諸賢との遭逢、諸賢からの涵養6
──何枚くらい見たんだろう。
おそらく、一万枚は軽く超えているはずだ。そろそろ疲れが感じられ、集中力を欠いてきた気がした。
「ここまでにしましょう。そろそろ時間ですし」
グランは装置を止め、背もたれを起こした。大地の目の前を覆っていたシールドが目に密着するようにその形状を変化させた。蒸しタオルを当てたような心地良さが広がる。
「終了の合図がするまでそうしていてください。疲れたのではないですか?」
「いや、丁度いいタイミングだったよ」
「予定より多く見てもらえましたから、こちらとしては助かります」
目を酷使したときの、眼球の奥底で視神経の束がガチガチに固まっているような不快感がどんどんほぐれていく。マシンが小さくシャリンと音を立てたタイミングでシールドが外れ、大地は座席を降りた。グランは大地のために夕食会用の衣装を用意していた。
「私も準備があるので、先に行きます。着替えたら脱いだものはそこのアスタに、大地はムイジセブで直接会場に行けますから」
そう言うとグランは一足先に部屋を出た。
何だか取り残されたような気がしたが、取りあえず着替える。驚いたことに、それは普段着ではないことは明らかだった。
正装感の強い衣装で、この夕食会には特別な意味があるのだろうかと思ってしまう。前身頃から裾にかけて長い曲線が描かれたアシンメトリーの上着は、インナーのシャツの片側に寄せたドレープを効果的に見せている。アラベスク様のブレードが施され、拝絹が存在感のある黒を際立たせている。
──初めてだ、こんな服。
ほとんど黒に見える濃紺の衣装は、長いブーツに履き替えるとまるで中世の貴族にでもなった気分だ。ふと見ると左手に鏡がある。いや、それまでそこにはなかったものが突然出現したようにも思えたのだが、自分の姿を映してみると、着用の仕方は多分間違ってはいないようだ。
これは大地のために作った衣装であることは分かった。アプリで服を作ってからずっと、自分専用の衣服を着ていたため、既製品との違いが分かるようになっていた。仮装パーティーに招かれた気分だな、と大地は思った。
大地は脱いだ衣服をアスタに入れた。例によってそれらはクリーニングされた後勝手に大地の客室へ送られるのだろう。
グランが行った後、ムイジセブの扉は再び開いていて、大地が乗り込むのを待っているかのようだった。忘れた物、事がないのかを確認して、大地は夕食会の会場へと身を移した。
浮遊感ののちに扉が開くと、扉の向こうでは華やかな雰囲気がフロアを包み込んでいた。飾られている花の数がとても多い気がする。フロアでは誰かがマリマトラムを演奏していた。それはマーシではなく、マーシよりももう少し年上のようだ。ふと、昨日の今日なのに、今朝の今なのに、マーシの演奏が聴きたいと思ってしまう。
「大地」
先に来ていたマークが大地の方へやってきた。
「彼はクロネ」
マリマトラムの奏者に視線を向けていた大地の心中をどう判断したのか、マークは名前を教えてくれた。
彼の衣装もまた、大地のものとは少し雰囲気が違うが正装であるらしい。
「そうか……」
演奏家が一人だけということもないか、と少し複雑な自分の気持ちを振り払うように、周囲に気持ちを向ける。円卓には真っ白な布がかけられ、座席ごとに綺麗に折られたナプキンが置かれている。
──この様子だとコース料理か。
ここ何年かではほとんど食べる機会のなかったものだ。テーブルマナーなど、胸を張って完璧に知っているなどとは口が裂けても言えない。もちろん、タレスターフの流儀など知識は皆無だ。
「なんだか……」
言いよどむ大地の言葉に、マークは察しがついたようで、からっとした笑顔で笑い掛けた。
「マナーなんて気にしなくて平気だよ。出されたものを順番に食べていけばいいだけさ」
そうだ、形に囚われないタレスターフのことだ、それに周りを見ていればなんとかなるだろうと少しは緊張がほぐれた大地は、グランの姿がまだないことに気付いた。




