act.1 光の塔と守護者
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森の中で、少年と少女が向かい合って立っている。
少年は悲しさや辛さがない交ぜになった表情で少女を見ていた。
対する少女の顔はよく見えていなかったが、その表情は少年と同じように歪み、両目にはこぼれ落ちそうなほどの涙が溜まっているようだった。
少年は少女に震える声で別れの言葉を告げ、少女の前から去ろうとする。
すると、少女が少年を呼び止め、振り返った彼の手に何かを握らせた。
ほたり、と、とうとう少女の瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。
そして、少女の小さな唇から最後の言葉が紡がれた。
『いつか、私も行く。絶対、ゼンと一緒に戦うから』
その言葉を聞いて、少年は頷いた。
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「―――ちょっとゼンさん! ダメですよじっとしてなきゃ!」
ヒカリが夢を見た、翌日の昼過ぎ。《光の塔》内に医療塔として整備されている塔のある病室で、突然声が上がった。……その直後、病室のドアがやや乱暴に開かれ、中から看護師らしき女性と左腕に包帯を巻いた一人の青年が現れた。
咎めるような看護師の声に青年の赤を差した茶髪が揺れ、煉瓦色の瞳が少し細められる。
「べつにたいしたことねぇだろ、このくらい。利腕でもないし、こんなんでいちいち病室に寝てられるかよ。それに、今からひとり運び込まれるんだろ? 見ず知らずの奴と、しかも異性と同室なんて互いに気を遣っちまうだろ」
「そんなこと言われても」
「いい加減、俺の行動パターンぐらいわかってくれよ。俺が何年ここに居ると思ってんだ」
青年は右手で頭を掻きながらうんざりしたように言うと自身に伸ばされかけていた看護師の手を振り払い、紅いラインが入っている暗い灰色のコートを肩に掛けた状態で歩き出す。そんな彼の後ろ姿を見て、看護師は溜息をついた。
「あーあ、何でゼンさんはいっつもああなんだろう」
「まあ、ここには規模の割に病室が少ない上に珍しく埋まってるし、それに女の子が来るんだから、こっちとしてはありがたいんだけどね」
「……そうなんですけど。でも、みなさんちゃんと治ってからどっか行ってほしいです。なんで《守護者》さまたちってあんなに怪我に無関心なんだろう……って、な、ナギさん!?」
第三者の言葉にうんうんと頷いた看護師は、振り返って声の主に驚く。背後には、白衣を羽織った山吹色の紙の女性──ナギが立っていた。
「がんばってるわね」
「きょ、恐縮です………」
思わず顔をひきつらせながら苦笑してしまった看護師にナギはにこやかに笑い返す。しかし、すぐに真面目な表情に戻るとすっと身を引いた。
彼女の後ろには、先ほど去った青年とよく似たデザインのコートを纏った男が立っていた。彼は、意識を失った黒髪の少女を横抱きに抱えていた。看護師は彼の腕の中の少女に視線を移し、彼女の様子を見て思考を切り替える。
「その方、ですね」
「うん。任務から帰還している途中で見つけたんだ。血まみれでびっくりしたよ」
少女を抱えていた男は鶯色の髪を揺らしてついさっきまで茶髪の青年が使っていた病室に入り、二つあるベッドのうち皺一つない清潔なシーツがかけられた方にそっと少女の身体を横たえた。黒縁の眼鏡の奥で、左右でわずかに濃さの違う花緑青の優しそうな目が気遣わしげに細められる。
「深い傷はそれほどなかったけど応急処置はしておいたよ。衰弱してるみたいだから、専門的な事は医療部の皆に任せるけど」
「さすがは《時の守護者》ね。そこまでしてくれるなんて」
「いやいや。……僕には最低限のことしかできないから」
少女に毛布を被せ、男は謙遜の言葉と共に中指で少しずれた眼鏡を掛け直した。
「………何があったのかはわからないけれど。でも、この子には………」
「ええ。力があるわ」
ナギは応えながら少女に手を伸ばし、そっとその額に触れた。少女はところどころ擦り傷を作っていたが、今は落ち着いた様子で規則正しい寝息を立てている。
「ヒカリの、《先見の巫女》の夢に出てきたもの。きっと立派に《風の守護者》の役割を果たしてくれるわ。――……そしてこの子はおそらく……」
続くナギの言葉に男は驚く。眼鏡の奥の目が大きく開かれた。
「……!? じゃあ、呼び戻したほうが」
「いいえ。今この状態であの子に告げれば、きっと大変なことになるわ。彼女がこんな姿だって知ったら、さすがに落ち着いてはいられないでしょう。不眠不休で付きっきり看病、なんてことも十分有り得るわ」
「うーん、正直どんな反応をするのかいまいち想像できないんだけど……たしかに、その可能性もあるか」
「今は、『近くに倒れていた身寄りのない少女』、かつ『新たな《守護者》』としておきましょう。ここに入っていいのは医療部とわたしとヒカリとルイ、そして彼女の身元について知っているのはわたしたちとヒカリだけ。いいわね?」
「っは、はい! 決して口外しません。入室制限についてはみんなに伝えておきます」
ナギの決定に、看護師は姿勢を正して頷いた。
「お願いね。《守護者》のほうはルイに頼むわ。イキがいいのが若干名いるから、近づかせないように」
「うん。言い聞かせておくよ」
ルイは頷き、該当する人物を思い出したのか可笑しそうにふっと笑いをもらす。そしてそのまま、口元の笑みを絶やさずに話を切り替えた。
「ところで、ゼンはどこに行ったんだろうね?」
「いつもの場所じゃない? あの子は小さい頃から暇さえあればあそこに行っては遠くを眺めてるんだから」
「それもそうだね」
二人は優しい笑みをこぼした。
風が踊る。
気まぐれな風が髪をかき上げる。ゼンは左手を上げて乱れた髪を押さえようとして――腕に鈍い痛みがはしり、思わず顔をしかめた。
「……いってぇ……」
回復しているとはいえ、治りかけであって完全に癒えたわけではないので痛いものは痛い。……もっとも、またすぐに任務に呼び出されればそんなことも言っていられないのだが。
包帯が巻かれた左腕を恨めしそうに見ながらゆっくりと降ろし、髪を整える事を諦めたゼンはひとつ息をついた。
彼の目の前に広がるのは、絶景。いくつかの山や森、草原の中に固まった街などがちらほらと見え、その先には蒼い蒼い海がある。そう、今彼が居るのは屋根の上──それも《光の塔》で一番高い塔の屋根だった。
ここが、ゼンのいつもの場所。どんなに辛いときでも、深い傷を負っていても、時間が空けばここに足を運んで飽きることもなくずっと遠くを眺めていた。
そう。《守護者》として《光の塔》で生活するようになってから、毎日ずっと。
その理由は、ただ単にこの景色が好きだからというのもある。だが、それ以上の、ゼンにとって大きな理由もある。
「……キ……」
しばらくある方向をぼんやりと眺め続けていた彼の唇からこぼれ出たのは、吐息にも近い誰かの名前。切なそうに目を細め、ゼンはどこか遠い場所へと右手を伸ばした。眼下に広がる森や海よりも、ずっと遠い場所に向けて。
掴めるモノは何もない。そう、わかってはいたけれど。
手を伸ばさずにはいられなくて……
「……馬鹿か、俺は」
やがてゼンはゆっくりと伸ばしていた手を降ろした。小さく自嘲めいた笑みをこぼしながら、彼は胸元を探り、細い鎖を指でなぞる。
彼の首に下げられていた年頃の男性には少し不釣り合いな、星の形を模した銀のペンダントが、陽に照らされキラキラと輝いた。