act.1-2
少女が目を覚ましたのは、それから丸一日が経った後だった。
うっすらと目を開け、彼女がまず探したのは自身の得物だった。すぐにベッドの傍らにある長机の上に見慣れた刀が横たえられていることに気付き、それに触れてわずかに安堵する。なんとか起き上がり、右手で刀を自分に引き寄せて抱きしめるようにしながら、少女は自分の置かれている状況を把握しようと周囲に視線を走らせた。
部屋の内装は白っぽい系統で統一されている。少しつんとする消毒液の匂い、そして、左手の甲から延びている細いチューブの先で透明な液体が入った袋が揺れていることから、病室であるらしいと少女は判断した。
部屋の様子を観察していた少女の耳が、病室に向かってくるかすかな足音を拾う。人数は、二人。一人はゆっくりとした足取り、そしてもう一人はそれに合わせているようだが、癖なのかあまり音を立てないようにしていた。近づいてくる二つの足音に、少女は刀を握る手に力を込める。緊張する少女のいる病室の前で止まり、直後静かにドアが開いて一組の男女が中に入ってきた。
「あら、目が覚めたのね」
上半身を起こしている少女に気づいて、女が顔を綻ばせる。男の方も、穏やかな笑顔を少女に向け、そっとドアを閉めた。友好的な態度を見せる二人に、少女は警戒を崩さないままおずおずと口を開いた。
「……あの、私……」
「ここの近くで倒れているのを彼が見つけたの。処置は完璧にされているはずだけど、体調はどう?」
「…………」
女が優しく声をかけるが、少女はすぐには応えず少視線を落とす。そうして暫く何かを考えていると、不安そうな顔でナギに問いかけた。
「……あの、ここはどういった場所なんですか? 私、人を探しに、とある場所に向かって旅をしていて」
「心配しないで。あなたはきっと、目的地にちゃんとたどり着いているわ。ここは《光の神》に近しい場所《光の塔》。わたしたちはあなたを《風の守護者》として歓迎するわ。……そして、あなたは──ね?」
「! どうしてそれを」
確信めいた女の言葉に少女は目を大きく開ける。女は銀縁の眼鏡の奥でいたずらっぽく笑いながらも答えた。
「それはね、わたしの妹があなたの夢を視たのよ。《先見の巫女》って聞いたことはない? 夢や占いで過去や未来を視て、それを良い方向へと導く者のことなんだけど。それがわたしの妹なの。その子が、あなたのことを夢に見たのよ。あなたが《風の守護者》として戦う未来の姿と、彼とあなたが共に過ごしていた過去を」
「…………」
「君には特別な力がある。君の心には風が宿っているんだよ。……君は、《風の守護者》として迎え入れられたんだ」
女の話に男も頷いてみせる。少女は二人にゆっくりと首肯し、視線を合わせた。
「……それは、知っています。風の力が目覚めたから、だから私はここに来た。彼と肩を並べて戦うために」
意志の込められた真っ直ぐな少女の眼差しが、二人を射抜く。この少女は芯がとても強い、と、その時二人は直感した。
ひとつ質問してもいいかな、と男が少女に切り出す。
「僕が君をここに運んだんだけど、君を見つけたとき、傷だらけで衰弱もしていたんだ。――ここに来る前、何があったんだい?」
「それは……」
男の問いに答えようとした少女の言葉が不自然に途切れる。記憶を辿るように数秒視線をさまよわせるうち、彼女の表情は焦燥と不安の色が段々と濃くなっていった。愕然としながら、わからない、と少女は小さな声で呟く。
「わからない?」
「思い、出せないんです。気づいたら、ジン――師匠が亡くなっていて。師匠を、埋葬して、その後《光の塔》に向かう途中で気を失ったことは覚えてるんです。でも、その前の事が」
すがるように胸に抱く刀に力を込め、少女は怯えるように細い肩と声を震わせた。
「師匠がどうして死んでしまったのか、覚えていないんです。魔物と戦った形跡があったから、襲われたんだと思います。でも師匠は魔物相手にそう簡単に負けてしまうなんてことはあり得ない筈なんです。何があったのか、私は見ていた筈なのに――っ、いた――」
「大丈夫!?」
「……頭が……痛い……!」
話している途中で、少女は顔を歪めながら頭をおさえる。それは決して演じている様子ではなかった。女は彼女の肩を撫でながら、男と視線を交わした。男もほんの少しだけ眉根を寄せ、首を横に振る。短い時間で言葉を交わさずにこれ以上記憶を掘り下げない方がいいだろうと判断した二人は、再び少女に向き直った。
「落ち着いて。きっと、あなたにとってとても辛い記憶なんでしょう。今は無理をして思い出す必要はないわ」
「――……ごめん、なさい」
「謝らないでいい。もしいつか思い出した時に、話せそうだったら、話してくれればいいから」
「……はい」
二人がフォローするものの、少女は浮かない表情のまま視線をシーツに落とした。なんとも言えない空気が病室を支配する。
その雰囲気を払拭するように、じゃあ、と女は努めて明るい声で話題を変えた。
「とりあえず、記憶の事は置いておくとして。あとは……そうね。これからの事について、そして彼について、少し話しておきましょうか」
《彼》に反応して、少女はゆるゆると視線を上げる。よほど彼の事が気になるらしいと感じ取った女は口元に笑みを浮かべた。
「彼は今、ここにいるわ。ここのところ討伐任務で出ずっぱりだったから、彼はしばらく非番にしておこうと思ってるの。それで、あなたがしっかりと回復した後、何か任務が舞い込んだら二人で行ってもらう予定よ。自分の武器があるということは、戦闘能力は他の子達とそう変わりはないでしょうから。……そうだ」
何かを思い付いたのだろう、女の瞳にきらりと悪戯な光が宿った。今までとは一変して。口元には楽しそうな笑みが浮かんでいる。
「面白いことを思い付いたわ……ああ、自己紹介が遅れていたけど、わたしはナギ。《守護者》でも《巫女》でもない、ただの人間だけど、ここ《光の塔》の総領……コマンダーよ。そしてこっちは」
「僕は《時の守護者》のルイ。《守護者》の中では一番の古株だから、わからないことがあれば何でも頼って」
「……よろしくお願いします」
「癖じゃないのなら、堅苦しい言葉じゃなくてもいいのよ。ここでは皆、話しやすい言葉で話しているから」
「……うん」
ナギとルイの優しい微笑に、少女もようやく身体から力を抜いて表情を緩ませた。