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(4)ウクリルの雷鳴

         ウクリルの雷鳴

                1

 リンシード大山脈より流れ、セラ海にそそぐカリフル川は、ウクリルで北カリフル、南カリフルの二筋に別れ、一方はマーオーから、ラングーンへ。もう一方はそのままセラ海へと通じる。

 カリフル川の分岐点、肥沃な農耕地ウクリルは城主に恵まれぬ町であった。

 五十年ほど前に統治していたベル・ウクリル・リンシードが病死して以来、リンシード王の直轄地となっていたが、派遣される王の代官はすべて無能か、強欲の者だった。無能の者は無法者を野放しにし、強欲の者は無法者と組んで私腹を肥やした。その結果、弱者は土地を奪われ、ある者は奴隷となり、ある者は放浪者となった。

 貧しさに喘ぐ農民と大地主。賄賂に眩んだ役人と悪徳に溺れる市民。

 それがウクリルの町で暮らす人々の実態である。

 かって、町を追われ、森の盗賊となった者どもが、闇取引の拠点として、町に隠れ家を持つようになるほど、ウクリルの治安は乱れていた。

 だが、その悪徳ゆえに町は活況を呈していた。

 暗い輝きを慕い、セラ街道の区々から悪党たちが集い、彼らに享楽を商う者が集った。 そして、ウクリルのダウンタウンはセラ街道一の暗黒街に成長した。

 太陽のある間、人々は休み、夕暮れとともに起き出す。酒を飲み、ギャンブルをし、男も女も春を売り、商人は禁制品を売り買いし、魔法使いは沈黙の掟を破って呪いと占いに精を出す。夜明まで人々の嬌声の止むことのない・・・闇の中で眠らない街。

 それがウクリルだった。

 聖牛の月、王都リンシードより一月早く、ウクリルはすでに夏の季節にある。

 早朝、ようやく睡魔におそわれた人々が、ねぐらを求めて、酒の匂いの立ち込める街角をさまようころ。

 ウクリルの街外れ、南カリフル川の岸辺に野宿する二人の物乞いの者があった。

 一人は横になり眠り、一人は膝をかかえて川面に視線をそそいでいる。

 どちらも汚れた衣に汚れた顔。すべてを失い、人生から逃れたような男。

 突然、起きている男の目が光った。

 手を伸ばし、眠っている男の体を揺する。その指先は覚醒のツボを正確にとらえている。 見る者が見れば黒の魔法の初歩のテクニックと分かる仕草だ。

 眠っている男はスイッチが入ったようにパチリと目を開けた。

「・・・なんだ。もう交替の時間か」

 眠っていた男は《静かな声》で聞く。その声は無言に限りなく近い音声で、やはり黒の   

魔法の一つだった。

「いや、・・・それらしいのが来た」

 起きていた男がやはり《静かな声》で応じると、眠っていた男は身を起こし、川を見る。 二人の目の前を一艘の川船が上流からウクリルの街へ進んでいる。

「大きさといい、時間といい、ちょうどのようだ」

「ふむ。あれがアクアポリーの川船か」

「どうやら、ダルムの舟宿の持ち船のようだ」

「そうか、ダルムの舟宿がやつらの隠れ家とは知らなかったな」

「ふふふ。この町のことは、どのような黒の魔法の達人でさえも、すべてお見通しってわけにはいかないさ」

「まあ、あの宿には盗賊がからんでいるとは思っていたがね。・・・ダルムの舟宿ならば、川から直接、宿に入ることができる。闇取引にはうってつけだ」

「・・・どうする?」

「あの船に王女様が乗っていると決まったわけではないが、とにかく船をつけてみよう。そして町の誰か・・・クリークとユミがいいかな。奴らにダルムの舟宿に忍びこませる。しけこむにはいい時間だろ」

「うむ。もしもアクアポリーの一味だと確認が取れたら、ルギ様にはお前から」

「分かった」

 物乞いの者の一人は立ち上がるとぶらぶらとウクリルの町へと歩き始めた。


 王女は黒い布が檻から外された時、少なからずガッカリした。

 川船から、ウクリルの城の塔らしきものがはるか彼方に見えた時、王女の視界をさえぎった黒い布。次にこの目隠しが外される時にはウクリルの町の光景が目に飛び込んで来るだろう、と考えていた王女の目に映ったものは汚れた板壁だった。

 板塀に囲まれた桟橋に船は停泊していた。

 そして、その板壁の前にはモアブの森の盗賊アクアポリーが立っていた。

 イア姫は爆発しそうな会話への欲求を宥めながら盗賊に問いかけた。

「ここはどこ?」

「俺の隠れ家の一つさ」

「ウクリルの町の中なの?」

「ウクリルでもっともヤバイって噂の黒龍通りのはずれだよ」

「黒龍通り?」

「ウクリルの五つの大通りの一つですよ」

「そんな町の中へ連れてきたら、私はすぐに誰か・・・見回りの役人とかに発見してもらえるのじゃないかしら」

「・・・ハハハ。このあたりには役人どころか城の兵士だってめったに近づきゃしませんよ。それに王女様には申し訳ないが、このまま、お部屋に入っていただきますからね」

「お部屋?」

「ま、地下牢ってやつです」

 王女の檻がふわりと浮いた。盗賊たちが船から、屋根つきの桟橋へ、さらに階下へ続く階段へと檻を移動させる間、王女は唇を咬んでじっとしていた。

 やがて、天井から吊されたランプの明かりだけが暗がりに灯る、ジメジメとした陰気な地下室の片隅に造られた、鉄格子の牢獄が目に入ると、イア姫は軽く、絶望の溜め息をついた。

 檻の鍵が開けられ、牢の鍵が開けられた。

 二つの鉄格子の扉が開く。

 檻から牢へ渡る三歩の空間、王女の両側に盗賊がいる。

 右側の一人の腰にさげた剣にイア姫は視線をそそぎ、そして手を伸ばしかけた。その手は背後からグッとつかまれた。

「油断のならないお姫様だ」

 背中でアクアポリーの声がした。王女はかなりの力で突き飛ばされ、よろめきながら牢の中に入った。イア姫が振り返るよりも早く牢の鍵は閉じられた。鉄格子の扉の向こう側にはアクアポリーが不敵な笑いを浮かべている。

 王女は怒りの中で言葉を探し、ようやく今まで知ってはいるが使ったことのない言葉を思い出した。

「つまり、こういう人に向かって言うべきなのだわ。・・・この無礼者!」

 アクアポリーは王女を見て高らかに笑った。

「・・・それでは王女様、あなたの買い主が現れるまで、しばらくお休みください」

 そして、アクアポリーと盗賊たちは見張りも残さずに階段を昇り去っていった。

 地下牢に一人残された王女はようやく辺りを見回した。

(・・・狭いわ)

 地下牢には窓もなく、ベッドもなく、イスもなかった。正面は鉄格子、残りの三方は石壁。鉄格子の向こうにあるランプは今にも消えそうだった。

 天井も床も石造りで、湿り気を帯びている。

 キュッ、キュッ、キキュッ。

 どこかで水鼠の鳴き声が聞こえた。

 ブルッと身を震わせ、王女はしばらく、立ちすくんでいた。

                  2

 日は昇り、ウクリルの町は眠りの時を迎えていた。

 黒龍通りのはずれにある居酒屋『ジクハリッド』の扉も閉ざされていた。

 しかし、広いとは言えぬ店の中には数人の男女が一つしかない大テーブルに顔を寄せあって着席している。

 流れ者の賭博師といった風情の男が《静かな声》で言った。

「・・・確かに何かを地下に運び入れたようだ」

「王女と見て、いいだろう」

 そう言ったのは川岸にいた物乞いの男だった。船を追いかけていった方の男である。

「一応、没落者のグルトを見張りに残してあるが、それらしいのはあれきりだ」

「吟遊詩人のホランと酒場女のユミがダルムの舟宿に部屋を取った。二人ともダルムとは顔馴染みなので、別に怪しまれた様子はない」

「・・・ユミからの報告じゃ、地下室に食事が運ばれたそうよ。それに女物の衣装とお湯もね。たぶん王女様はいる。・・・地下室の階段に見張りが二人いるだけで、すぐにでも忍びこめそうってことよ」

 遊び女の衣装を着た女が言うと、賭博師が決断を促すように物乞いの男を見た。

「どうする?」

「ルギ様の命令は王女の居場所をつきとめたら、御一行の到着まで手を出すなということだ」

「俺たちじゃ信用できねえってか?」

 傭兵姿の女剣士がやや、声を高めた。

「リカ、声が大きい」

 物乞いの男が《静かな声》でたしなめる。

「おっと、すまねえ」

「リカは化身が過ぎたな。どっから見ても女剣士だ。板につきすぎて、黒の魔法を忘れちまったわけだ」

 賭博師がからかうような口調で言うと、女剣士は顔を赤らめた。

 その時、扉が開いて、黒の魔法使いのローブをまとった人物が部屋に入って来た。

 物乞いの男、遊び女、女剣士、賭博師は一瞬の緊張を解いた。

 やってきた魔法使いは《静かな声》で言った。

「船から、降りた、盗賊の一人から、王女様のことを、聞き出した。見張りの二人には、暗示を、与えておいた。万一、王女様に、害が及べば、守ろうとするように。物乞いのドルン、お前は小船で川から宿を見張れ。遊び女のノリス、賭博師クリーク、お前たちは宿の向かいのピラトの店に部屋を取れ。女剣士のリカ、お前は僕についておいで。・・・さあ、行け。そして、・・・シュライム様の到着を待つのだ」

 魔法使いが言葉を切って、一タンの後には、居酒屋『ジハグリット』から人の気配が絶えていた。


 黒龍通りから一つはずれた裏通りに魔法の薬の店『ルギ』があった。

 店の主人、黒の魔法使いルギは扉の鍵をかけ、女剣士を待ち合い用のイスに座らせた。 女剣士は顔に不審の色を浮かべている。

「ルギ様、こんなところでのんびりしていて、いいのですか?」

 その声は《静かな声》ではない。ルギは扉を背にして立ち、黒のフードに手をかけて《静かな声》で言った。

「リカよ。なぜ、そのように、術が、乱れているか。おかしい、と思わぬか?」

 女剣士は問いには答えず、腰の剣にゆっくりと手を伸ばした。

 ルギはその動きを無視して言葉を続ける。

「セラ街道の北から、牙犬の、一団が、近づいている。その一団には、殺気がある。今の、お前と、同じだ。その一団に、お前は、海鳩を、飛ばした。連絡を、とるために。お前は、誰かに、術を、かけられている。黒の操りの魔法だ。そのために、お前の、黒の魔法は、乱れているのだ」

 女剣士が一歩前に踏み出しながら、腰の剣を抜き打ちに、ルギの胴を薙ぎ払う一撃を繰り出した。

 しかし、剣は空を切った。

 黒の魔法による幻の間合いの術で、女剣士は目測を誤ったのだ。

 女剣士が二の太刀を振るおうとするより早く、黒の魔法使いルギはフードをはずし、両眼で女剣士の目を捕らえていた。フードから現れた顔は痩せており、年齢不詳で中性的だ。その目が光る。

「リカ、お前はもう、動けない」

 ピタリとリカの動きが止まった。

「女剣士リカよ、お前は、黒の魔法使いリカに戻る。お前に、操りの術を、かけたのは誰か?」

 リカの顔に緊張が現れる。答えはない。ルギは重ねて問う。

「ウクリルに迫る、牙犬の群れは、何者か?」

 リカが《静かな声》で答える。

「・・・アライソの暗殺団」

 ルギの顔にもかすかな緊張が漂う。

「アライソの暗殺団の狙いはなんだ?」

「・・・王女様のお命かと」

 ルギは驚きをわずかに口元に浮かべた。

「リカよ、お前に、操りの術をかけたのは、誰か?」

 リカの顔色が蒼白になった。

「ハッ」

 一瞬の気合をかけたのはリカだった。女剣士の首が宙を舞う。リカは自分で自分の首を切断したのだ。

(しまった)

 ルギは失意の色をありありと顔に浮かべ、倒れたリカの体と転がるリカの首を見比べた。(うかつな、操りの術がすでに解けたと思っていたとは・・・暗示は黒の魔法の上に、さらに銀の魔法を乗せた二重のものだったに違いない)

 ルギは首のないリカの体に手を触れた。

 そして、小さな声でつぶやいた。

「許せ、リカよ」

 ルギは己の魔法の未熟さを悔やみながら、膝をついた。

 床は流れ出す女剣士・・・黒の魔法使いリカの血で真っ赤に染まっていく。

                   3

 三人の男は商人風のいで立ちだった。

 アクアポリーは一目で相手が気に入った。

(こりゃ、とろそうな奴らだな。お宝を乗せた聖なる牛ってとこだ。こいつらが俺に四千万モルもくださるってわけだ。そして、その後で四千万モルの金貨を枕に俺は王女様と一夜を共にする。こいつはこたえられねえぜ)

 アクアポリーは応客用の仮面の下で笑った。

 ダルムの舟宿の一番上等の部屋で、盗賊と三人の男は飾りのゴテゴテとついたテーブルを挟み、ソファに腰を下ろしていた。

 三人の男は若者二人と老人一人。老人だけが、その立ち振る舞いに微かな武術の心得を感じさせたが、若者たちにはその気配はない。

(ふん、愛欲に目がくらんだ、どこかの金持ちの老いぼれか、若造が、伝説の乙女アーミーの再来を、その手で抱いてみたいと、身のほど知らずの望みを抱いたってところだな。こいつらはその忠実な執事と部下っていうところか)

 アクアポリーは自分の欲望と重ね合わせた勝手な推測を心の中で続けた。

(さて、とっととお宝をいただいて、姫を風呂に入れる準備でもするか。あの王女を逃がさぬようにきれいに磨くのは大変そうだが、まあ、眠り薬を一服もればいいか。ククク、お姫様、どう見ても、あれは処女だな) 

 アクアポリーのふくらむ妄想を断ち切るように老人が言った。

「ダルム殿、それで、王女様はどこにおられるのですかな」

 道化士の仮面をつけた舟宿の主人ダルム・・・モアブの森の盗賊アクアポリーは現実に引き戻され、仮面の下で顔をしかめながら答えた。

「その前に、約束のものを」

 老人は身じろぎもせず、言った。

「いや、王女様のお姿を確認するのが先ですな。なにしろ、大金の取引だ。それにここには金は持ってきておりませぬ。王女様を確認してから、供の者に取りに行かせるということになりましょう」

(ちぇっ、面倒くせえな)

 アクアポリーは顔をしかめた。

 老人は言葉を重ねた。

「それに夢のお告げによれば、あなたは前金の一千万モルをすでに受け取っているはず。順序としては、次はこちらが王女様の無事を確かめるということでよろしいでしょう」

(夢のお告げ・・・するってえと、こいつらもあの銀の魔法使いとやらの指示を受けているのか?)

 アクアポリーの心に王女の声で(操り人形)という言葉が浮かんで消えた。

 仮面の下には不安な表情が現れた。しかし、それも瞬くほどの間のことで、アクアポリーはとりなすような口調で言った。

「よござんしょう。ご案内しますよ。王女様のところへね」

 そして、アクアポリーは先に立って歩き出した。

 部屋を出て、何げなく、廊下の窓に目をやると、西の空が妙に暗いことに気付く。

(おや、一雨くるかな)

 アクアポリーは空模様を眺めながら、いたって気楽に地下室へ向かった。三人の男は黙って、その後に従った。


 王女はすっかり疲れはて、地下牢の奥の壁にもたれ、鉄格子の外のランプを見つめていた。その顔にふと緊張の色が浮かんだ。

 ランプの向こう側の天井に光が差し込み、階段へと続く蓋が開けられた。そして男たちが、おりて来た。アクアポリー、盗賊の一人、老人と二人の商人風の若者、そして盗賊がもう一人。蓋が閉じられたが、盗賊の一人が持つ手提げランプで地下室は前よりもずっと明るくなった。六人の男が鉄格子の前にたった。

 王女は男たちの顔を順に確かめた。

 そして、王女が老人と目をあわせた時、老人の目が見開かれた。

 突然、老人は一歩前へ進むと、土下座をした。

「これは、確かに、イア姫様。よもやと思ったが、・・・王女様、さしつかえなくばお指を拝見させていただきたい」

 王女はやや、呆気にとられながら、老人の言葉の意味するところを悟り、右手を握り締めて差し出した。その中指にはリンシード王女の証し、『牙犬の瞳』と呼ばれる指輪がはめられている。

「おお、まさしく牙犬の瞳」

 老人は王女の指輪を目にするや、ガバッと身を折り、平伏した。

「なんだ・・・?」

 老人の変わり身に気をとられていたアクアポリーはハッとして、腰の細剣に手を伸ばしかけた、その手が止まり、アクアポリーの喉がグビリと鳴る。

 その喉元には短剣が突き付けられていた。若者の一人が先ほどまでとは打って変わった身のこなしでアクアポリーの背後に立っている。

 もう一人の若者はやはり短剣を握り、平伏している老人を守るようにアクアポリーたちに対していた。

 完全に意表をつかれ、アクアポリーはうめくように言う。

「なんとも、こりゃ、・・・驚いた」

「声を出すな」

 アクアポリーの背後から若者の声がする。両側にいた二人の盗賊は意外な成り行きにポカンと口を開けている。

 イア姫もまた、呆気にとられ口を開けていたが、老人の姿勢に意味を感じとり、スッと立ち上がった。

「年老いた人よ。顔をあげなさい。語ることを許します」

 その言葉を待っていたように老人は顔をあげた。

「知らぬこととはいえ、王女殿下にこのような仕打ち、どうか、お許しを」

「知らぬこと、・・・すると、あなたは王宮からの追っ手ではないのですね」

「はい。某は元、ホルの城臣にて、現在はホルの反乱軍の参謀をつとめますマルドークと申します」

「ホルの、・・・反乱軍。ホルのマルドーク、ホルのマルドーク」

 イア姫は記憶の中からその人名を引き出そうとするかのように唱えた。

「ホルのマルドークといえば、ホルの城の家老大臣ではありませんか」

「・・・わが名をご存じでありますか?」

 マルドークと名乗った老人は再び平伏した。

「ホルといえば大城ですからね。主な城臣の名前は暗記させられました。けれど、ホルの反乱軍とはどういうことです」

「話せば長いことながら・・・」

 口ごもるマルドークを見下ろしながら、イアは牢屋の外を見た。

「そうね、その前に、ここから出してもらおうかしら。その仮面の男はアクアポリーさんね。ああ、喉に短剣を突き付けている人、油断しないでね。その人はモアブの森の盗賊、アクアポリーさんだから。ちょっとでも動いたら、喉笛を鳴らしておしまいなさいね。それから、マルドークさんの後ろの若い人、あなたはアクアポリーさんの腰の鍵束を取って、牢屋を開けてくださらない。そして、盗賊たちをそこのロープで柱にしばりつけるの。その間も短剣はそのままにしてね。少しでも自由を与えるとアクアポリーさんはきっと反撃に出るから。それと盗賊のお二人は動かないでそのままね。下手に動くとボスの命がなくなるわよ」

 男たちが命じられたように動き、アクアポリーと二人の盗賊が柱に縛り付けられて不自由になり、イア姫は自由の身になった。首領を人質にとられているとはゆえ、二人の盗賊は実に柔順であった。それが黒の魔法の効果によるものだとは部屋の誰もが思いのほかのことだった。そして、二人の盗賊に王女の身を守る暗示を与えた黒の魔法使いルギも自分の魔法がそのように効果を発揮しようとは夢にも思わなかったであろう。

 王女は地下室におかれていた古い木のイスに腰掛けて、平伏する老人に声をかける。

「さあ、ちょっと長くなってもいいから、事情を聞かせてくださいな。マルドークさん」 促されて、マルドークはしばらくのためらいの後、語り始めた。

「まずは、ホルの城に生じた異変から申し上げなくてはなりません。

 ホルの城の主、ザツオ・ホルベイン様は某の目から見てもなかなかの名君でした。

 ただ、王女殿下の前で申し上げるのは憚りの多いことながら、少し、遊びが過ぎるところがございまして、その城下の遊女のいる店などにお忍びで出掛けるといったところがあったのです。まあ、その男としてはよくあることでございまして、城臣たちも黙認しておりました。

 ・・・ところが一年ほど前のある夜。ザツオ様は夜遊びから帰り、城に一人の女を連れてまいりました。この女は名をクラインと申しまして、・・・魔性の女だったのです。

 それからのザツオ様と申せば、乱心したとしか、思われぬふるまい。

 昼夜を問わず、魔女クラインと寝室を共にし、そして意見を申す城臣は処刑。

 さらに、魔女クラインの命じるまま、村人から将軍の妻まで数え切れないほどの女を殺害されたのです。あろうことか、ザツオ様の奥方、ついにはご息女まで・・・。

 ついに城の内外を問わず、恐怖と憤激は高まり、反乱の火の手があがったのです。

 ・・・それがしも剣の誓いに背いて反乱軍に身を投じました。

 ザツオ様とクラインをなき者にし、死出の旅の供をする覚悟で・・・。

 ところが、城の兵の大部分が反乱に加わるはずが、その半分がザツオ様、というよりは魔女クラインに味方したのです。彼らもまたクラインのまやかしの術にとらわれてしまったようです。

 かくて、反乱軍は砦を築き、城を囲み、ザツオ様と対峙するという事態となりました。 このままでは、やがて来る救援軍と城の兵に挟まれ、反乱軍は壊滅、その後の裁きはザツオ様と魔女クラインに委ねられるという結末が待っており、主君に背いたそれがしが処刑されるのは当然としても、罪なき市民が殺戮の危機にさらされる・・・。

 そう感じたそれがしは飲めぬ酒をあおり、反乱軍の砦の仮拵えの床に就いておりました。

 そして、カレーブーと名乗る銀の魔法使いに夢の中で会ったのです。

 カレーブーはこう語りました。

『ウクリルの町に捕らわれの王女様がいる。ダルムの店を尋ね、王女様を買うと言って、王女様に事情を話せば、必ずや、ホルの人々を救う道が開かれる』

 某は信じられぬ思いを胸に抱きながら、老骨に鞭打ち、海路、ホルからウクリルへとやってまいったのでございます。他になす術がなかったので。・・・よもや、本当にご結婚を控えた王女様がこのような目にお会いになっていようとは思いもしませんでした。

 この上はただちにウクリルの城に王女をお連れして身の安全を図りましょう。

 しかし、藁をもすがるような老人の気持ちをどうか察してくださいませ」

 イア姫は老人が言葉を切って黙り込むと、しばらくは思案にくれているようだった。

 その間、老人は平伏し、柱に縛りつけられた盗賊もまた意外な事の成り行きにじっと黙っていた。もっとも何か言いたくても猿轡をかまされているため、唸ることしか、できなかったのだが。二人の若者は王女の命じた通りにアクアポリーに短剣を突き付けている。

 不意にイア姫は決心を顔ににじませた。

「マルドーク殿。話は分かりました。その言葉に偽りのないことを信じます。そして時間が急を要することも理解しました。おそらく、反乱を鎮圧するための軍はすでにリンシードを出発したでしょう。私が事情を話し、軍を止めることもできますが、サリフ街道からの軍勢・・・カローンやヤノの城兵を止めるのには遅すぎることになりましょう。それにウクリルの城に入れば、私には自由がなくなります。ですから、このまま、ホルに参りますわ。ホルの反乱軍の人質としてね。ただし、それからどうするかは、私に決めさせてね。銀の魔法使い・・・カレーブーと言ったかしら。その男のことはまったく分からないし、魔女のことといい、謎だらけだわ。もう少し、情報を集めて、それから、決断がしたいの。・・・ホルまでは船で行くのね。その船はどこに? お風呂はついているのかしら? それから海鳩は借りられる? せめて父上に無事を知らせておかないと」

 爆発した姫の言葉に平伏していた頭をあげたマルドークは姫の答えを知って顔を輝かせた。

「すると、王女殿下はホルの民をお救いになってくだされるのですか?」

「言った通りです。ホル行きの船はどこ?」

 老人は瞳に涙を浮かべて言った。

「ありがたきお言葉。ホルの軍船はウクリルの港に。そこまではこの宿の隠れ桟橋に小船が。・・・港の船は商船に見せかけてはおりますがホルの軍船ですから、バス・ルームはもちろん、伝令の海鳩もかなりの数を積んでおります」

「それではまいりましょう。・・・アクアポリーさん、あなたにはいろいろお世話になったけど、操り人形のしたこととして許します。ただし、私の大切なオリョレサにもしもの事があったなら、その首にたっぷりと賞金をつけますからね。・・・だから、盗賊狩りに気をつけて、長生きしてくださいね。それではごきげんよう」

 朗らかな笑顔を残し、王女は地下室の階段を昇った。

(くそっ、上に見張りを残さないなんて、なんてドジだ)

 猿轡の下で顔を屈辱で真っ赤にしたアクアポリーは唸りながら、体をジタバタと揺すった。

 そして、頼りにならぬ手下を見た。

 二人の手下は魔法にかかったような目で・・・実際にかかっているのだが、地下室を出て行く王女の姿を追っていた。

 その顔を見たアクアポリーはさらに血圧をあげた、ブチリと音がして、切れたのは、しかしアクアポリーの血管ではなく、アクアポリーを縛っていたロープだった。

「くそ、こんなヤワなロープで俺がいつまでも縛りつけられているかよ」

 猿轡をはずすのももどかしく、アクアポリーは叫んだ。

「ダルカ、ボーン、誰かいねえか。王女が逃げたぞ!」

 アクアポリーは投げ捨てられていた自分の細剣を拾いあげた。

「この役立たず!」

 縛られたままの手下の一人を蹴りあげると、地下室の階段へ近づいた。

 すでに階上への蓋は閉じられ、鍵が下りている。

 アクアポリーは拳を振り上げ、蓋を叩きながら、大声で喚く。

「おーい、ダルカ、キャラウェイ、俺の手下ども、何してやがる。ボーン、スタッド、飛んで来い。お前らの間抜けなお頭様をすぐにここから出せ! 俺は一杯食わされたぞ。くそ、あいつら、聖なる牛のような顔しやがって、とんだ黒狼野郎だった。おーい、バシリー。くそったれ、誰かいねえのか」

 その声に答えるように遠くで雷鳴が響く。

 不意にアクアポリーの頭上にドサリと音がした。

「・・・お頭、下にいるんですか?」

 アクアポリーは副首領格のダルカの声と知り、声を張り上げた。

「ダルカか。よく来た。鍵をあけろ、すぐに手下を集めろ」

 しかし、鍵はすぐにあかなかった。

「おい、ダルカ、何をモタモタしてるんだ」

 アクアポリーは耳をすました。誰かの叫び声を聞いたような気がしたからだ。

 カチリと音がして蓋の鍵がはずれた。

 アクアポリーは蓋を跳ね上げて飛び出し、息を飲んだ。

「ダルカ。ど、どうした?」

 蓋の脇には血まみれのダルカが倒れていた。深手を負っているとすぐに見て取れる手下の体をアクアポリーはかかえおこした。

「おい、まさか、王女たちにやられたのか?」

「お、お頭。グッ・・・、誰だかしらねえが、えらく腕の立つ奴らが、襲いかかってきやがったんでさ。数もかなり、俺はお頭に知らせようと、それで後ろからやられて、イテエ」 ダルカがのけぞり、動きを止めた。

「おい、ダルカ。・・・う、いっちまったのか」

 アクアポリーは立ち上がった。その耳に、騒ぎが聞こえて来る。

 男たちの叫びと剣戟の響き。

 壁の向こうでかなりの人数が戦いを繰り広げているようだ。

「店の方だ。あいつら、仲間がいたのか?」

 そう呟きながら、アクアポリーは桟橋に向かった。頭の中で王女と殺された手下の顔が交差する。

 桟橋にはアクアポリーにとっていまいましい男たち・・・マルドークと二人の若者の乗って来た小船は消えていた。

 アクアポリーは一瞬、迷い、そして、騒ぎのする方へと足を向けた。聞き覚えのある手下の声が聞こえたからだ。その声はアクアポリーの名を呼んでいた。

「おかしらー! アクアポリー様!」

 助けを請うように盗賊の一人が叫んだ。

 そこはダルムの舟宿の酒場・・・かなり広く百人の男が飲み食いできる空間だった。

 しかし、店が賑わう時刻ではなく、客は一人もいないはずだった。


 ほんの数タク前、表の扉をたたかれた盗賊の一人が応対に出るまでは、川船を下りたアクアポリーの部下たちが、ちょっとした酒盛りをしていたのだ。

「なんだ。もう看板だよ。月が出てから出直しな」

 そう、扉ごしに答えた盗賊の体が真っ二つになって血を噴き上げた。

 信じられぬような怪力が扉にかかった閂ごと、盗賊の体を斧で引き裂いたのだった。

 その時、ピカリと稲光が走った。

 いつの間にか、ウクリルの町は暗雲に覆われていた。

 この季節には珍しくない夏の嵐が始まろうとしていたのだ。

 雷鳴がとどろき、ダルムの酒場の扉が開いて、不気味な男たちが侵入してきた。

 全身が黒い衣装に覆われており、顔も黒覆面。先頭の男は黒い戦斧を構え、続く男たちの抜いた剣もまた刃を黒く塗っていた。入り口近くにいた盗賊の一人が問答無用で黒い戦斧の犠牲者となり、ようやく、盗賊たちは剣を抜き、身構えた。

「なんでい、お前たちは」

「ここをどこだと思ってるんだ」

「誰か、お頭を呼べ」

 ・・・そして数タクの後、壁に追い詰められた三人を残し、二十人以上いた盗賊たちはすべて骸となって酒場のあちらこちらを血で汚していた。

 そして黒い殺戮者たちは一人残らず無傷であった。

 生き残った盗賊の一人ボーンは目前に迫った死に脅えながら、首領の名を叫んでいた。「ア、アクアポリーさまあ」

 その時、奥の扉を開き、アクアポリーが登場した。

「ボーン、・・・ゲッ」

 部下の名を呼んで、アクアポリーは絶句した。死体の山と黒づくめの男たちを目にしたからだ。

 黒い殺戮者の一人が無言のまま、黒い剣をアクアポリーに突き出した。

 瞬間、アクアポリーはジャンプして、前方に宙返りすると、相手を飛び越えて、着地しながら細剣を振るった。アクアポリーの会心の一撃だったが黒い殺戮者はヒラリと身を交わしている。

 剣が空を切った分、態勢をくずしたアクアポリーはたちまち、数人の敵に囲まれていた。(おっと、あわてて飛び出したはいいが、なんだ、こいつら、異常に強いじゃねえか)

 アクアポリーは首筋に冷や汗が流れるのを感じる。

 黒い剣士たちの背後から声がした。

「待て、雑魚ばかりと思っていたがこやつ、なかなかできるようだ。三人ほど残して、後の者は王女を探せ。こやつはわしが相手する」

 黒い戦斧を構えた男が告げると黒い殺戮者たちは、すぐに行動を起こした。

 絶叫が聞こえ、生き残っていた三人の盗賊たちが血煙をあげた。

(ボーン、タリフ、スターナー)

 アクアポリーの頭にたった今、殺された部下の名前がよぎった。

(馬鹿野郎、とっとと逃げりゃいいものを・・・)

 三人の部下を殺した、黒い男たちがアクアポリーを取り囲む。

 そして正面に黒い戦斧の男が立った。

 その他の男たちは奥の扉や階段を昇り、酒場から姿を消した。すでに階上からは騒ぎ声が聞こえている。

 アクアポリーは正面の男を見据えた。

 恐ろしいほどの殺気が男から立ちのぼっている。

(こいつは凄腕だ)

 アクアポリーは細剣を構えて、ジリっと後ずさる。

(せめて大剣が欲しいな。細剣じゃ、分が悪いや)

 アクアポリーは唇をひとなめして覚悟を決めた。

「どこの誰だか、しらねえが、やってくれたじゃねえか。俺をモアブの森の盗賊、アクアポリーと知ってのことか」

「そんな下郎の名前は知らぬな。そして下郎に名乗る名前もない」

「へっ、そうかい。俺は噂を聞いたことがあるぜ。黒い暗殺団のな。そいつらはどっか東の城の兵士だそうだな。そいつらのリーダーは黒く塗った斧の使い手だそうだ。部下の兵士も皆、黒塗りの武器を使うそうだし。・・・あんた、アライソ訛りがあるぜ」

「フフッ、小僧、わしの正体を知っていようがいまいが、お前の命はもうわずかだ。天上の神々の名前でも唱えるがよい」

「生憎だね。俺の神はジーンでもアーンでもねえ。地獄の魔王バルンガーだぜ」

 アクアポリーは全身の力を込めて前方に体を押し出した。

 チャキッ、ギンッ!

 アクアポリーと黒い戦斧の男が交差したと見えた瞬間、アクアポリーの細剣の刀身が折れて、宙に跳ね上がった。アクアポリーは折れた細剣の柄を放つと同時にもう一つのキラリと光る何かを撃った。

 敵とすれちがったアクアポリーは回転しながら、半分壊れた店の扉を体当たりで開き、そのまま、店の外に飛び出していた。

 ザアアアアー。

 その体を数タン前から降り出していた豪雨が包む。

 アクアポリーは体を起こすと雨の中を走り出した。

「追え」

 黒い戦斧の男が肩にささったナイフを抜きながら、部下に命じた。

「くそ、抜かった。隠しナイフを見ぬけんとはな。若造と見て侮りすぎたか」

 黒い戦斧の男はつぶやきながら斧の血をぬぐう。

 アクアポリーを追って店を飛び出した二人の黒い殺戮者があわてて戻ってきた。

「申し訳ありません。見失いました」

 黒い戦斧の男は覆面の下で舌を鳴らした。

「ふん、なんとも素早いヤツだな。よい、捨て置け。標的は王女だ」


 額から血を流しながら、黒龍通りを駆け抜けるアクアポリーを建物の屋根から見下ろす者があった。黒の魔法使いルギである。

 その横にもう一人、黒の魔法使いが現れた。

「ほう、アクアポリーめ、逃げられたのか」

「アライソの、ナタール男爵の戦斧を、交わすとは見事なものです」

「ふむ。舟で見張っていた物乞いドルンからの合図がもう一タク、遅れていたら、アライソ暗殺団と一戦交えたかと思うと背筋が寒くなるのう」

「王女殿下は?」

「例の小船で港にむかわれた」

「確かに、王女殿下ですか」

「間違いない」

「しかし、一体、どうなっているのでしょうか」

「さあ、わからん。とにかく命令通り、ソル様が到着するまで、王女殿下の居所をつかんでおくまでじゃ」

「ルーク殿。どうも、私は、不思議な思いが、するのです」

「ルギ殿。・・・どういうことかな」

「王女の脱出が、あまりにも、時を得ています」

「タイミングが良すぎるか?」

「ええ、誰かが描いた計画通りに、事が、運んでいるような、気がします」

「ふむ?」

「時を操る者の影を、感じるのです」

「・・・銀の魔法か」

「ええ。部下の一人、リカにも、銀の魔法の痕跡が、ありました」

「しかし、そうだとしてもなす術はない。黒の魔法の及ばぬ世界だからな」

「・・・」

「それに、矛盾しておらぬか? リカはアライソに通じておったのだろう。黒幕に銀の魔法使いがおるなら、アライソ暗殺団は王女殿下のお命を奪えたのではないか」

「確かに、その通り、なのですが」

「・・・さて、そろそろ潮時じゃ、アライソ暗殺団が王女の不在を確かめる前に港に結界を張っておかねばならぬ」

 その声を最後に屋根の上の黒の魔法使いは姿を消した。

 ウクリルの町は豪雨に包まれ、稲光と雷鳴が時折、交錯した。

 雨はアクアポリーの流した血をたちまちに洗い流していく。



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