過ぎ越し方、先往く方 18
しばらくして、グランはそっと握っていた手を離した。
「何か違和感はありますか?」
「いや、不快な感覚なら一切ない」
──何かが違うというのは感じるが、ああ、むしろ俺は心が落ち着いている。
グランが何かをしたのであろうことは疑いようもなく、しかしそれは医療行為なのだろうか、それとも……。そういえば、大地が目を覚ました時もグランは自分に何らかの処置をしたと言っていたではないか。
いや、しかし何を気にする必要がある。宇宙で時空の迷子になって、それで今ここにこうして存在しているだけで奇跡のようなものだ。元々失った生命だと思えば、ここにいる自分は、そう、新しい自分だ。
ただ『この事を生涯忘れない』とだけ書き込んだ詳細の一切綴られていない日記を読み返しても、苦しみや悲しみはあまりにも多すぎて、どの事やらさっぱり特定できなかったり、あれほどの辛かった日々が遠い過去のように思えたり、幸せに包まれていた日々が本当にあっけないほどの刹那に感じたりするのは何故なのか。
確かにその瞬間瞬間は、心の全てで喜怒哀楽を受け止めていたはずなのに、それをいつしか薄れさせていくのは、一体何の魔法なのだろう。
──人が生きているからか。
常に歩み続けていることによって、心の在り方は変化するだろう。その時最大限の感動に心を震わせたとしても、時が経てばさらに大きな波は寄せてくる。そしてより深い思いを感じることができるのだ。
変わらずにいるということは、必ずしも変化を受け入れないということではない。幹は成長し太くなり、枝葉を茂らせ、より空へと近付いていく。生き方にブレがない人に憧れる、そう大地は常々思っている。グランと共に時間を過ごすことで、自分の中で何かが変わっていくのを感じていた。
再び歩き出す。
「スビニフェニスでも過去、もう遠いと言ってもいいくらいの過去、人々は闘い、略奪し、蹂躙し、富と権力と栄華に猛進していた時があったのです」
歩きながらグランはタレスターフの成り立ちについて語った。
タレスターフの人々は、虐げられた過去に縛られることを良しとせず、ある人物の民家を拠点にして、少しずつそこへ意志を同じくする者同士が集うようになったという。邪悪な魂を回避しながら、たった一件の家から始まり、慎重に何代にもわたって現在のようなコミュニティを築き上げたのだと。
「そして、当時皆が抱えていた恐怖や悲哀は何代も経た今でも消えることなく心の中にあります。ほんの少しのきっかけで、すぐにでも浮かび上がってくるほどに深くない部分に。私たちの祖先は、憎悪、屈辱、復讐などといった感情を持たず、ただ安らかでいたいと願う人々が、静かに暮らしていける場所を作り上げたのです」
利権のために争いをするなら、われわれの領域の外で勝手にやって欲しい、われわれのことを巻き込まないで欲しい、こちらに目を向けないで欲しい、そういう思いでできあがったコミュニティは固い結束の下、現在に至ったのだという。
──そういうことなら外交や交易などもないということか。
他との関りを避けるというなら鎖国のような状態なのだろうか。いや、しかし宇宙もまた活動領域なのであればそれも考えにくい。
「そして、現在スビニフェニスにはタレスターフ以外に人類は生存していないのです」
グランは淡々と話す。
「それは何故?」
タレスターフの民のみを残して絶滅したとでもいうのだろうか。
「彼らは自らの手で作り上げた物によって、種の存続を不可能にしました。われわれは争うことを好みませんから、水面下では対策を講じていたのです。地球ではどうなのです?」
多くは語らず、グランは大地に問い掛けてくる。自らの手で、というのならそれは兵器を意味するのだろうか。物理攻撃にしろサイバーテロにしろ人類というものは皆同じ道をたどるというのか。
「争うことを止められないのだろうな。性なのか」
何を得たいというのだろうか。権力か、支配者という役回りか。奪い取るための力量、奪われることへの恐怖、そういった不安定なものの上に座して心の平穏など得られないだろうに。
何代もかけて慎重に、と言ったグランの言葉はDNAに関わることなのかもしれない、と大地は思った。何等かの操作を行ったのか、それとも資質を選ぶことで純粋な種を作り上げたのか。




