる」
少女は大きくため息をつく。