鵬程の前夜、定離への向背 3
露天風呂など、もうこれっきりかもしれない。大地は素直にそうした。お湯の中のシートに身体を預け、首から上をそよとした風に吹かれ空を見上げる。
──さよならだ。
さよならなんて嫌な言葉だな、と思う。今のこの心境では、という意味だ。明日からまた新しい人生が始まるのかという時に、不安がないと言えばそれは嘘だ。しかし、根拠のない確信のような思いが大地にはあった。
──俺はまた、ここへ来る。
幼い頃から大地は自分の未来、いや未来というほどの先ではなく、日常の中での少し先が分かるような気がしていた。予知とまで言えるのかどうかは定かではないが、自分の置かれている環境に変化が訪れる時は、決まってそれより前に、その間隔はばらばらではあったが、大地の心はその兆候を感じるのだった。
その時そこにいる自分の存在がとてもはかない実体のないような不思議な感覚、今いる場所がとても遠い場所のように感じるその感覚は、それを感じた事を忘れた頃に、結果として現実化しないことはなかった。
──今の俺は……。
明日にはここを発つという時を迎えてさえ、大地はタレスターフがまるで故郷のような、生涯をここで終えるような、そんな気がしていた。
根拠のない確信は、大地がここで過ごした時間の中で、まだあの予兆を感じていないことによる。これまでは、その場を去る、その環境から抜け出る、といった予定のまったくない時に感じた予感のようなものだった。そういう意味なら、地球にいた時の、自分の居場所がないようなあの感覚こそが、ここへの転移の予兆だとさえ思えてくる。
大地の心も肉体も、しっかりとこのタレスターフ、スビニフェニスに存在しているという実感が大地の中から消えないのだ。
一人で行く旅路にどれだけの未知があるのかを予測すらできないような状況で、それなのにわずかな不安さえも取り込みながら、旅立つことに迷いもない自分に半ば驚きを感じつつ、大地は結局、グランの言った、ここへ来た事もここを去る事も、ここに戻る事も必然なのだろうという思いにたどり着く。
そんなことを考えつつ空を見上げながら身体を沈めたお湯の成分は、リラックス効果を多く含むのか、白い花のかぐわしい香りと相まってとても満たされた気分になる。充分にお湯を堪能し、大地は部屋に戻り、着替えを済ませるとそのまままたフラットにしたソファに大の字になった。
目を閉じてマーシの演奏を再生する。幾度となく聴いたマーシのマリマトラムは、時折その先のメロディが分かるほどになった。再生される中で好きな部分になると、さわさわと伝わる波が大地の肌を駆け巡る。毎回聴くたびにため息を禁じ得ない美しいフレーズだ。
その時、グランがソファの端に座るのが分かった。大地が目を開けてグランの方を見やると、グランは小さく首を振ってそのまま静かにじっとしていた。最後まで聴いていたいというのはグランにも共通する思いなのかもしれない。
曲が終わり、大地が上体を起こした時にグランが言った。
「心を奪われます」
「本当に」
まったくその通りだ。大地は頷いた。
「そろそろ船を見に行きませんか?」
──そうか、準備ができたのか。
少しずつ、少しずつ、その時が近付いてくる。
「そうだな、行こう」
大地は立ち上がり、グランの後に続いた。ムイジセブに乗り込み、最後の日を過ごした青い部屋が目の前で閉じていくのをその目に焼き付けるように大地は見ていた。
「これが大地の宇宙船です」三
「おう」
思わず驚きとも感嘆ともつかない声が出た。直径百五十メートほどはあろうかという円盤型のそれは、白ともクロームともグレー、黒ともつかない色で鈍い光を反射していた。大地が一人用の宇宙船として想像していたよりはずっと大きい船だ。
中央部分に厚みを持たせ縁に向かうにしたがってなだらかな曲線を描きながら徐々に薄くなっていく、そろばんの珠に近い形状をしている。
今は円盤の状態になっているが、後部は可変式になっていて、グランはそこでは説明しなかったが、幾つかの機能を持って尾翼が形状を変えるらしい。地上においては搭乗口は通常、船体横の下方を使用するが、複数箇所あるという。




