act.1-3
少女が目覚め、ナギ達と対面してから数日後。点滴も取れ、少女はもう走れる程までに快復していた。
数日過ごしている病室の窓辺に少女が何となく立っていると、不意に病室のドアが叩かれた。
「……どうぞ」
応えると、ドアが静かに開かれる。室内に入ってきたのは、紙袋を抱えたまだ幼い少女だった。左右の襟を重ね合わせ、幅広い布で腰元を縛り、袖口が大きく開いた特徴的な衣服と、美しい金の長髪と大きな菫色の瞳が目を引く。幼い少女は彼女の姿を認めると、外見相応の愛らしい笑顔を向けた。
「初めまして、《風の守護者》――」
「――!!」
思わず少女が目を見開くと、金髪の少女は楽しげに笑った。
「驚かせちゃった? そうだよね。あなたのことを知ってるのはあたしの他にはルイ兄と姉さまぐらいだもの。それに初対面なのに名前を知られてるっていうのもちょっと気味が悪いし」
気取った調子の彼女の言葉に少女はここ数日の記憶を辿る。そしてナギの言葉を思い出し、恐る恐る声をかけた。
「……もしかして、あなたが《先見の巫女》?」
「うん、そう。あたしが《先見の巫娘》。そして《光の塔》総領、ナギ姉さまの妹にして《花の守護者》でもある、ヒカリよ。よろしくね!」
明るく得意そうに言い、ヒカリはふわりと笑ってみせた。少女も同じように笑顔で応える。
「よろしくね、ヒカリ」
「うん!! ……じゃあ、早速これを着てくれる? その後《光の塔》を案内するから」
ヒカリ抱えていた紙袋の中から服を取り出し、少女に歩み寄って手渡した。
「……これは?」
「《守護者》専用の戦闘服。《鋼の守護者》特製だから打撃にも強いし、熱さや寒さにも強いの。デザインは後で言えば好みに合わせて変えられるよ」
促されて、少女は袖を通してみる。渡された衣服は全て濃い灰色や黒で統一されていた。膝上の丈でひだのあるスカートに、下に穿くのは長めのレギンス。七分丈のシャツの上には薄く軽い素材のベスト。その上に纏うコートには襟や袖、裾などところどころに鮮やかな緑色のラインが入っている。肩幅も丈も、少女にとって丁度良いサイズだった。
「手袋もあるけど、いる?」
「うん」
同じようなデザインの手袋を受け取り身に付ける。指の部分が第一関節までしかないデザインのそれは、甲に金色で幾何学的な紋様が描かれていた。光に当てるようにして文様を眺めていると、ヒカリがそれは《光の塔》関係者であることを表す印なのだと説明した。
最後に膝下まで覆うような長さのブーツを履き、屈伸運動や少しはねる動作をして着心地を確かめる。暗い色で重量感のある印象だったが、戦闘用に作られている事もあってかさほど重さは感じなかった。
「どう? 気に入った?」
「うん。軽いし動きやすい」
「よかった。じゃ、早速行こっか」
「うん!」
ヒカリに誘われ、少女は自身の刀を手に病室を出た。
「なぁゼン、聞いたか?」
少女がヒカリと共に病室を出た同時刻。《光の塔》内にある広い食堂の一角でいつものように昼食をとっていたゼンに、突然背後から声がかかった。咀嚼しながら肩越しに目を向けると、そこには水色の髪を頭の高い位置で纏め上げた青年が昼食の乗った盆を手に立っていた。身に纏っているのは、ゼンが着ているものとは少し違うが似たデザインのコート。青年のコートには蒼のラインが入っていた。青年はそのままゼンの隣にどっかりと腰を下ろすと、食事に手をつけながら橙の瞳を此方に向ける。ゼンは片眉を上げて問い返した。
「何の話だ?」
「知らないのか? 新しい《守護者》の話だよ。《風の守護者》が現れたって」
「……初耳だ」
ゼンの返答に相手は思わずマジか、と目を見開く。
「お前なら知ってると思ったのに。何日か前、ルイ兄が任務帰りに怪我人見つけて運んで来たのは知ってるだろ? あの時の奴らしいんだ」
「あぁ、調度空きが無かったから同室頼まれたやつか。ルイ兄が帰還する前に断ったから相手は見てないな。女ってだけは聞いてる」
「なァンだ、つまんねーの。オレも見てないけど、ナギ曰くオレたちと歳が近いらしいぜ。確か、ヒカリと双子くらいだって」
「へぇ……」
──『いつか、私も行く』
まだ見ぬ新人の歳の頃を聞いて、ふと、ゼンの脳裏に幼い少女の影が浮かび上がる。色褪せた記憶の一ページ。どんな顔だったのか、どんな声だったのかは残念ながらあまり覚えていない。覚えているのは彼女が自分より少し年下だったことと、泣き虫で頑固だったこと。そして、別れ際の言葉。
――『絶対、ゼンと一緒に戦うから』
幼い少女特有の、高く甘い声がゼンの耳元で蘇る。記憶の少女の言葉は約束に等しいものだった。それが単なる口約束でであったとしても、ゼンにとっては宝物であり、同時に心の支えでもあった。たとえ相手の少女が自分のことをとうに忘れてしまっていて、あの約束が果たされることはないとしても……それでも、ゼンは待つと決めたのだ。
食事の手を止め、遠くを見るような目つきになったゼンに気づいて、隣の青年は思わず呆れ混じりに苦笑した。
「……ゼン? もしかして、また思い出してんのか? 一途だねぇ、野郎のくせに」
「……うるせえ」
軽くゼンが睨むが、相手は動じる事なくからからと笑う。ゼンが回想にふけっている間に、青年はさっさと食事を済ませていたようだった。空になった器の前で軽く手を合わせながら、かれは口角を上げてみせる。
「だってそうだろ。何年も前にした約束を今でも守り続けようとするなんて、一途以外のなんだっていうんだよ。女々しいって言われるよかマシだろ」
「……」
「ま、オレはお前のそういうとこ、嫌いじゃないぜ――っと」
不意に、青年が言葉を止め怪訝な顔をして耳元に――正確には、耳に着けている一見装飾のような通信機に手をあてる。だが、すぐに表情を和らげた。
「ああ、ナギ。どうした? ……あぁ、わかった。サンにはオレから伝える。じゃあ後でな」
青年は通信相手と手短に会話を済ませると、一度大きく伸びをして、盆を手に立ち上がった。
「任務か?」
「西の森で魔物が出たんだと。欲求不満のガキ連れてちょっくら暴れてくるわ」
「あぁ……新人が回復したら真っ先に突撃しそうだな、あいつ」
「しそうっていうか、するだろ。ま、病み上がりにはしないよう抑えとくけどな」
「そうしてやれよ」
ゼンの肩を若干強めに二度叩き、高い位置でまとめられた水色の髪を揺らしながら青年は去って行った。
青年の後ろ姿を見送り、ゼンは一度息をついてゆっくりと席を立つ。無意識に片手が動き、胸のあたりにかかっているペンダントを服の上から撫でた。