孤灯の情、深奥の情 1
輝く朱に彩られた空のイメージが朝を告げる。外界の様子を間接的に投影する時計代わりのアラームとも捉えることができる。
大地はごく自然に目を覚まし、それから何かを忘れているような感覚に囚われた。喉元まで来ているのに出てこない言葉のように、すぐそこにあるのに手が届かない何かのように、その存在自体を自分は知っているはずなのに、実体の見えないもの。
──目を覚ました途端に忘れてしまう夢でも見たか。
そろそろルーティン化した朝の行動を終えると、大地はカイを取り出した。最初から順に開いていく。清書された文章や、箇条書きが混在している。項目によっては順番が入れ換わっているところもあった。構わずに新しいページに未記入の幾つかを書き足していった。
いつかこのカイに書き込む最後の日を迎えたら、これは、タレスターフのミューズムの一角にひっそりと仕舞われることになるのだろうか。特異な経緯でこの地への来訪を余儀なくされた一人の地球人の、取るに足らない日常はそれでも記録としてほんの少しでも価値を認められるのだろうか。
大地はここで過ごす時間の中で、地球への帰還に執着していない自分に気付いていた。移住プロジェクトの中での大地の立場は、ある工程において重要な役割を持っていたが、必ずしもそれが大地でなければならない、ということではない。チームがその気になれば代わりは探すことができる。ただし時間の膨大なロスを引き換えにしてだ。
PAとカイと、それから大地がスビニフェニスで過ごした時間とを対価にして、宇宙船を提供しようというグラン、あるいはタレスターフの意思は果たして均衡という意味でそれはどういった状態なのだろうと思う。果たして対等な価値観を持つものなのだろうか。
仮にこの星に残ることに決めたとして、現在大地が与えられている環境はある程度グランのいる立場に近いところのように思える。スビニフェニスについて全ての民に等しく開示されていないということからいうと、自分が、そう言っていいのなら優遇されている理由はどこにあるのか。
「グラン」
思わず名前を呼んでいた。
「おはようございます。大地」
グランは待たせることもなくやってきて、大地をログハウス風の店とは別の食事処へと案内した。会話をしながらの食事を終えると、グランからおおよその一日の予定を聞き、カイにも書き込んで、食事処を後にした。
朝食を済ませた後は宇宙に出るための準備を始めた。発見された当時大地が着用していた気密スーツはもちろん損傷のない状態で保管されていたが、グランはそれをタレスターフの管理下に置きたいと言った。
大地にとって反対する理由はなく、代わりにタレスターフのものを使用することには特に異存はなかった。タレスターフのスーツは動きやすく、さまざまな装備を脱着可能にしていた。
推進装置を併用することにより、船外での行動性の自由も多くはないが保証されている。大地に合わせてオプションを選び出し、必要であれば作製し、着々と宇宙へ出るための準備が進められていった。
「シミュレーターで操作方法を習得しておいてください」
グランが案内した施設に設置されていたシミュレーターは、実際に航行可能な本物かとも見える宇宙船のレプリカだった。大地のオグヌイを船の起動デバイスとして認証させると、グランはひと通り施設《船》内を案内して回った。
大地にとってはまだ記号にしか見えないタレスターフの文字も、宇宙船の操縦という行動と結び付けることによって意味を持った文字列と変化する。そういえば、と大地は思った。普段の会話の中で頻繁に出てくる言葉は、意訳のイメージと同時に意味を持ったタレスターフの言葉として聞こえ始めていることに気付いたのだった。
その言語しか通用しない環境にいれば、一カ月もすれば会話が可能になると聞いたことがある。会話の量や質にもよるのだろうが、要はコミュニケーションを積極的に取ろうとするかしないか、なのだろうと思った。




