act.2-2
「……あ、あれじゃない?」
西に沈む太陽が赤く燃える頃、カナリは魔法陣の上からある方向を指差した。樹々の向こうに、土色の四角い建造物らしきものが密集している集落が見えた。おそらくそこが目的地だろうと推測して、カナリは魔法陣の速度を落とす。
二人を乗せた魔法陣は建物の一つに近付き、屋上までたどり着くと風になって掻き消えた。降り立った二人は辺りを見回す。
「ここで合ってるのか?」
「そのはずだよ」
古代都市ヴェントルーチェ。《古代都市》と呼ばれる地域は、過去に発展していたものの、何らかの理由で人口が減少し、廃れてしまった都市が分類される。このヴェントルーチェも、そのひとつだった。
赤褐色の石や土で造られた建物によって形成されかつて栄えていたその都市は、時の流れにより活気を失っていた。人気はなく、建物自体も風化していたり、今にも崩れそうなものが多い。建物の間を風が駆け抜ける度に、煙が立ち上るように土埃が薄く舞っているのが二人の位置からも視認できた。
「……本当に、ここに《カギ》があるのかな?」
「さあな。取り敢えず、この都市を探索する必要がありそうだ。行くぞ」
カナリの疑問に明言せず、ゼンは近場にある建物に跳び移り地面へと降りていく。それを追うようにカナリも続いた。乾いた地面に舞う砂埃が、彼女の真新しいブーツの先を曇らせた。
「何があるかわからない。俺から離れるなよ」
「うん」
短く言葉を交して、カナリはゼンの半歩後から追うように歩き出した。
「……本当なら、現地の奴らに直接話を訊くのが一番良いんだ」
「こんな古代都市にも人が住んでるの?」
「場所にもよるけどな。大抵はその地に縁のある一族だが、都市をアジトにして周辺の街を襲う賊もいる。後者の場合は襲ってくる場合が多いが、その時は返り討ちにして聞き出すまでだ。事前情報によれば、倒壊の恐れが少ない地区を拠点にしている住民がいるらしいが……」
ゼンは辺りを見回す。周囲に立つ建造物は、住居の形を保っているものの、風化が進んでいて人が住むには難しそうなものばかり。時折ぱらぱらと乾いた音を立てながら壁面の一部が崩れている様子も見える。
「この辺りには人はいなさそうだ」
「そうだね。上から探した方がいい?」
「もうすぐ日も落ちる。慣れない場所だ、暗くなれば探索は困難だろう。無闇に探し回るよりも、このまま先に野宿できるところを探した方がいい」
「うん、わかった……!?」
ゼンの言葉に返したその時、首元に刃物を当てられるような感覚を覚えたカナリは足を止めた。同時に動きを止めたゼンと無言で背中合わせになる。二人は己の得物に手をかけ、そのまま周囲を見回した。
「──殺気……いや、敵意?」
「あぁ。しかも一つじゃないな」
ゼンが呟いた直後、足音が聞こえ、前方と後方から人が姿を現し、二人を取り囲んだ。十人程度で全員が武装しているが、その風体からは凶悪さは感じられず、違和感にカナリは首を傾げる。
「……賊?」
「カナリ、体術はできるか?」
相手が何者なのか考えあぐねるカナリにゼンが問いかける。視線だけ向けると、彼はすでに自分の得物から手を離していた。カナリは戸惑いながらも頷いてみせる。
「え、あ、仕込まれてるから、一応」
「──だったら、魔物相手じゃないなら充分だろ」
刀を抜くな。そう言われ、カナリも柄から手を離す。それを挑発と取ったのか、数人が手に持っていた大振りのナイフや槍を振りかざし、二人に攻撃をしかけてきた。
「……ごめんなさい」
口の中で呟いて、カナリは自分に向かって伸びていた槍を屈みながら避け、相手の下顎に掌底を打ち込んだ。自分よりも一回り以上大きな身体が後ろに倒れていくのを横目に、他方からの新しい攻撃をいなし、勢いを利用してもう一人地面に叩きつける。
ゼンも同様に向かってきたナイフを容易くかわすと相手の手首を取り、捻りあげながら後方の敵に蹴りを入れた。二人対多勢での乱闘ではあったものの、力量は火を見るより明らかだった。
しばし続いていた攻防は、ゼンが一人を投げ飛ばしたところで区切りがつけられた。宙に浮いた大柄な男の身体が少し離れた場所に立つ数人にぶつかり、派手な音を立てて一緒に地に倒れ伏した。
「──っ」
「大丈夫だ、加減はしてる」
音の大きさに目を見張ったカナリに事も無げに言い、ゼンは自分達を取り巻く彼らに声をかけた。
「お前ら、俺達に何の用だ。聞かず名乗らず襲いかかるなんていい度胸じゃねえか」
ゼンは自分の手をゆっくりと挙げ、第一関節までしかない手袋の甲の部分を見せる。金糸で描かれた幾何学的な紋様が斜陽を反射して強く輝いた。
「俺達は《光の塔の守護者》だ。何を勘違いしてるのか知らんが、俺たちはお前らに攻撃される理由も、逆に攻撃する理由も持っていない。──だが」
ゼンの鋭い眼光が、彼らを射貫く。煉瓦色の瞳が夕日を受けて鮮やかな赤に煌めくのを、カナリは見た。
「攻撃するんなら容赦はしない。さっきみたいにな」
「《守護者》?……本当に?」
ゼンの言葉を聞いた彼らは互いに顔を見合わせた。向けられていた敵意は困惑に変わり、互いに顔を見合わせぼそぼそと何か話し出す。
「あの紋章は本物じゃないのか?」
「いや、偽物かもしれない」
「俺達はどうすれば……」
「どうするも何も、長は侵入者は追放しろと言っている」
「でも《守護者》は──」
「──皆の者」
不意に、大きな声が響いた。彼らは皆ぴたりと口を閉じ、声のした方を見た。
「武器を下ろしなさい」
その一言で全員が手にしていた得物を下ろす。二人が驚いている間に彼らは左右に分かれ、道を開けた。そこに足を踏み出し姿を現したのは、くたびれた外套を身に纏った壮年の男。彼は二人に向かって頭を下げる。
「同胞が無礼を働きました。お許しください、《守護者》様方」
「構わない。だが、一体どうして俺達を攻撃したんだ?」
「この頃、賊が多いので見回らせていたのです。怪しい者は都市に入れないように、と。歴史的建造物を故意に破壊されては困りますから」
「貴方達は、一体……」
カナリが恐る恐る問うと、男は静かに答えた。
「我等は《風の民》。ヴェントルーチェにかつて住んでいた民の、末裔です」