act.2 魔物とカギ
西北西に向けて、二人を乗せた魔法陣は滑るように移動していた。
空を飛ぶというのは、ゼンにとって不思議な感覚だった。今までの長距離移動と言えば専ら汽車で、ごく希に船といったところ。空路での移動はそもそもあまり一般的ではないものであり、カナリの使う方法は初めてだった。彼女が作り出した魔方陣は地面と変わらない、しっかりした足場になっている。身体には風が強く吹きつけ、背もたれのような支えはなかったが、魔方陣と接した部分が縫い止められているかのように固定されていて、振り落とされそうな不安定さは感じられなかった。
ちらりと視線を向けると、カナリは陣の上で意識を集中させていた。《カミカゼ》はカナリの意思で自在に動かすことができるようだったが、いかんせん肩に力が入りすぎているようだ。初めての任務や出会ったばかりの同行者に緊張しているのだろうと推察し、ゼンはひたすら前だけを見つめている彼女に声をかけることにした。
「こんなこともできるのか、お前」
「へっ?」
突然話しかけられて驚いたのか、カナリは肩を震わせて慌てて振り返った。黒曜石のような瞳と視線がぶつかったが、すぐに目をそらされる。
「あ、と、うん。《光の塔》にもこれで来ようとしたんだ。……あの時は地図もなくて正確な場所がわからなかったし、怪我してたから近くまでしか行けなかったけど。でも今回は、事前にナギが地図を見せてくれたから大丈夫。ちゃんと日没までにはヴェントルーチェまで行けるよ」
「便利だな」
「でしょ?」
素直に感想を口にすると、カナリは少し得意そうに笑った。話すことで、肩に入っていた力がほんの少し緩んだようだ。その様子を見ながら、ゼンはもう少し話を続けてみようと話題を変えた。
「ナギから《光の塔》についてどれだけ聞いてる?」
「……ほとんど聞いてないと思う。私に力があるってことぐらいしか」
──おい、ナギ。
要するに、彼女は説明を全てゼンに押し付けたのだ。ゼンはやや横暴な上司を恨めしく思いながらため息をついた。汽車と馬車で半日かかるとナギが言っていたことを考慮しても、目的地にたどり着くまでにはまだ時間がかかるだろう。確かに、出発前に長々と説明するよりも道すがら話した方が効率は良いのかもしれない。
「……取り敢えず先に重要な部分だけ説明するぞ。まず《物語》の内容は知ってるか?」
「『ストライズには二人の神が存在した』ってやつ?」
カナリは一文をそらんじてみせる。
《物語》と呼ばれるそれは、この世界──《ストライズ》の神話のようなものだ。《光》と《闇》、二人の神が世界を創り、その後争い《闇の神》が破れ眠りにつくまでのいきさつを、人々は《物語》として認識している。幼子に語る最初の寝物語としても扱われるそれは、書物や人の口から語られ、広く長く継がれているものだった。
「あぁ。その《物語》に出て来る十一人の《光の守護者》、それが俺達だ。《守護者》は現在十人。カナリが新しく《守護者》になったから、あと一人で全員が揃うことになる。《守護者》である俺達の使命は世界に蔓延る魔物を退治し、《闇の神》から世界を守ること。その為に今俺等は《カギ》を探してる」
「ナギも言ってたけど、《カギ》って?」
「《カギ》ってのは、《守護者》の力を増幅させる存在のことだ。平たく言えば、精霊やら守り神みたいな存在で、これも《守護者》と同じく十一存在する。今持ちはリィ姉──《夢の守護者》だけ。今の任務のメインは《カギ》探しと魔物討伐の二つだ」
「それで、今回も《カギ》を探すんだね」
「あぁ。《先見の巫娘》であるヒカリが夢を見た場所には、十中八九、《カギ》があるんだ」
「そうなんだ……有り難う、説明してくれて」
カナリは微笑んだ。話が終わったのだろうと思い、再び前を向く。
だが、ゼンはもう一度口を開いた。
「──なぁ」
「…………何?」
ゼンは何かを言おうと口を開いて、閉じる。迷うように目を動かすと、思い切ったように再び口を開いた。
「お前の武術の師は誰だ?」
「…………」
先程の手合わせの時の不思議な感覚を、ゼンはずっと反芻していた。初めて出会ったはずなのに、武術の型が自分と似ているような気がする。そう思うと、師について尋ねずにはいられなかった。
ゼンの問いに、一瞬、カナリの顔から感情が消え失せた。
「カナリ?」
「……親じゃないけど、私を、育ててくれた人。物心つくより前に孤児だった私を拾ってくれたの。幼い私に、生きる術を教えてくれた。──今はもう、いないけど」
「──そうか。悪いことを聞いた」
カナリは懐かしむ口調で話していたが、その瞳には喪失の色が滲んでいた。余計なことを聞いてしまった気がしてゼンは思わず謝る。カナリは首を横に振って大丈夫だと応えた。
「すごく、強い人だったよ。私なんかが足元にも及ばないくらい。すごく、尊敬してるし、本当の父親みたいに思ってた。今でもね。……ゼンは、誰に教えてもらったの?」
「俺か?」
同じように聞き返され、ゼンは片眉を上げた。仲間である他の守護者たちの顔を一人ひとり思い浮かべる。
「小さい頃──《守護者》になる前は、親父に教えてもらってたな。親父は腕の立つ剣士だったんだ。こっちに来てからはルイ兄──《時の守護者》とかによく手合わせしてもらってた。今は他の奴らともよくする。基礎は親父だけど、それからは我流みたいなもんだ」
「そっか」
「奴らは皆癖は強いけど、強い奴らだ。初対面だったら少し厄介な奴もいるが……仲間になれば皆いい奴だから。カナリもすぐに馴染めるさ」
優しい声音で言われ、カナリは笑顔で頷いた。
「……うん」