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(5)銀の仮面

              銀の仮面

                  1

 牙犬が舌を出している。

 ソルは額の汗をぬぐった。

 照りつける夏の太陽をチラリと見る。

 カリフル川岸の道なき道をくだった追跡隊はセラ街道につきあたり、盗賊たちの巣窟と噂されるウクリルの街まで残り半日の距離に迫っていた。

 しかし、強行軍のために疲労は深い。

(限界だ。一息入れるか。・・・それともウクリルまで一気に行くか)

 スピードの鈍った牙犬を見下ろして、ソルは迷っていた。

 ふと、迷う心を何かが刺した。微かな気の乱れをキャッチしたのだ。

 ソルが気配を察するのを待っていたように黒の魔法使いシュライムが背後から声をかけてきた。

「ソル様、お待ちください」

「・・・何かいるな」

「いえ、ウクリルの密偵でございます」

「そうか」

 ソルがうなずくと同時に前方の街道の脇から人影が現れた。

「あれはウクリルに潜ませた密偵の長、黒の魔法使いルークです」

 シュライムの言葉の終わらぬうちにソルは命令を発する。

「止まれ。全員右手の草地に降りて、待機」

 牙犬に乗った男たちは無言のまま、道をそれた。

 前方の人影はソルたちの動きにあわせ、黒の魔法使いらしい、地面をすべるような動きで、再び草地に降りつつ、接近する。

 黒の魔法使いルークは牙犬を降りたソルの二ジーフほど手前にやってきて跪いた。

「ラングーン城主に黒の誓いを捧げるルークと申します。直接語る無礼をお許しください」 ラングーン城主とはソル。黒の誓いとは黒の魔法使いの忠誠の証しである。ソルは初対面の自分の部下を見下ろし、答えた。

「よい。話せ」

「ありがとうございます。それでは、状況を報告いたします。まず、王女殿下はすでにウクリルから離れました」

「なに?」

 ソルの顔に険しさが宿った。問い詰めの言葉を飲み込んでルークの次の言葉を待つ。

「昨日の夕刻、商船を装ったホルの軍船にて出港されました。行く先はホルの港のようです」

「・・・」

「ご命令はソル様のご到着まで王女殿下の所在を明らかにすることでしたので、ホルの軍船には船員に変装した黒の魔法使いルギを乗り込ませました」

「・・・そうか」

 失意を懸命に隠しながらソルはウクリルの方向を見る。そして、疑問を口にした。

「何故、ホルの軍船に?」

「・・・ホルの反乱軍の人質となられたようです」

「何だと?」

 驚愕してソルは目を見開いた。

(反乱軍の人質だと? すると、イア姫はそのために攫われたのか? その陰謀に異母妹のミアや、モアブの森の盗賊が絡んでいるとなると・・・。いや、そんなことより、反乱軍を相手とするなれば、この人数では手が限られるな)

 ソルの思考に構わず、ルークは言葉を続ける。

「それから、結局は事なきを得たのですが、アライソの暗殺団と思われる部隊が、王女殿下が囚われの身となっていた舟宿を襲撃しました。会話と行動などの分析から、暗殺団の目的は王女殿下の救出ではなく、殺害にあったと思われます」

「・・・何? その事、間違いないか?」

 ソルの問いに無言で答え、ルークは先を急ぐ。

「・・・結局、一足早く、王女は舟宿からホルの軍船に移られてしまい、無事だったのですが、アライソ暗殺団は現在、この先、四十タヤハほどのところで、ソル様を待ち伏せしております」

「待ち伏せ?」

「ソル様のお命を狙ってのことかと」

「・・・そうか」

 ソルははっきりと一つの構図を思い描くことができた。

(異母妹のミアを唆した貴族・・・アライソの、メモール様が、黒幕なのか。あの人がそこまで王座にこだわるとは。しかし)

 ソルの頭の中の構図に影がさした。

(何か、もう一つ要素がかけている。ミアがイア姫を殺し損なったことで、アライソ暗殺団を差し向けたことは分かるが、ホルの反乱軍とのつながりは・・・ホルの反乱軍のバックにもメモール様が絡んでいたのならば・・・アライソの暗殺団が来る意味はない。しかも、誘拐の目的がイア姫を反乱軍の人質とすることならば・・・妙だな。そこが矛盾している。もう一つ、裏がある)

「アライソの暗殺団はおよそ五〇人の牙犬部隊です。危険と感じ、ここでソル様の到着をお待ちしていました」

 黒の魔法使いはそれだけを言い足すと口を閉じた。

 ソルはやや混乱した気分を感じながら、右に控えるシュライムを見た。

「メモール様が、つまり、第4王位継承者として、第3王位継承者ソル様と第1王位継承者の王女殿下を狙ったとなると、第2王位継承者のタル大公様の身にも危険が及ぶかと」 シュライムの言葉にソルは意表をつかれた。

(兄上か。兄上のことなど考えてもいなかったな。・・・いや、無意識に兄上の死を。私は願っているのか)  

 ソルは心の中の暗い側面から目をそらしながら、答えた。

「そうだな。兄上の黒の魔法使いに海鳩を飛ばして、一言注意申し上げてくれ」

 それから、ソルは左に控えるラダルトを見た。

「王女殿下を追うにはどうすればよい?」

「まずはアライソ暗殺団をかわさねばなりますまい。少々、時間を要しますが、裏道より、直接、ウクリルの城に参り、ウクリルの軍船を借り受けるという方法があります」

「そうだな。牙犬たちも、お前たちもそろそろ限界だな」

「いや、それよりもソル様のお体が・・・」

「ラダルト、兄上のようなことを申すな。とにかく、そうしよう。裏道からウクリルの城へ・・・。それから、ラングーンの城からも軍船を出させよう。もはや、この人数では手に負えぬ。クーキーの部隊に出動命令を出せ、城の守りはエドモンドにまかせる。シュライム、連絡を頼む」

「かしこまりました」

「ルーク、お前の部下たちは?」

「半数はウクリルの町に残し、半数は近くに潜ませております」

「よし、それでは、お前は部下とともにシュライムの指揮下に入り、すまぬが、ウクリルの城まで私を護衛してくれ」

「思し召しのままに」

 二人の黒の魔法使いが《静かな声》で打ち合わせを始める間にソルは牙犬にまたがった。「ラダルト、先導しろ。タロス、道を替える。私についてこい」

 イアの牙犬タロスは了解を示し、ウォンッと短く吠えた。

 追跡隊の立場は一変し、追われるものとなる。

                   2   

 黒装束の男たちは暑さをものともしない、忍耐強さでウクリルの町近いセラ街道の脇に身を潜ませていた。街道の両側を円陣で包んでいるのだ。

 伝統あるアライソ暗殺団の一員として、彼らは十分な資質を持ち、苛酷な訓練で鍛えられている。

 アライソ暗殺団の五人の指揮官の一人、フリテイト・ナタール男爵もまた、五二人の部下たちと同じように草むらに息を潜めている。昨日、アクアポリーの短剣で肩を負傷し、かなりの痛みがあるはずなのだか、顔には何の表情もない。

 横には伏せの姿勢をとる牙犬ガロンがやはり獲物を待っていた。

 牙犬ガロンの耳がピクリと動いた。

 町に近いとはいえ、街道の人通りは絶えている。昼間はウクリルの町が眠りの時を過ごしているためだ。

 それでも時折、旅人は通過する。

 牙犬の動きを悟り、街道を窺ったナタール男爵は人影を発見することはできなかった。 不審に眉をひそめた刹那、背後に気配を感じる。

 ナタール男爵は背負った戦斧の固定紐をすっと解いた。

「お待ちなされい」

 声がナタール男爵の次の動きを封じた。

「・・・その声はワイトーか」

 ナタール男爵は緊張を解きながら、ゆっくりと背後を振り返った。

「いかにも」

 嗄れた男の声が答える。

 草むらの中にナタール男爵が見たものは一つの仮面だった。

 銀の仮面である。目と口は三日月の空洞で、鼻はない。仮面の表情が示すものは笑いであり、夢悪魔エクロンの顔に似せたという者もいる。

 銀の仮面をかぶった者は灰色の魔法使いのローブを身につけている。

 ワイトーと呼ばれた男は銀の魔法使いだった。

「ふん、相変わらず、薄っ気味の悪い奴だ。アライソ暗殺団の包囲陣を苦もなく、抜けてきおったか」

 ナタールの顔には苦みと恐れがかすかに入り交じっていた。

「私も銀の魔法使いのはしくれなれば」

「何の用だ。お前のくそったれな情報のおかげで王女殿下はとりにがしたぞ」

 ナタール男爵の口調には王族の暗殺をはばかる様子がない。アライソ暗殺団の忠誠はリンシードの第三分家であるアライソ家の当主に捧げられている。彼らはリンシード王国の兵ではなく、アライソ家の私兵なのだ。アライソ家の闇の歴史の中で、数多くの王族をその手にかけたアライソ暗殺団のメンバーは幼時より暗殺の教えをたたきこまれている。アライソ家主の命令あれば、たとえ王帝であろうとも葬り去る覚悟がある。

「黒の魔法使いの中にもなかなかに目のきく者がありますれば。今もまた、男爵様に待ちぼうけを食わそうとしております」

「何?」

「ウクリルにもぐりこんでいた、ラングーンの水鼠のやからが男爵様の待ち伏せを知らせたようです。ソル・シニャック様は脇道にそれました」

「・・・この炎天下で待つのはあきあきしていたところだ。それもよかろう。どうせ、ソル様はウクリルの城に向かうのであろう」

「おそらく」

「それならば、こちらも待ち伏せる場所を変えるまでだ」

 ナタール男爵は立ち上がり、号令をかけた。

 草むらから突如として黒い牙犬軍団が現れた。黒装束の男たちと同様に牙犬の色もすべて黒狼を思わせる漆黒で統一されている。

「さて、今度こそ、目標に会わせてもらえような」

 ナタール男爵は皮肉な目付きで銀の魔法使いワイトーを見下ろした。

「私の可愛いものたちが足止めをいたしますゆえ」

 銀の仮面の奥で感情の示さない嗄れた声が答えた。

                  3

 側道の両側には田園が広がっている。

 民家が見え隠れするのどかな光景だ。

 たまに道行く農夫がソルたちの牙犬の走る様をものめずらしげに見る。

「しかし、メモール様が私の命を狙うとはな」

 ソルは牙犬をならべていたラダンテにボソリと言う。

「メモール様がその気になられたのは、やはり王女殿下とタル大公様のご結婚のためでしょう。お二人に子供ができればメモール様の王位継承権はあってなきに等しいものになりますから。それにメモール様は王女殿下を軽んじられているところがありましたから」

「王女殿下は側室の生まれだからか。あの気位の高いメモール様ならそうだろうな。王女殿下の母上を正統と認めないというわけか・・・ラダンテは王女殿下の母上を知っているだろう。どのような方だったのか」

「お美しい方でした。王女殿下は日ごとにあの方に似てこられます」

「・・・私はときどき不思議に思うよ。お前や、亡き父上、そして王帝陛下が、私のように若く、浮かれたり、恋をしたりな。そんな時代があったかと思うと。・・・ラダルト、お前はどうしてその年まで独り身なのだ?」

「・・・」

「どうした。気を悪くしたか」

 側道の両側には田園が広がっている。

 民家が見え隠れするのどかな光景だ。

 たまに道行く農夫がソルたちの牙犬の走る様をものめずらしげに見る。

「この老いぼれも若いころにはやはり人並みに女と将来を誓いましたぞ。しかし、その女は病で死にました。その女の面影を忘れようとするうちに・・・老いぼれたのです」

「・・・悪いことを聞いたな」

「いえ、この年になればすべてはよい思い出です。思い出すことは悪くありません」

「そういうものか」

 側道の両側には田園が広がっている。

 民家が見え隠れするのどかな光景だ。

 たまに道行く農夫がソルたちの牙犬の走る様をものめずらしげに見る。

「妙だな」

「は?」

「さっきから同じ景色を見ているような気がする。それにあの農夫たち。あれらには気配が感じられぬ。そうだ。農夫たちも景色と同じだ。くりかえし同じ農夫の顔を。・・・シュライム!」

 シュライムはソルの真後ろにいた。

「ソル様。どうやら魔法をかけられました」

「やはり、そうか」

「銀の魔法、それもかなり高度の術です。鏡の法かと。空間がどこかで閉じているようです」

「なんとかしろ」

「術者の位置をさぐっております。できますれば一度お止まりください」

 ソルは頷くと停止の合図を出した。 

 シュライムはすでにうつむき、気を集中させている。

 ふと顔をあげると右を見る。

「ソル様、右手のテリトの木をごらんください」

「あそこか」

「あの根本に」

「バロイカ、聞いたか。あのテリトの木に手裏剣を投げてみろ」

 ソルの命令が終わると同時に前にいたバロイカは手裏剣を投げた。

「ウッギーッ」

 テリトの木の根本からかん高い声が聞こえる。

 その瞬間、テリトの木は消え失せた。

 テリトの木だけではない。ソルたちの見ていた景色そのものが微妙に姿を変える。

 それは相変わらず田園風景ではあったが、さきほどまでの地形とは明らかに違っている。たった今まで、ソルたちは幻をみせられていたのだった。

 テリトの木のあった場所には異形の者が立っていた。

「化けもんだ」

 バロイカが叫んだ。

 たしかにそれは人の形はしていたが、しかし、目もなく、口もなく、全身はぬるぬるした緑色のアメーバ状で、プルプルと身をゆらしている。

「何だ」

 ソルの問いにシュライムが答える。

「おそらく使い魔の一種です。見るのは初めてですが。エクロン・スランという物かと。銀の魔法使いが使う魔物です」

「か、囲まれてますぜ」

 叫んだのは元盗賊、死神ダックルだった。

 ソルが周囲を見ると、たしかに前後左右に人の形をしたスライムが数十匹出現している。 そして、ゆっくりと包囲の輪を縮め始めた。

「ターッ」

 バロイカが気合をかけて、もう一度手裏剣を撃った。

 魔物エクロン・スランの一匹に命中した手裏剣は、しかし、音もなく怪物の体内に飲み込まれてしまった。不気味なモンスターはひるむ様子もない。

「うわ、こりゃ。武器はきかねえんじゃねえか」

 ダックルが怪物の様子を見て叫んだ。

 バロイカが不審そうにつぶやく。

「しかし、さっきは手裏剣で」

「さっき倒したのは別の奴だ」

 ソルが言った。

「よくみろ、死骸があるだろう」

 幻のテリトの木のあった地面には小さな体が横たわっていた。

 人間のようでもあったが、その背中には昆虫の羽根がはえていた。

 シュライムが興味深い声で言う。

「魔法をかけていたのはあやつです。あれもまた銀の魔法使いの使い魔で昆虫妖精の一種でしょう。魔法を使うとは珍しい。しかも銀の魔法を使うとは」

「そんなことより、ソル様、あいつら来ますぜ」

 ダックルが叫んだ。

「お、俺はああいうぬるぬるねとねとしたものは苦手なんでさあ」

 ダックルは情けない声を出した。

「うわっ」

 一番外側にいたチップが剣をふるったが、剣は魔物にからみとられてしまったようだ。 口を開けたチップが自分の剣を飲み込みつつある怪物を見つめていた。

 恐怖にかられたチップの牙犬が飛んで逃げる。

「みんな、集まれ、身を寄せるんだ」

 ソルの命令で部下たちは包囲の輪の中心に集合した。

「シュライム、奴らには武器は効かないようだ。熱をためしてみよう。火をおこせ」

「かしこまりました」

 黒の魔法使いは松明をとりだした。一振りすると炎が燃え上がる。

「みんな、松明を出せ、火種をシュライムからもらえ」

 言いながらソルはシュライムの松明から自分の松明に火を移す。

 ソルは松明をかざすと牙犬に命じた。

「行け、エス! 道の中央の奴だ」

 牙犬はソルを乗せたまま、走り出す。

 みるみるうちにモンスターとソルの距離はつまる。

 ソルは松明を怪物の体に突き出した。

「アエーン」

 怪物が叫び声をあげる。ジュッと焦げる音がして、炎が怪物の体に燃え移った。

「アエーン」

 魔物エクロン・スランは火だるまと化して、ソルにとびかかった。

 牙犬エスが飛んでかわす。

 かわされたエクロン・スランはそのまま、倒れ伏し、燃えながらのたうつ。

 やがて、動きを止める。

「よし、やれるぞ。みんな、私に続け、突破するぞ」

 松明を片手に男たちはモンスターの群れに突入した。

 その瞬間。

「うわっ!」

 ダックルが叫んだ。

 ソルは振り返り、息を飲む。

 視界は緑色に染まっていた。

 しかも、前後左右、ぐるりと。

 見渡す限り、エクロン・スランが群れをなしている。

「ど、どこに潜んでいやがったんだ」

 バロイカが絶望を顔に浮かべて言った。

 エクロン・スランはユラユラとうねりながら接近を開始する。

 チップが松明を使い、一匹が燃え上がった。その火が周囲のエクロン・スランに燃え移る。ほんの一瞬で火の手は輪になり、ソルたちのまわりを包んでいた。

「キャオン!」

 牙犬の一頭が悲鳴をあげる。

 動きを止めたチップに炎の中からエクロン・スランの一匹がおどりかかっていた。チップの全身が牙犬もろとも緑色のスライムに飲み込まれる。

「チップ」

「いかん、窒息させる気だ」

 ソルは牙犬から飛び降りた。

「ソル様」

 ラダンテが後を追う。

 ソルは倒れたチップの顔面を覆うエクロン・スランに手を突っ込んだ。

「くそ」

 エクロン・スランの体はすでに人の形からは離れ、チップの上半身に密集している。そのゼリー状の体をソルはひきちぎる。

「ソル様、危険です」

 すでにエクロン・スランはチップの体に侵入を開始している。口から鼻から、エクロン・スランはチップの体内に潜り込む。チップの顔が苦悶に歪む。

「チップ」

 炎の中から、また一匹のエクロン・スランが飛び出して、ソルを狙う。

 ラダルトの松明がエクロン・スランを押し戻す。

 ソルは必死にチップの顔から、エクロン・スランを取り除こうとしていた。が、ふいにチップの体が力を失う。ほとんど同時にチップの牙犬の息も絶える。

 ソルがチップの体を抱く。

「チップ!」

 ソルの背後へ怪物が一匹、接近するのを見てラダルトが叫ぶ。

「ソル様をお守りしろ」

 バロイカが松明を振りかざす。

「ターッ」

「アエーン」

 ラダルトとバロイカはそれぞれ一匹のエクロン・スランを松明でしとめる。

「きりがねえや」

「それにこのままじゃ、火につつまれるぞ」

 燃え上がるエクロン・スランの死骸は凄まじい熱気を放っている。

 ソルたちが一匹倒すごとに火の輪は縮まり、ソルたちの逃げ場は失われていく。

「あわてるな」

「ソル様?」

「これは異様すぎる。シュライム」

「お待ちください、先程から、探っています」

「みんな、接近する奴にだけ注意しろ」

「・・・?」

「こいつらほとんど幻覚だ」

 その時、ソルたちの頬をなぶっていた熱気がやわらいだ。

「あっ」

 周囲を包んでいた炎とエクロン・スランの群れがたちどころに消え去る。

 残るのは数匹のエクロン・スランとソルたちに燃やされた何匹かの燻る死骸だけ。

 その向こうで黒の魔法使いルークが人の子供くらいの大きさの昆虫妖精の首をしめあげている。

「ちくしょう。また目眩ましだったのか」

 バロイカが怒りをあらわにしながら、残りのエクロン・スランにとびかかった。

「よくもチップをやってくれたな。この化け物ども」

 数タクの間に生き残っていたエクロン・スランはバロイカによってすべて退治された。 ソルが牙犬にまたがりながら言う。

「ルーク、助かったぞ」

「ソル様、南より、アライソ暗殺団が接近しております」

「む」

 ラダルトが進み出た。

「シュライム、ソル様とともにウクリルに向かえ。ここは残りの者でくいとめる」

「それはならぬ」

「ソル様」

「私とシュライムが抜けたのでは、お前たちは全滅だ。こうなればここで戦おう」

「ソル様、アライソ暗殺団を甘く見てはなりませぬ」

「だめだ。そら、もう来たぞ」

 ラダルトはソルの示す方を見た。

 南の丘を越えて、黒い牙犬の群れが姿を見せた。その距離はすでに五百ジーフもなかった。

「おのれ。シュライム、バロイカ、ソル様の両側を守れ」

 ラダルトは叫ぶと牙犬を数歩進めた。

「待て、待て、アライソの方々」

 ラダルトは長剣を引き抜いて構えながら、大声をあげる。

「お待ちあれい。無礼はならぬぞ」

「止まれ!」

 牙犬部隊の中で号令がかかった。ラダルトの声を無視して接近していた五十頭以上の黒い牙犬がピタリと止まった。

 中央から、黒い戦斧を手にさげた牙犬武者が前に出る。

「ラダルト殿か」

「その声はナタール男爵とお見受けする」

「いかにも」

 ナタール男爵は黒覆面をグイとさげて素顔を見せた。

 アライソ伝統の青いタトゥーがその顔をくまどっている。

「ラダルト殿、久しいのう」

「ザドの怪物狩り以来と記憶する」

「そうなりますか」

「ナタール男爵、この振る舞いは何故あってのことか」

「ラダルト殿、そしてソル様の前であっては隠し立てもなりますまい。主命あって、ソル様のお命を頂戴しにあがりました」

「ソル様はおそれおおくも王位第三継承者。その言葉はリンシード王家に弓引くことになりますぞ」

「ラダルト殿、それはもっともなれど、我が剣はアライソ家に捧げられるものゆえ、許されい」

「ならば、俺の命もソル様に捧げるもの、こちらは多勢に無勢じゃ。ナタール男爵、このラダルトと一騎打ちで決せんか」

「ふうむ、かっては若輩の私など、ラダルト殿の敵ではありませなんだが、もはや、貴殿も寄る年波、無理を承知の申し出か」

「ぬかしたな、ナタール。老いたかどうか、この剣を受けよ」

 ラダルトは牙犬の腹を蹴り、一直線にナタールに向かって突き進んだ。

 成り行きをじっと見ていたソルが言う。

「ラダルトめ、勝手に一人決めしているな」

「本当に年寄りの冷や水ですよ」

「バロイカ、ラダルトが危なくなったら、加勢しろ。ダックル、お前は無理するな。シュライムと後方にさがっておれ。行くぞ、バロイカ」

「承知」

 それぞれの牙犬の鞍上でソルとバロイカは剣を構え、ラダルトの後を追った。さらに牙犬タロスが続く。

 その瞬間、ラダルトの第一撃がふりおろされ、ナタールは黒い戦斧でそれを受けた。

 ソルとバロイカの動きにつられ、アライソ暗殺団も走り出す。

 元盗賊のダックルもあわててソルの後を追おうとしてシュライムに止められた。

「待て、ソル様の指示に従え」

「しかし」

「お前がいってもかえって足手まといだ」

「・・・」

「見ているがいい。ラダルト殿もバロイカも並の使い手ではない。そして、ソル様は剣の天才だ」

 ウクリルののどかな田園風景は一瞬にして修羅場と化した。

「オンッ!」

 牙犬が苦悶の叫びをあげる。

 どこからか、矢が飛んできてアライソ暗殺団の黒い牙犬の目を射抜いたのだ。

「オオーン!」

 また一本の矢が飛来し、乗り手もろとも黒い牙犬が倒れた。

 暗殺団の囲みの外側から、ルーク配下の黒の魔法使いたちが弓を射る。

 暗殺団は二手に分かれ、弓手とソルに対した。

 一方。

 キキン。キーン。

 ラダルトとナタール男爵は牙犬を止めて、剣と戦斧を打ちあわせている。

 両者の実力は伯仲していた。

 無言で剣を合わせるラダルトの耳に聞き馴染んだ気合が飛び込む。

「おうりゃ」

 ラダルトの左に進出したバロイカが最初の敵を血まつりにあげた。バロイカの長剣がアライソ暗殺団の一人を牙犬ごと真っ二つにする。

「さあて、次はだれだい」

 強敵と知ったアライソ暗殺団はバロイカを遠巻きにした。バロイカはラダルトとナタール男爵の死闘を背負う形で敵に対する。

 ラダルトの右手ではソルが二頭の牙犬武者にはさまれていた。

 二人の黒い牙犬武者は黒い槍を突き出した。

 両側から交差した槍がソルの体をつらぬいたと見えた瞬間、牙犬エスの背中から、ソルの姿は消えている。

 チャリーン。

 目標を失った槍がぶつかって音をたてた。

 虚をつかれた黒武者が視線をさまよわす。

 空中を跳んだソルはまず、一人の首をはね、首なし武者の乗っている牙犬の背を蹴って、もう一度宙を飛び、もう一人の黒武者に剣を振り下ろす。

「ぐふっ」

 二人の牙犬武者が牙犬から転がり落ちた時、ソルはすでに牙犬エスの背中に戻り、次の相手へと向かって行く。

「す、すげえ。神業だ」

 遠巻きにソルの動きを見ていたダックルが感嘆した。

「ソル様は天才だといったろう」

「あれなら、わざわざ道を替えなくてもよかったじゃありませんか」

「ソル様は無用な殺生をお好みではない。そのためにお前だって命びろいしたろう?」

「なるほど」

「それにいかに天才といえども真剣勝負となれば間違いもおこるからな」

 勝負の行方を見守る二人の遠方でボンッと目潰しのはじける音がする。

 牙犬武者の接近を許した黒の魔法使いが投げ付けたものだ。

 しかし、接近すれば黒の魔法使いは牙犬武者の敵ではない。

「グアッ」

 ソル側に最初の犠牲者が出た。

 だが、その時には牙犬武者の数は半減していた。 

 ソルとバロイカのまわりには黒い死体が点々としている。

 ガキッ。キシーン。

 ラダルトとナタール男爵の打ち合いはなおも続いていた。

 二人とも、さすがに息は乱れ、汗がしたたり落ちる。

 お互いが必殺の一撃を繰り出し、共にかわした、つかの間。

「さすがはラダルト殿。見事だ」

「ナタール、お主、肩を負傷しておるな。それで俺とここまでやるとは腕をあげたな」

「見抜かれたか」

「どうじゃ、引くがいい。お主の部下も半数はうたれたぞ」

「そうはいかん。名乗りをあげてソル様のお命を狙った以上、やるか、やられるかだ」

「残念じゃのう」

「しかし、ラダルト殿の主様はおそろしいほどの使い手だな」

「我が誇りよ」

「うむ。せめてアライソ暗殺団も二部隊で来るべきだった。相手をみくびったわ」

「・・・ナタール男爵、わが戦の友よ。さらばじゃ」

「おう」

 ラダンテとナタール男爵は擦れ違い、戦斧が宙を舞った。

 ナタール男爵の胸にラダンテの剣が深々と突き刺さっている。

「・・・アライソに、栄光あれ」

 ナタール男爵は血煙をあげ牙犬の背中から落ちた。 

 それがアライソ暗殺団四天王の一人、フリテイト・ナタールの最後だった。

                  4

 村人が死体を集めている。

 黒装束の男たちは最後の一人まで果敢に戦い息絶えていた。

 ソルの姿はない。すでにウクリルの城へと向かっているのだろう。

 灰色のローブを着た男が二人、牙犬に乗って通り過ぎて行く。

 老人と若者だった。

「全滅とは驚きましたね。ワイトー様」

「おそるべき若者だな。あのラングーンの城主は。ナタール男爵の部隊をひとひねりだ。それに、黒の魔法使いたちを巧みに使いおる」

 二人の会話は《静かな声》で交わされている。

「しかし、黒の魔法使いにスリクスの銀の魔法が通じないなんて」

「タイルよ、黒の魔法をあなどってはいかん。黒の魔法はすべての魔法の基礎であるゆえに、すべての魔法に通じているのだ。あのシュライムという男、タリオンの弟子と聞いていたが、魔物の気を読むとは油断ならん。ソル様に銀の仮面の夢が効かぬのも、何か対策を講じておるのじゃろう」

「銀の仮面が効かない?」

「うむ。それゆえに暗殺団での力押しに出たのだが」

「すると、シニャック家にもなんらかの銀の器があるのでしょうか」

「シニャック家とてリンシードの一門、アライソ家にあるものがあったとして不思議ではない。ただし、銀の魔物たちの養育に関してはアライソ家に伝統があるがな」

「・・・エクロン・スランはまだしも、スリクスを二匹も殺されて惜しいことをしましたね。昆虫妖精は育てるのに手間がかかりますから」

「仕方あるまい。相手の実力がわかっただけでもよい。ラングーンの城主は予想以上に強敵だったということだ」

「しかし、こうなってはただではすみますまい」

「その通りだ。もはや、単なる王位継承の問題ではない」

「・・・?」

「戦争だ。メモール様はリンシード王家と対立なされた」

「しかし、メモール様は王帝陛下の妹君ではありませぬか」

「だから、なのだ。シニャック家に王帝系譜が移るのに我慢できんのじゃ」

「けれど、それでは」

「滅びるかも知れぬな」

「アライソ家が滅びると」

「そう。いや、滅びるのは王家かも知れぬが。どちらにしろ、内乱だ」

「リンシードが滅びるなどとは考えたこともありませんでした」

「人は必ず死ぬ。その人の作ったものが滅びないという道理があるはずもない。それが宿命というものだ。・・・ただ」

「ただ?」

「どうも何者かが、こういう状況を作り出しているような気がしてならぬ」

「それは我々なのではないのですか?」

「そう。そのつもりだった。しかし、我々の思惑は裏切られ、実際は暗殺に失敗した。王女様も生きているし、ソル様もな。病弱と噂の高いのソル様があの強さだ。銀の仮面の魔法で操作していたはずのウクリル盗賊団の首領も不可解な動きを見せた。我々の予想を越えた何かが、変化に向かって動いているように思えてならぬ」

「それは神ということでしょうか」

「・・・魔かもしれぬぞ」

 若者は思わず老人の顔を見た。しかし、灰色のフードの下の暗がりにはどんな表情もみつけられなかった。

 いつの間にか、老人は銀の仮面を装着していた。

 それから、二人の銀の魔法使いはソルの後を追い、ウクリルの城へ向かっていった。


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