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過ぎ越し方、先往く方 7

「母国語を話していなかったのが分かっていたのか」

 少なからず、両親が名付けた大地の名前が意味するものが、天に対するものであることは常に意識のどこかにある。その漢字二文字を書いた時も、「母なる大地」をイメージする信号が脳内を走破していたはずだからだ。


「ええ」

 はっきりとグランは答えた。


 大地が宇宙ステーションで話していた翻訳エンジンに頼り切った英語に、多彩な表現を含むことはままならなかったし、それが必要ともされていなかった。翻訳という作業が加わる事で、脳が発する信号も変化するはずだ。グラン、それともマルベレクはそういった部分を感じ取ったのかもしれなかった。


 辞書を暗唱したみたいに言葉として説明できることが、イコールそれらを理解し自分のものとなっているか、は違うことだ。


 美しい風景や、心を打つ音楽や言葉などで感動する、あのぞくぞくと身体を駆け巡る震えは、仮に脳波や電流を数値化して、「心が洗われる」や、「脳天を突き破る」などと定義できても、人工知能がそれを自己の感情として共感することは、はたして可能だろうかと思う。


「オグヌイとマルベレクはまったく違う知能なのか?」

「ええ。簡単にいうとオグヌイは主として個人のデータの集積場所であり、マルベレクとの連絡手段となるツールです。マルベレクは人工知能を超えた存在です」

──人工知能を超えた存在だって? いったいどんなものなんだ。

「人工知能に感情を持たせることはできていません。持たせることがいいことかどうかも分かっていません。表面的であったり形式的であったり、定義付けられた部分しか信号として表せないからではないかと思っています。信号の波形や波長を判断して物事に紐付けする事はできても、必ずしもその物事の表裏全てを理解、把握しているということにはならないからです。人工知能の思考には、与えられた命題についていかに速く統計、分析、計算、予測、提案などができるか、を求めるべきであると思うのです。感情を含む意識は、私は脳よりDNAに属するものだと考えています」

 脳とは部位としての機能のことを指し、厳密に脳細胞としていないニュアンスは大地にも分かった。


 ──マルベレクには脳細胞とのつながりがあるとでもいうのか……。

「そうか……。役割の違いは分かった。グラン、君は人がその資質に見合った環境を与えられていると言ったが、それはマルベレクの一存ということになるのか?」

「ええ。決定権を持つ意見の違う者が複数存在するのは望ましくないですからね。全ての情報から導きだした解であれば、マルベレクの一元管理によって、公平性は問題なく保たれているはずです。個人の能力や資質に応じて提供される環境は、その個人の性格や能力を理由に調整されるものではありません。ただし、加味される部分、感情も含めて、意識的思考はマルベレクの判断によって加減されます」

 それから、グランは離れた席にいる男の子と大人の方を示し、次に一人でいる男に大地の注意を促した。


 日本においては、就学前の年齢であると思われるその子に何かを教えていた男が立ち上がり、壁の方へ向かう。一人でいた男も別の資料を求めたのか、同じ方向へ向かう。室内は充分に広くはあるが、それほど遠いわけではないのに彼らの足音が聞こえない。そうだ、ずっと議論を戦わせているグループからも、熱意を持って話し合っているのは分かるのに、室内にその声は響いてきてはいないのだ。


 ──無音室になっているのか?

 すると、瞬間的に全ての音が復活したかのように、資料棚が動く静かな機械音や、教師らしき男たちの靴音、向上心篤い若者たちの声があふれ出た。驚いて大地がグランに目を戻すと、グランは微笑んで小さく指を動かした。


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