諸賢との遭逢、諸賢からの涵養1
目覚め。心穏やかな朝を迎えられるのも、ここタレスターフで過ごした時間の効果なのか。身支度を整えた後、大地は昨夜の音源を再生してみた。マリマトラムの音色はマーシの演奏技術と感性によって表現可能な最大限まで魅力が引き出されているように思える。
音は一つ一つに生命が吹き込まれているように、静と動を交え、激しさと繊細さの双極面を描き、たおやかに、美しくきらめいて辺りを漂う。大地の周りをマーシの奏でる音が優しく包み込むようにまとわりつくように流れていく。心が穏やかになり、とても静かだ。
この曲を聴かずにはいられない毎日になるのだろうか、とも思う。まるで音が大地を離そうとしないようにも思え、曲が終わるまで耳を澄まして全神経で聴いていたくなる。
大地が欲しかったのは心の安寧だったのか。不自然に抑制された思いは、きっといつかどこかで破綻するのだろう。なかったことにしてはいけないのかもしれなかった。
それらを解き放ってくれる可能性をマーシの曲は暗示していた。
二度ほど聴いた後、大地はグランを呼んだ。
操縦のシミュレーションは大地の納得のいくまで繰り返された。プログラムされているイレギュラーサンプルは大方消化した。
科学技術が発展するたびに、それまでは存在しなかったイレギュラーも発生する。積み上げられたデータの統計だけではなく、それ以外の可能性を人工知能が想像し、常に最新の状態にプログラムは書き換えられる。
宇宙船は用途に応じて機能も装備も違うが、基本的操作は統一されていた。自動操縦が標準であったとしても、マニュアル操作ができることは必須とされている。宇宙船に限らず、タレスターフでは全ての物の規格は多岐にわたることを良しとしない。例えば車でいうなら、車種によってアクセルとブレーキの位置配分が違うことによって、車両を乗り換えたときの人間の感覚的誤差を生じさせないためだ。そして、そのために、体格の違いによって座席をスライドさせた場合、その差分に応じて各部が自動的に位置調整される仕組みが取られていた。
身体に覚え込ませた行動は、次第に無意識下で行われるようになる。そのため、意識的行動を行う時点で、統一性を維持する方向を採ったのだ。いかなるものとも競合しない、というタレスターフの特性上成し得たこととも言えるだろう。
午前中シミュレーターの中で過ごした後、グランは昼食を取るために大地を街へと連れ出した。
戸外でピクニックのように弁当を広げている者もいる。楽しそうにはしゃぐ子供たちの声が聞こえる。澄み渡る青空と、爽やかな風。さわさわと葉擦れがひとしきり、頭上で自然が奏でる歌にアクセントを付ける。
今日はビュッフェスタイルだというその店では、実に多彩な料理が並んでいた。好きなものを選ぶとしても味は想像するしかない。大体は地球と同じような感覚でいけるが、時々大きく外すこともある。
グランは大地に自由に選ばせ、これはどんな味なのだという説明はしない。見た目と実際に食べた時の大地の反応との比較を検証しているようにも思えた。好みを探っているのか、食事に偏りがあるかどうかを知ろうとしているのか。
まあ、それは大地が気にすることはないのかもしれない。それよりも食事そのものを楽しむことにした。大地は甘いものが苦手というほどではないが、涼しげな色をしたいかにもさっぱりとした味わいを思わせるゼラチン質のソースが意に反して甘味を多く含んでいたことに思わず表情が変わったのを、グランが珍しそうに笑った。
「そういうのは苦手なのですね」
「うん、いや、想像と逆だったから驚いただけだ」
たっぷりと時間をかけて昼食を終えると、ムイジセブのある場所までグランは散歩をするようにゆっくりと歩いた。
「どうです? 酸素供給があと少しで停止しますが、体感的に変化はありますか?」
グランが衣服の機能について尋ねた。それまで呼吸が苦しいとも、酸欠気味に感じるとも特に意識したことはなかった。
「いや、まるで気にならなかった」
どうやらスビニフェニスの大気に、大地の身体は問題なく順応しているようだった。
「それは良かったです。体幹のずれも見た目でしっかり矯正されているようですし」
何もかも、自分の気付かないうちに変化している、と大地は感じた。良い方向への変化は大歓迎だ。あとはそれが維持されることが望まれる。少なくともこの星にいる間は心配はしなくても済むのだと思った。




