act.1-4
昼食後に医務室へ立ち寄ったゼンは、自室に戻らずそのまま修練場へ足を向けた。ようやく運動と任務の制限が解除されたのだ。
左腕の怪我がある程度直るまでは過度な運動を控えるよう、看護師に口酸っぱく言われていたから、帰還してから今まで新たな任務の通達はなかった。また同様の理由で、修練場に行っても手合わせには参加できず、他人の模擬試合の見学しかできていなかったのだ。
《守護者》であるゼンにとって、日々の鍛練は欠かせないもの。一応基本的なものだけは続けていたが、いい加減、思い切り身体を動かしたい。そう思って、とりあえず修練場を訪れた。
「――?」
扉の前で、ゼンはふと足を止める。誰かが修練場にいるらしく、中から微かに話し声が聞こえた。誰かまでは判別できないが、他の守護者が居るのだろうか。頭の中で仲間の予定を引き出してみるが、今は殆どが任務で出払っていたように思う。先ほど食堂で声をかけてきた青年も今し方任務に向かったばかりだ。もしかすると、他に早めに終わって帰還した者がいるのかもしれなかった。
久々に手合わせでもしてもらおうかと、ゼンは重い扉をゆっくりと押し開けた。吹き抜けになっているせいでかなり高い位置にある天井から差し込む光の眩しさに思わず目を細めながらも中へと足を踏み入れる。一瞬白くなった視界の中、中央に誰かが立っているのに気づいて──ゼンは思わず足を止めた。
自分が着ているものと同じようなデザインのコートを纏う少女が、こちらに背を向けて立っていた。その服装から、《守護者》の一人──自分の仲間であることがわかる。しかし、ゼンは長い黒髪を持つ少女の事を知らなかった。一瞬疑問に思ったが、すぐに先程橙の瞳を持つ青年が新人の話をしていた事を思い出す。
扉が閉まる音に反応し、少女が振り返る。コートに走るラインの色は鮮やかな緑だった。高い位置で結われた長い黒髪がさらりと動き、黒曜石の瞳と視線がぶつかった。
「──?」
「……!」
彼女の顔に既視感を覚え、思わずゼンは眉根を寄せた。初めて見るはずの顔なのに、その顔立ちに見覚えがあるような気がしたのだ。
対峙する少女はひどく驚いていた。大きく開かれた目はゼンの姿を凝視する。少女の唇が微かに震え、何事か呟いたらしいのが見えたが、ゼンの耳には届かなかった。
二人は相手に声をかけるでもなく、無言のまま見つめ合う。一瞬のような、長い時間のようなその沈黙を破ったのは控え目な甘く高い声だった。
「……ゼン?」
他方から馴染みのある声で名を呼ばれ、視線を向ける。少女ばかりに注目していていままで気づいていなかったが、小柄な少女──ヒカリが、彼女の側に立っていた。ゼンはとりあえず、ヒカリに声をかけることにした。
「あぁ、ヒカリ。どうしてここに? いつもならナギの手伝いをしてる時間だろ?」
「今日は姉さまの手伝いはお休みで、代わりに一日案内してるの。……っと、調度良かった」
せっかくだから紹介するね、とヒカリは少女の手を引いてこちらに歩み寄る。近くに立つと、少女の顔が自分の肩あたりにあった。二人の間に立ったヒカリは、ゼンと少女とを交互に手で示した。
「こっちは《炎の守護者》のゼン、彼女は《風の守護者》の……カナリ。新人だよ」
「……よろしく」
「あぁ」
カナリ、というらしい少女はゼンに微笑んだ。その表情にもまた、ゼンは既視感を覚える。もやもやとしたまとまらない感覚を抱きながらも、ゼンはそこに触れることはなかった。
「身体はもう大丈夫なのか?」
「え?」
「怪我してたんだろ? お前のことは噂になってる」
「あ、うん、おかげさまで」
緊張しているのか、彼女の表情は少し堅い。その様子が微笑ましくて少し笑むと、今度は頬がぱっと色づいた。よく表情が変わる少女だ。
「ゼンの方はもういいの? この前の任務で左腕怪我してたでしょ?」
「! そうなの!?」
「あぁ。全快とはいかないが、利き腕じゃないし、支障はない。慣れてるしな」
ヒカリの言葉を受けて心配そうな顔をするカナリに左腕を挙げてみせる。二人は同じように安堵の表情を浮かべた。カナリはだいぶヒカリと馴染んでいるように見える。
「……そうだ!」
パン、と唐突に手を合わせ、ヒカリは金の髪を揺らした。何事かと目で問うと、彼女はいたずらっぽく笑う。
「せっかくだから、二人で手合わせしたら?」
「は?」
「えぇ!?」
提案に驚く二人にヒカリはにっこりと笑って続けた。
「ゼンはやっと医療部から運動の制限が解除されたから、誰かと手合わせする為に来たんでしょう? カナリも病み上がりみたいなものだし、調度良いじゃない。それに、あたしも姉さまもまだカナリの力量を把握してないし。ね、いいでしょ? お願い!」
お願いのはずなのに、命令のようにも聞こえる口調と目つき。それは彼女の姉である司令官を連想させられる。変なところで似たものだ。
ゼンは一つため息を付くと、頭を掻きながら頷いた。
「……わかったよ」
「カナリも良いでしょ?」
「う、うん」
カナリがぎこちなく頷くのを見て、じゃあ決定、とヒカリは二人を修練場の中央へと促した。
「カナリ、お前の得物は?」
「……刀」
「そうか、ならこれでいいな」
ゼンは近くの柱に立掛けてあった木刀を二本取り、片方をカナリへと投げる。難なく受け取った彼女の立ち位置を見て、五メートル程離れた所に立った。
「俺の得物も刀だから、扱いは心得てる。遠慮なく打ち込んでくれていい」
「よろしく、お願いします」
「ああ」
二人同時に木刀を構える。ヒカリは両者を見て、凛とした声で短く言った。
「──始め!」
「取り敢えずお前から来い」
「っはい!」
ゼンに促され、先に地を蹴ったのはカナリだった。木刀を振り被りつつ一瞬で距離を詰め、ゼンに向けて勢いをつけて振り下ろす。木と木がぶつかる音が響いた。
「!」
片手で木刀を握ったまま難無く受け止めたゼンは口元に笑みを浮かべ、弾き返す。カナリは怯まずに何度もゼンに打ち込んだが、全て受け止められていた。
カナリの攻撃を受けながら、ゼンは彼女の戦い方を分析する。男女の差もあってか、カナリの打撃はそれほど重くはない。しかしその代わりに剣戟は素早く、手数の多さで相手を削る戦い方のようだ。身のこなしも軽やかだ。
「技量は、あるな。太刀筋も悪くない……よし、大体わかった。今度はこっちからいくぞ」
「──っ!」
一度強く弾き返され、カナリは後ろに跳ぶ。それを追うようにゼンは強く地を蹴った。先ほどまでとは違う全く鈍い音を立てて木刀がぶつかり合い、ギリギリのところで受けたカナリの顔が歪む。それだけ、ゼンの太刀は重いのだ。
「ぐっ……!」
低く唸り、カナリはゼンの一撃を押し返した。そこから二人の激しい打ち合いが始まる。斬りつけ、打ち返し、防ぐ。めまぐるしい攻防が続く中、ゼンはいつからか不思議な感覚を覚えていた。
戦いやすいのだ。今まで手合わせしてきた他の守護者の誰よりも、しっくりくる。得物が同じ刀であることも理由のひとつかもしれない。しかしそれ以上に、互いに相手が次にどんな動きをするのか、ほぼ正確に読み合うことができていたのだ。この感覚は何なのか。疑問に思ってはいたが、徐々にゼンは雑念を捨ててカナリとの手合わせに集中していった。
攻防を続ける二人の様子は、さながら美しい剣舞のようでもあった。審判役のヒカリでさえも息を呑んで見守る中、長いような短いような時間が続いていた。